第一章6 『再起』

「で、お前らの思う自分の課題は?」


「はい! 全然魔法が使えません!」


 ラヴィルが自信満々に堂々と挙手をして、ハキハキと答えた。


「私も似たようなもので……魔法が発動しなかったことです」


「……なるほど。お前らの課題の原因は同じだな」


 アドルフは腕を組んで頷く。


「と、言うと……?」


「原因はお前らの魔力にある。改善しようにも個人差があって難しいことだ。……実際、多くの魔法使いがこの問題の所為で挫折した」


「えええぇ~……どうにもなんないんすか……?」


「さぁな。魔力のうち、質と量……どちらが不足しているのかにもよる」


「質と量……そういえば、魔力計測にそんな項目があったような……」


 入学式から二日ほど経った頃だろうか。身体測定と同じタイミングでそれは実施された。


「そうだ。その魔力計測で魔力質と魔力量を計られたんだ。結果の紙、いま持ってるか?」


「はい。……これです」


 ルシルは魔力計測後に、先生から今後のために保管しておくようにと言われたため、生徒手帳に挟んでいた計測結果の印字された紙片をアドルフへ手渡す。


「……良くも悪くも普通って感じだな、質も量も。ちなみに何の魔法で失敗したんだ?」


「制限魔法です。一度目は上手くいったんですけど……」


「おいおい、そんなの一年の使う魔法じゃないだろ……。クラスBに分類されるような魔法だぞ」


「寮長ー、クラスBってなんですかー?」


 アドルフは呑気に尋ねるラヴィルを見かねて眉根を寄せ、「お前、ちゃんと授業聞いてるのか?」と訊いた。寮長らしく、寮生であるラヴィルのことを気にかけているようだ。


 それを知ってか知らずかラヴィルは悟ったような笑みをつくり、「……『聞いては』いますよ」とサムズアップ。……アドルフは深い深い溜息を吐いた。


「……魔法は難易度別にクラス分けされてんだよ。高位魔法はクラスS、呪文がなくイメージするだけで使えるような生活魔法とかはクラスDって具合にな。クラスBは二年生レベルが覚える魔法だが……つか、そんなもんどこで覚えた?」


