14話
私の完璧な夏休みの計画を紹介しよう。朝は一学期と変わらない時間に起床して、同じ時間で支度をして同じ電車に乗り込む。スマホでお気に入りの作品の閲覧数が増えていることを確認してからしこたま通読する。ひとしきり楽しんでいると視界の端に映る駅名標で現実に戻され誰に責められるわけでもないがおずおずと下車する。長い長い一本道を無心で行進し校舎へ辿り着くまでの難所を愚痴をこぼしながら登る。汗水が目に入ったりするのでハンカチで拭い取りながら。下駄箱に運動靴を預けコンピューター室に昼まで監禁される。汗みどろの状態で冷房の直撃に耐えなければならない拷問を受け流してひたすらに参考書の写経をして解放。このまま帰宅したいところだがそうは問屋が卸さない。これから発生する拘束数時間を、私は密かに残業タイムと呼んでいる。階段を上って下って連絡通路を跨いで一年生の棟、私の席がある七組に移動した。がらんとした教室に、ペアの女の子。見知った顔ぶれ。残業タイムお決まりの面子。
「優花お疲れー。一回お昼にしようか、
渡辺さんに福本さんと呼ばれた彼女はコクンと頷き、ブラシを置いて渡辺さんと一緒にペンキ濡れになった両手を洗いに行った。どうやら渡辺さんの幼馴染のようで、幼稚園に頃からの付き合いらしい。ここ最近、三人でピクニックみたいにして昼食を取るのが習慣になっていた。ところどころ禿げてしまったパーケットフローリング。敷かれたブルーシートの上に安物のベニヤ板。ベニヤとシートは学校から配られたもので、各クラスは自分たちの出し物についての宣伝看板を用意しておかなくてはならない。本来であればクラスメイトがわらわら集ってちまちま描いて提出するものらしいが、教室を見渡す限りそんなことは起こらない。誰も来ないしタテカンは全く出来上がらないので、健気に集まる女子のトリオでなんとか回しているのが現状。私だって文句の一つや二つはあるけれど、彼ら彼女らは部活動なり勉学なりで忙しいのだろう。そう思い込むことにした。
「お待たせー」
渡辺さんはコンビニのビニール袋、福本さんは保冷バックを持参してこちらに歩み寄る。地べたに座って駄弁りながら午後の作業に向けて英気を養う。これまでの私からしたら信じがたい光景だ。まさか自分が、少数とはいえ仲良くしてもらっている人たちと食事なんて。
各がが似通ったタイミングで食べ始めた。こうして観察してみると、さりげない所作一つ取ってもその人となりが滲み出ているのが面白い。渡辺さんは必ずあぐらだし、私は基本正座。いつも授業中や学年集会でみんなを整列させている時は恐ろしいほど模範的な姿勢なのに。不思議だ。福本さんに至っては正座から膝小僧を左右に広げ、ペタンとお尻を床につけた煩雑な方法を好んだ。一度痛くないのか尋ねたら、昔からずっとこの座り方だから平気なのだそう。渡辺さんは関節にも悪いし骨盤も骨格も歪むのですぐ止めるよう忠告していたものの、当の本人には響かなかったようで先に渡辺さんが折れた。
夏真っ盛り。今日もテレビ画面のワイプに熱中症への注意を促す文言が添付されていた。カビ臭い日に焼けたエアコンが私たちの生命線。アルミの窓枠からモクモクした入道雲が覗く。
「ねぇ。劇の時代設定ってどのくらい」
福本さんが私に問いかけてくる。彼女は私みたいな人見知りカンストウーマンではないので、結構ズバズバと要点を簡潔にまとめてハッキリ喋る。いつも教室の隅で手芸の本なんかを読んでいるのは喋る必要がないからとのこと。
「あっえっとですね、一七世紀の後半ですかね」
「マジで。中世じゃないの」
「ベタな異世界の設定って大航海時代よりも後じゃないと辻褄が合わないんです。よくジャガイモそのものか酷似した作物を主人公が育てて調理することで料理チートしたり飢饉を回避する展開があるんですが、ジャガイモは南アメリカの原産なので史実のヨーロッパには元々存在しなかったんです。トマトやキュウリもどきもそんな感じです。元ネタのアイルランドで発生したジャガイモ飢饉は一八四五年からですし。それによく港湾都市なんかでヒロインとのデート回を挟む時にキャデラック船やガレオン船が停泊していることも珍しくないです。歴史上で有名なのは一四九二年にコロンブスが西インド諸島、あ、インドって言っても新大陸です。その時に乗船してたサンタ・マリア号やマゼランと愉快な仲間たちが西回り航路での世界一周を果たしたビクトリア号はキャデラック。アルマダの海戦でスペインの無敵艦隊が率いてた大半がガレオンでした。記憶が正しければ」
「そうなんだ。初耳」
「得意な分野だけは饒舌」
「すみません私喋るのが体育とピーマンよりも苦手なんで……」
「ピーマン苦手なんだ」
「あっ大嫌いです」
福本さんが口に運んでいた箸を一旦ストップしてお弁当のピーマン炒めを摘む。もしかして…………!
「ちちちょっとその忌ま忌ましい物体を近づけないでください! ホントにムリなんで! 泣き、泣きますよ? おもちゃ売り場で駄々こねるショタ並に泣きじゃくりますよ??」
唇に押し付けてくる気だ! 生命の危機を感じてつま先を曲げ、体をのけぞらせて回避しようとした。バランスを崩す。まずい、頭から倒れる。
隣でおにぎりを齧っていた渡辺さんが瞬時に反応して私の後頭部を保護する。衝撃が来ない。危機一髪で助かった。
「あっぶなあ。ったくもう、気をつけて」
生命の煌めきを迸らせるような、目配せした者を吸い込む魔力を秘めた、天性の瞳。
「…………! あ、ありがとう、ござい、ま、す………………」
「ゆうか。ごめん。怪我させるつもりはなくて、その」
福本さんが肩を落として、申し訳なさそうな声色でそう言った。彼女はとても情緒豊かだ。抑揚は平坦だし表情筋がご逝去あそばされているので、遠目からだと仏頂面のような出で立ちなのだけれども、口角がほんの僅かに上下するのだ。互いにコミュニケーションを交わすことで見えてきたもの。
「ぃえいえ、私は無事なんで! 今回は私のクソザコフィジカルが祟っただけです! どうかそんなに落ち込まないで!」
「……ありがとゆうか。ごめん。次からしない」
張り詰めた空気が緩んだ。次からは大袈裟な反応は控えよう。また一つ、人間関係における距離感みたいなものを学習できたかもしれない。
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