如何にして彼はメガネくんとなるに至ったか

鴻 黑挐(おおとり くろな)

2025/5/6 21:28 聖バシル大学附属病院

 深夜。病院の地下駐車場に車が滑り込む。高級車とまでは行かないがかなりグレードの高い国産車だ。

 ガラ空きの駐車場に静止した車の運転席から眼鏡をかけた青年――あおが飛び出した。

「ったく、連休最終日だってのに……!」

悪態をつきながら蒼は職員用の通用口に向かって走り出す。


 夜の大学病院は静かに、そして同時に忙しなく動いている。

「アガワ先輩。お疲れ様です」

宿直の若い医師――蓮出はすいでひじりが、息を切らして駆け込んできた蒼に一礼する。

「あれ?先輩、視力は悪くないはずじゃ……」

蓮出はすいで。何度も言っているけれど、僕はアガワじゃなくて亜川おしかわだし、そもそも今は婿むこ入りして宍戸ししどだし……。まあ、いいか」

聖の呼びかけにツッコミを入れつつ、蒼は身支度を整えていく。

「あ。じゃあ、むしろ『ソー先輩』……とか?なんて」

マスクを着けている聖の顔色を伺う事は出来ないが、軽口をたたく彼のひとみが不自然に揺れているのは見て取れる。動揺どうようしているのだ。

(まあ、研修終わりたての新人が救急搬送されてくるようなご遺体を見て動揺しない訳はないか)

「ご遺体の受け入れは君が?」

蒼は使い捨てのガウンを羽織りながら、目だけを動かして聖を見る。聖は何も言わずに小さく頷いた。

「ありがとう。良く頑張ったね」

聖はのどからせりあがってきた吐瀉物としゃぶつを飲み下してうなずいた。

「……解剖の同意書には、弟さんから署名を頂いているので。狩野かのさんの準備出来たら入れます」

「ああ、あの臨床監査技師りんしょうけんさぎしさんか」

蒼は聖が差し出したカルテを受け取る。

「焼死体か……」

カルテに目を通す蒼の視線が止まる。

安倍あべ亨子きょうこ、三十二歳。レンタカー借りて富士山麓ふじさんろくまで家族三人でキャンプ行って、その帰りの事故……、かわいそうに」

聖が目を伏せる。

「先輩?聞いてます?」

が、その姿は蒼の目には映っていない。

「キョーコさん……」

蒼が空いている右手で眼鏡のツルにそっと触れる。

「どうして……。あんなに強くて、優しいひとが」


 蒼と亨子が出会ったのは今からさかのぼる事七年前、蒼が大学二年生の時の事だった。

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