「えっと、図書館の本で……」


「読んだだけで使えるようになったのか……。ったく、リモの奴、とんでもねぇ逸材を寄こしやがった」


 呆気にとられているアドルフの横で、制服のポケットを慌ただしく探っていたラヴィルが「あったー!」と声を上げた。


「あったのはいいが、今の話聞いてたか? お前が聞いてきたんだからな?」


「あい! おれが使えそうなのはせいぜいクラスDあたりですよね!」


「早々に諦めるな。……あ? おい、ラヴィル。これ、計測ミスじゃねぇのか?」


「えぇ、先生とおんなじこと言うー。そんなにおかしいんすか?」


 アドルフは信じられないものを見るかのような目を、ラヴィルの渡した計測結果とあっけらかんとしたラヴィルの顔を行き来させた。


「いやいや、なんで魔力質は最低値で、魔力量は最高値なんだよ! どうなってんだお前は!? バグか!?」


「え!?」


「んなこと言われたって、おれが一番訊きたいですよー!」


 ルシルも思わず驚き、アドルフとともにラヴィルを見るが、その視線を一身に受けている本人が一番理解できていない様子だった。


「こんなの初めて見……いや、初めてじゃねぇか……」


「え、おれみたいな人いるんですか? だれだれ!?」


 興味津々な様子のラヴィルがアドルフに詰め寄る。額に手をやっている彼はゆっくりと口を開いた。


「……校長だよ、アモル校長。そうか、入学式のときに言ってたのはそういう……」


 アドルフは意味深長に頷いたかと思うと、「ラヴィルに関しては方針が決まった」と確信を持って言う。


「アストベリーは……そうだな、俺に制限魔法をかけてみろ」


「え、でも……」


「成功するかどうかは関係ねぇ。とりあえずやってみるんだ。なんでもやってみなきゃわからねぇもんだからな」


 アドルフに遠回しではありながらも背を押され、ルシルは肩の力を抜くために深呼吸をして「で、では、いきます……!」と詠唱を始める。


「『静寂の守り手、喧擾の地に安寧を』……」


 その魔法は青白い光となってアドルフへ肉薄する。が、案の定その魔法が彼の動きを止めることはなかった。


「やっぱり……」


「ああ。失敗したが、アストベリーも原因がはっきりした」


 ルシルは微かな希望を持ちながら、その言葉の続きを待った。


「魔法を発動させるとき、無意識で魔力をセーブしてるな。必要な魔力を使ってねぇから発動しない……魔力量に自信がない奴がやりがちなことだ。俺もそうだったしな」


 ルシルは改めて今までの自分を振り返る。あのとき、ルシルは魔力計測でわかったその魔力量を見て────スカーレットと見比べて、だったにもかかわらず落胆したのだ。


 わかっていたことだった。自分がスカーレットより劣っていることは。魔力質も、魔力量も、スカーレットには及ばなかった。だからこそ、その差を埋めるべく、無意識のうちに無駄な魔力を消費しないようにしたのだ。


「……でも、魔力量を増やす方法があるんですよね」


「いや、ない」


 あっさりとアドルフは断言した。……断言されてしまった。


「え」


「魔力質を高めることはできるが、魔力量は生来のもので変わることはない。……変えられないが、それ以外にもやりようはある」


 ルシルたちを安心させるような声音でアドルフは言い、ほんの少し口角を上げた。


「二人に合わせた練習法の準備をしておく。今日のところは解散だ」


「はいっ、よろしくお願いします!」


「お前も帰るぞ、洗濯係」


「あー! そうだった!」 



 * * * * *



「教える、とは言ったものの……私らは魔獣との戦闘経験があるだけなんだよなぁ」

 

 スカーレットがイリニティ寮へ突撃した翌日の昼休み。スカーレットが師の対価としておごったボロネーゼをフォークに巻き取りながら、ヴェロニカは言った。ちなみに、この昼食を奢るまでは長かった。コーネリアが提示したこの案に、ヴェロニカはいい顔をしなかったからだ。後輩に奢らせるなんてとんでもない、と主張していた彼女をスカーレットとコーネリアで必死に言いくるめ、今に至る。


「懐かしー。ちぎっては投げーしてた頃……つっても、ほんの一週間くらい前だけど」


「お二人の故郷では、魔獣が活動的だったんですね」


「まあねー……私らのいた村には固有名を持った魔獣がいたから、その影響で。"ジェヴォーダンの獣"っていう、女の子だけを狙って食い殺す魔獣」


 魔獣は基本的に名を持たない。種族ごとに類別しようにも、魔獣には近しい姿形をしたものがほとんどいないため、魔法を使うヒトとは異なる獣全般を『魔獣』と呼称している。しかし、中には数十年にわたり、人々を脅かしてきた伝説の魔獣がいる。口伝くでんのみで広まった彼らは、ただそこに存在しているだけで他の魔獣を活性化させる。


「そいつから村を守るために、うちの家族────魔獣狩りの一族が滞在してるってわけ。そんなわけで、対人戦なんてやったことないし……そもそも、魔法使い同士の戦闘は授業でも習わないしねー」


「ええ、もちろんわかっています。……私はんですから」


「んー? アレとは充分渡り合ってたと思うけど?」


「いえ、私が使える攻撃魔法と言ったら爆炎魔法くらいしか習得していません。……実を言うと、私は攻撃魔法を必要だと思っていなかったし、これからも覚えるつもりはありませんでした」


 ヴェロニカとコーネリアは顔を見合わせ、ただスカーレットの言葉の続きを待っている。


「人を傷つけるような魔法は『魔法』ではない────それが私の信条で、信念でした。…………でも、そんなことじゃ何もかも守れないと思い知りました」

 

