花屋夢想~猫耳少女の願い事~

くろゐつむぎ

第一章 畑の隅の猫耳少女

畑の隅の猫耳少女(1/4)

 ガラス張りの温室に作られた畑の片隅で、見知らぬ少女が壁に背を預けて座り込んでいた。


 動きやすさを重視した簡素な布の服にショートパンツ。短く切り揃えられた真っ黒な髪に、日に焼けたものではない、生まれついた体質による浅黒い肌。


 彼女の細くしなやかな手足は、さながら冒険者のようによく引き締まっている。


 まだ年端もいかない、何の変哲もないただの少女のようだった。


 だが、頭頂部から顔を出す、彼女の髪と同じ色をした猫のような大きな耳が、彼女が人間ではない人間――亜人であることを雄弁に物語っていた。


「こ、こんばんは……。お邪魔、してます……」


 亜人の少女が、震える声を絞り出す。


 アーモンドのようなぱっちりとしたツリ目で、目の前に立つ男を見上げている。


 歳は二十代後半か、三十代くらいだろうか。平均よりもやや高い背丈に筋肉質な体躯。シンプルなデザインのシャツに黒の長ズボン。なんの変哲もない、至って普通の人間の男性だ。


 至って普通の、人間の男性だ。


 亜人の敵である、人間の男性だ。


 そんな彼は亜人の少女を目の前にして、不気味なほどに無反応、無表情を貫き通している。


 彼の右手には夜闇を照らすランタンが、そして、左手には農作業用のシャベルが握られていた。


 とっくに日も落ちたこんな時間から、土いじりを始めるとは思えない。ならば、なぜ彼はそんなものを手にしているのか。


 侵入者に対する武装。そう考えるのが自然だ。


 温室に忍び込んだ痕跡を消す余裕などなかった。踏み荒らした畑の土が侵入者の存在を示し、入り口からここまで点々と続く、少女の血の跡が男をここまで導いたのだろう。


 そして男がまた一歩、少女の元へと歩み寄る――。


「こ、来ないでっ!」


 少女は腰に差した、大ぶりな鉈のような武器を抜き払い、男に向けて突きつけた。


 敵意、恐怖、警戒心。彼女の金色の瞳に様々な感情が宿る。


 視界の隅が霞む。呼吸が荒い。突きつけた鉈の切っ先が小刻みに震えている。


 左肩の傷から出血が止まらない。ここしばらくろくな休息も取れていない。


 もっと自分に力があれば、こんな失敗を犯さずに済んだのに。そんなないものねだりが少女の頭をよぎる。


 男は少女のむき出しの感情を気にすることなく、さらに一歩近づくと、少女の前にかがみ込んで目線を合わせた。


 少女の肩がびくりと跳ねる。


 男の口が開かれた。


「誰にやられた?」


 一瞬、彼の問いかけの意味が分からなかった。


 ややあって、彼の言葉の意味を理解した少女にさらなる疑問が生まれた。


(今の、私に言ったんだよね?)


 彼が口にした言葉は、敵対する相手にかけるようなものではない。


 そればかりか、彼は少女を気遣う素振りすら見せた。


 だが、少なくとも彼は、侵入者に対して警戒心を持ってこの小屋に入っている。左手に握られたシャベルがその証拠だ。


 ならば、その警戒心が解けたのはいつか。


 侵入者である少女の姿を目にしてから。そう考えるのが自然だ。


 その少女が亜人であったにも関わらず、だ。


 彼が何を考えているのかが読めない。


 彼とどう接するべきかが分からない。


 だが、言葉を返さないわけにもいかない。


 返答を静かに待つ男に、少女は恐る恐る口を開いた。


「誰、っていうのはないけれど……」


 言い切る前に、彼女の大きな耳がぴくりと動いた。ぱっと意識を目の前の男から小屋の外に移し、ガラス張りの壁の向こうの暗闇をじっと見つめる。


 その直後、犬の遠吠えのような、遠くまで響き渡る魔物の鳴き声が二人の耳に届いた。

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