『魔法は神秘だ。誰かを傷つける攻撃魔法なんて、神秘に対する冒涜だ』


 かつてのスカーレットはそういきどおっていた。だが、今はそんな自分に憤っている。


 攻撃魔法を使ってでも、守らなければならないものがある。


 もしあのとき、先輩方の助けが間に合わなかったら? ────自分も、ルシルも、ここにいなかった。


 確かに魔法は神秘そのもの。だが、それは人類の生きる術であり、手段だ。


 守りたいものを、守り通す。そのための攻撃魔法だ。


「私の幼馴染が、私のことを信じているんです。誰にも負けない、何でもできる幼馴染だと。それに、私は応えたい……!」


「……なるほどね。後輩の頼みだし、じゃんじゃん教えっから、ちゃんとついてきなよ?」


「もちろん。望むところです」


「ねぇねぇ、スカーレット。……劫火ごうか魔法、興味ない?」


 スカーレットは瞠目どうもくした。何故なら、劫火魔法とは百冊に近い魔導書を読み漁ってきたスカーレットでさえも聞き覚えのない魔法だったからだ。


「もしかして、昨日の火柱の……!?」


「そう、あれ! もっと魔力使えばあの森一帯は燃やせんの。火炎系魔法だったらいっちばんの火力!」


「んなやべー魔法をほいほい使うなっつの」


「だから威力低めにしてたじゃん」


 ヴェロニカは「そういう問題じゃないんだけど」とまだ口を尖らせていたが、これ以上は無駄だと判断したのか、視線を外して食堂の時計を見やる。


「微妙な時間だし、特訓は放課後からか」


「スカーレット、ババロアも頼んでいい?」


「コラ、後輩相手に奢らすなって────」


「頼んできます!」


「スカーレットぉー! こいつを調子に乗らすなぁー!」



 * * * * *



「こいつを調子に乗らすなぁー!」


 ルシルが食堂から聞こえてきた声の方を見ると、スカーレットと先日の戦闘で助太刀してくれた二人の姿があった。スカーレットの言っていた『当て』というのは、彼女たちのことだったらしい。


 私も頑張らなきゃ、と気を引き締めてルシルは席を立つ。


 食堂を出、まだ時間があるため、図書室でさらに魔法の知識を深めようと歩いていたルシルはふと、渡り廊下から校舎への入り口に飾られた絵画の前で立ち止まる。校舎内の至るところにある絵画たちはタッチや色使いが異なり、その大体が在校生によるものだったが、中には卒業生の制作したものもあるようだった。そのどれもが見た者の目と魂を奪う危うさを内包していた。


 目の前にある油絵らしいそれは、森林の風景を描いているようで、海中のような静謐せいひつ清冽せいれつが介在していた。


 不可解かつ凄絶なまでの美しさ。そのふたつが、そこにはあった。


 生憎、ルシルに審美眼は備わっていないものの、単純に綺麗だと思うのだった。


 ……と、そんなことを考えていたからだろうか。絵画から目を離し、一歩足を踏み出したとき、前方不注意だったルシルは思わぬ衝撃を受けた。


「わっ!?」


「うわっ!?」


 その衝撃は、目の前にいた何者かと正面衝突してしまったことに起因することだった。


「すみません! 大丈夫ですか?」


「うん。こちらこそごめんね。痛くなかった?」


 クリーム色のカーディガンを着用している相手の少女は穏やかにそう尋ねた。オパールグリーンの髪を腰元まで伸ばし、その一部を二つ結びにして肩の前に垂らしている。幼さも大人っぽさも兼ね備えた髪型がとても似合っていた。


 ルシルは「はい、全然……」と答えたところで、少し考え込んだ。


 その瞬間、ルシルの脳裏にはまるで天からの啓示かのような、直感的な『何か』がもたらされた。言語化することのできない『何か』は、どうしてもこの少女に伝えなければならないというあやふやな確信を持ってルシルの口から飛び出した。


「…………あの私、今からたぶん変なことを言うと思うんですが、全然当たってなかったら流してください」


「え? ええ……」


「………………会いたい人がいるなら、会いに行った方がいいと思います────行かないと、後悔するかもしれません」


「…………………………」


 彼女は息を呑んで、黙り込んでしまった。その反応から、ルシルはやはりこんな意味のわからないことを言わなければよかったと急激な羞恥心に襲われた。


「いや、やっぱり忘れていただいて」


「────ううん、ありがとう。おかげで吹っ切れたかも」


 訳のわからない発言だったというのに、彼女は感謝を告げて晴れやかな笑顔で立ち去っていった。


 ……とはいえ、この出来事はルシルの中で忘れ去りたい黒歴史に刻まれることとなった。





「さっそくだが、お前らはペンのインクが切れそうなときどうする?」


 いの一番に校庭で準備運動をしていたルシルと、少々遅刻気味で到着したラヴィルへルドルフが意図の見えない質問をした。


「切れたらアルフィーに借りる!」


「購買で予備を買いますかね……」


「俺が欲しかった回答はアストベリーの方だったんだが……ラヴィル、お前少しは自分の力でやらねぇと頼り癖になっちまうぞ」


「ハッ、たすかに……いつまでもアルフィーを頼ってちゃダメっすよね!」


 きっちりと寮生の指導を行っているあたり、さすが寮長というべきか。アヴェリード寮では寮長からして放任主義であるため、全体的に自由な雰囲気だ。逆に、副寮長が寮長に小言を投げられている姿をよく見かける。それを子どものように耳を手で覆い、聞こえないフリをしている姿も。


「若干話が逸れたが、アストベリーに教えようと思ったのは『魔力の予備』……その作り方だ」


 そう言うと、アドルフは左手に魔力で可視化した、タンクのようなものを形成した。


「人は生まれつき魔力を貯める器があり、魔法を使うときはそこから魔力が消費される。それは時間の経過で自然と回復する」


 その説明通り、左手のタンクの中身が減り、徐々にそのかさは戻っていく。


「……が、それにも上限がある。魔力量っつうのはその回復上限のことだ」


 その講義をルシルは慣れたように相槌を打ち、ラヴィルは既にいっぱいいっぱいになっている様子で、今にも頭から火が出そうだ。


「前にも言ったように、その器の容量は変えられない。けどな、俺らの先人は考えたもんで、魔力切れにならねぇようにを編み出した。魔力の応用手段の中では『ストックタイプ』と呼ばれている」


「はっ! なるほど、それでペンの話だったんすね!」


 例え話があることで理解が深まりやすかったのか、ラヴィルが手の平を拳で叩いた。


「アストベリーは自分の中に新たな器官を作り出す想像をしてみろ……とは、急すぎて難しいだろうから、これの出番だ」


 アドルフが収納魔法で生成した亜空間からひとつの小瓶を引っ張り出した。その小瓶はどこにでもある何の変哲もないものに見えるが、小瓶からは手のような赤い管が二本伸びている。


「ストックタイプの練習魔法具だ。まずはこれに魔力を移す。そんで、この管を頭に装着すると、器官を作るためのサポートをしてくれる。その器官を維持し、魔力を貯められたら合格だ」


「はい……やってみます!」


 アドルフから小瓶を受け取り、ルシルは身体の中心部から掌中へ魔力を流すイメージを浮かべる。それは現象として発現し、小瓶はラズベリー色で満ちていく。魔力に呼応するように、掌で包めるほどの小瓶は徐々に大きくなり、どんどん魔力を貯めていく。


「初めはそのくらいでいいだろう。あとは管をこめかみにつけて、体内にそれと同じくらいの小瓶を作るイメージで器官を作る」


「はい、これを体内に……」


 伸縮自在な赤い管をこめかみに貼り、言われた通りのイメージを形成する。暗く赤い体内で小瓶の輪郭をかたどり、それを確たる線として結ぼうとする。が、線で結ぶよりも先に輪郭が朧げになり、すぐに崩れていってしまう。


 既視感のある失敗。それは、多重拘束魔法を練習していたときと同じだった。

 魔法は第一に想像力、第二にそれを補助する言霊だ。ストックタイプには特別な呪文は存在しない。逆に言えば、のだ。


 難しいことではない。数々の先人たちが成し遂げてきたこと。その中には、きっと天才にはなれなかった者も────ルシルのような者もいただろう。


 凡人でも、できる。膨大な時間を費やし、努力すれば、届かないことなどない。


 ルシルが瞳を閉じて集中を始めたのを見届け、彼はラヴィルに向き直る。


「お、おれ、集中力には自信ないっすよ……」


「そういうことはあるときだけ言え。……安心しろ、お前の注意力が散漫なのはもうわかってる」


「え、三万もあるんすか!?」


「辞書でも持ち歩いてろ、お前は!」


 ルシルが必死に笑いをこらえながらその会話を聞き流すものの、その肩の震えは隠せていなかった。


「お前の場合は単純明快…………魔法を発動させるとき、魔力を上乗せするだけだ」


「……んん? 上乗せ? もったいなくないですか?」


「お前ほどの魔力量なら心配する必要はねぇ。……いいか? お前はあのアモル校長にすら匹敵するほどの魔力がある。その校長が同じやり方であの強さなんだ、お前にだってできる。……それに、一説によると"はじまりの魔法使い"カフカも魔力質は高くなかったらしい。ただ、魔力量は凄まじかったからこの方法を使ってたっつー話だ」


「の、脳筋……?」


「かもな」


 口元だけで笑うアドルフの激励を胸に、ラヴィルは深く深く頷く。


「……はい! じゃっ、試しに今日失敗した発光魔法を!」


 呪文すら必要のないクラスDの魔法。魔力質の最低値を叩き出したラヴィルにはそれすらも思うように発動させられなかった。……それも、もう過去の話だ。


 眉間に皺を寄せ、ラヴィルは鬼の形相で自分の掌を睨んでいる。より多くの魔力を、想像した光へと注ぎ込む。


「うおおおお、光よー!!」


 高々と掲げたその掌底から発せられる魔力と嫌な予感を感じ取ったアドルフだったが、もうラヴィルを止めるには遅かった。


 ────煌々こうこうと、そこに第二の太陽が出現していた。


「ラヴィルー! 魔力を込めすぎだ!!」


「ま、眩しい……!」


「うわぁー!? これどうやって消すのー!?」


「……ったく、手のかかる後輩だ」


 アドルフはあまりの眩しさに目を細めながら、両手を上げて慌てふためいているラヴィルへ接近し、その腕を掴んだ。何事かを呟き、掴まれたその手が微かに浅蘇芳あさすおう色にまたたいたかと思うと、そこに鎮座していた第二の太陽は消えていった。


「込める魔力はゆっくり上昇させること、いいな?」


「はい……サーセン……」


「アドルフ先輩、今の魔法って……?」


「あぁ、あれは教えようにも俺以外の誰にも使えない、『特異魔法』ってやつだ」


『特異魔法?』


 二人が息ぴったりで首を傾げる。おそらく、一年次の授業ではまだ習わないことなのだろう。


「特異魔法は個人ごとに効果の異なる、そいつだけの魔法だ。だから、俺の特異魔法は俺以外には使えないし、他の奴の特異魔法も使えないってわけだ。一般的な魔法よりも強力だが、発動できるかはそいつの技量次第だな」


「なるほど、つまりおれにはカンケーないっすね!」


「うっきうきで言うな」


 アドルフは頭をがしがしとき、収納魔法による亜空間から辞典ほどの分厚さのある本をラヴィルへ渡した。


「魔力について教科書より詳しく書いてある。分量も多いがな。読んでおけ」


 ラヴィルは苦虫を噛み潰したような表情で、「あい……」と弱々しく答えた。あの分厚さはルシルでも読破に根気が要りそうだ。


 そこへコバルトグリーンの滑らかな髪の少年が「寮長」とアドルフへ駆け寄った。その眉は申し訳なさそうに垂れ下がっている。


「お話中すみません。また寮生たちが私闘を始めまして……仲裁をお願いできませんか?」


「副寮長でも駄目だったか……わかった、すぐに行く。二人とも、悪いがあとは頑張れよ」


『ありがとうございます!』


 アドルフはわかりにくくはあったが少し微笑み、少年とともに寮長としての責務を果たしに行った。


 その後も二人はそれぞれの特訓に励み、行き詰まると互いに相談し合った。


「ルシルって発光魔法使うとき、どのくらい魔力使う?」


「うーん、このくらい?」


 ルシルは硬貨ほどの輪を人差し指と親指で作り、ラヴィルは「ふむふむ……」と頷いた。


「あ。ねね、ここに書いてあることってルシルにも関係ありそうじゃね?」


「どこどこ? ……『魔力の器は心臓付近にある』……? じゃあ、予備の器もその付近にあるべきなのか……。ありがとう、参考になったよ!」


「おー! おれもそろそろコツ掴めそう!」





「寮長、よかったんですか?」


「何がだ」


 すたすたとスペルイド寮副寮長、エルデ・ベヒローグの前を行くアドルフの顔は見えない。


「あんな回りくどい参考書を渡すよりも、直接言ってあげればよかったのでは? 魔力質を低下させる、魔力内の不純物────それが悪魔の求めるエネルギー源だと」


 ラヴィルの保有している魔力はまさに悪魔にとっては垂涎すいぜんものだ。とはいえ、悪魔が強制的に契約を迫ることはできない。人間から悪魔に接触するならまだしも、その逆を行ったならば、即刻審統機関に捕捉され、今後一切人間に干渉することはできない。最悪、そのまま消滅させられるという。


「他人に悪魔との契約を持ちかけるのは法律違反だろ」


「……寮長って案外真面目ですよね」


「案外とはなんだ。…………それに、あいつ自身が気づかないと意味がない」


 アドルフはただ、前を向いていた。向き続けていた。エルデは尊敬する寮長の後に続き、「それもそうですね」と首肯した。



 * * * * *



 放課後になり、スカーレットは二年生の教室前でコーネリア、ヴェロニカと合流した。


「おーっし、やっるぞー!」


「なんでお前がやる気満々なの?」


 先行する二人の数歩後ろを歩くスカーレットは、彼女らへ行き先を尋ねる。


「特訓ってどこでやるんですか? 校庭とか?」


「森でいいんじゃね?」


「森林破壊する気か!」


 ヴェロニカは先日の劫火魔法の火勢と、火炎系魔法の中では最高火力という触れ込みを想起し、ツッコミを入れる。


「だーいじょうぶだって、ライリーから結界魔法借りてきたから」


「ちゃんと返せよ? 絶っ対に返せよ?」


「なにそれフリ?」


 おちゃらけた態度でぬらりくらりとしているコーネリアに対し、「チッ!」と盛大な舌打ちが与えられた。


 結界魔法は普通、他者の侵入を阻む結界魔法と結界外からの魔法を中和する防衛魔法と組み合わせて使用している。ところが、コーネリアが魔弾研究会から借りてきたという結界魔法に付与された防衛魔法は『結界外』の魔法ではなく、『結界内』の魔法を中和するようだ。人・物に害を与える魔法が中和されることから、この結界内で生徒が傷つくことはないのだ。


 ただ、その構造上、結界魔法本来の外からの侵入者を阻むという効果も反転し、内からの逃亡者を阻むという効果になっているそうだが。


「世界中の結界も、この防衛魔法の応用で対魔獣用になっているんですよね」


「そうだねー。この結界魔法も校長が組み上げたもんだし」


 緑黄の魔法球を掌で転がしながら、コーネリアは答える。


 防衛魔法の表面に流れている、相容れないはずの奇蹟。それこそが魔法を中和する要素だ。


 悪魔の魔法は、相対する天使の奇蹟によって中和される。────ならば、大結界が不可侵としている〈宇宙からのコエ〉は、一体どうやって中和しているのだろう? 影響力を弱めているということは、〈宇宙からの聲〉に作用する特効薬のようなものがあるはずだ。


「先輩方は大結界の仕組みはご存知ですか?」


「さあ? そういや、大結界の方は聞いたことないわー。ロニー知ってる?」


「知るか。どうせ機密情報扱いだろうし」


 青空の下の、もう何度も来たことのある蒼々と生い茂った森に到着し、拝借してきた結界魔法の準備を終えた三人。


「さぁて……スカーレットは攻撃魔法をじゃんじゃか覚えたいんだよね?」


「攻撃魔法もなんですが……ロペス先輩が使っていた多重拘束魔法についても教えていただきたくて」


「あー、バーグマン先生にでも教えてもらった? これ、最初の頃は失敗しまくってたんだけど……」


 ヴェロニカが杖を振り、光輪が浮かんだと思えば消え、最終的に八重の光輪がコーネリアの動きを封じる。……拘束魔法は害を与える魔法に含まれていないようだ。


「アレぇ!? なんで私に!?」


「スカーレット、所感は?」


「……一つ目の拘束魔法に失敗しても、次々と拘束魔法をかけていっているように見えました。一つの光輪を維持させるよりも、その後続をかけ続けることが成功のコツ……ということでしょうか?」


「お、一発正解。やるじゃん」


 スカーレットがすぐさま答えに行き着くと、ヴェロニカは満足げに頷き笑った。その間も拘束魔法をかけれているコーネリアは「ちょ、そろそろ解いてこれー……」と苦痛に顔を歪めている。昨日、イリニティ寮でのどたばたに巻き込まれた私怨も含まれていそうだ。


「ゴリ押しも魔法には大事! 結果的に発動すりゃいいんだから」


「魔法使いって脳筋多いよねー」


 ようやく拘束魔法を解かれたコーネリアが軽く伸びをする。ヴェロニカは「あ?」と喧嘩腰で再び拘束魔法を展開するが、さすがに二度も同じ手は食わないとでも言いたげな様子でコーネリアは余裕綽々とかわした。


「よし、スカーレット。奴を標的にしてしまえ」


 もはや隠す気もない私怨だった。コーネリアが目を見開き、「えぇー?」と不平を口にした。


「先輩を的にするのはちょっと……」


「ほらね、ロニーと違ってスカーレットは善良だから」


「お前に言われたかねーよ」


 コーネリアは髪を一本引き抜くと、それは次第に鳥の形へと変化していく。襲撃事件でも使用していた魔法生物精製魔法だろう。


「動き回る生き物だと難しいかなー」


 コーネリアは挑戦的に笑った。それが奏功し、スカーレットは俄然がぜんやってやろうという気になった。元来は自分にできないことがあるとやれるようになるまで一切の妥協を許さないため、それが彼女の煽りと相性がめっぽうよかったのだ。


「そんなの拘束魔法より制限魔法の方が────」


 効果的に決まってる。


 そう言おうとしていたヴェロニカは呆然と、客観的に見ても間抜けとしか形容できない口を開けたままの状態でぴたりと止まっていた。


 そこには怒涛どとうの如く魔矢を射出し、鳥の逃げ道を誘導。そしてまんまと予測していた地点へ飛んでいった鳥をカーマインに発光する幾重いくえもの光輪にからめ捕るスカーレットの姿があった。その方法は、まさにヴェロニカが鎧を捕縛するために採用したものだった。


「魔矢はほとんど魔弾と扱いは変わりませんね。弾自体に効果を付与できる魔弾と、速度をいじったり追尾させられる魔矢の使い分けは難しいところですが」


「ま、まだ教えてなかったのに……」


「あれ、もしかして先輩風吹かせたかった感じ?」


 よほど悔しかったのか、膝から崩れ落ちたヴェロニカをあざけるようにコーネリアが笑い、「うるせー……」と平生を装って悪態は吐くものの、立ち直れていないのが見え見えなヴェロニカ。


 現在のスカーレットは味わったことのない敗北感のおかげで魔法に対する解釈が深く、また魔法自体の切れ味も鋭くなっている。無敵とも呼べるほど、頭に血が上っていた。


「……こりゃ、劫火魔法もすぐに使いこなせちゃうなー」


 末恐ろしさを覚えながら、コーネリアはそれでも愉快に笑っていた。

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