13話
うだるような猛暑に脳みそが沸騰しないか心配になる。ジリジリと照りつける直射日光と蝉時雨のスコールを浴びながら、二人きりで駅を目指す。
「ライトノベルは人類史で俯瞰すればまだまだ首の据わっていない赤ちゃんですが、ミクロで見てみると一九八〇年代の辺りに出現したと考える人が多いので、私のお父さんぐらいの歴史はあるんですよ」
アスファルトで乱反射された紫外線。サラダ油を適量垂らしたフライパンに落とされる鶏卵に感情移入するときの参考になるかも。全くもって使い道のなさそうなシチュエーションだ。
「へぇ。なんかつい最近ぽっと出てきたどこの馬の骨だかわからないって思ってたけど、かなり前からあるんだ」
「古典のように扱われている作品だっていくつかあります。私はにわか者なのでまだ履修できれませんが、『ロードス島戦記』に『スレイヤーズ』、『ゼロの使い魔』と『とらドラ!』なんかがこれですかね。まだこの時代のタイトルはこざっぱりしてるのが特徴ですかね。黎明期なんで」
「よくもまあそんなにスラスラと」
「ライフワークですから」
本当に好きなことは、努力や積み重ねといった概念を持ちづらい。私の書くことに対する認識は日々の生活の中で余暇やご褒美として、なんなら速やかに片付けないとマズい課題を後回しにしてフリック入力に勤しんでいる。退屈な英語の授業の時、家族と言葉を交わしている時、布団に寝転がって意識を失う直前までありもしない世界の文化や歴史に思いを馳せている。四六時中飲み食いラノベみたいなことを無意識に行なっている。血の滲むような、といったフレーズが浮かんでこないのは私の才能なのか、それともまだ本気になったことがない証なのか。
「ブレないのねそこは」
お風呂で体を洗う時や歯を磨く時のように、生活に根ざした営みは無意識下で処理される。話に花を咲かせているうちに駅構内に到着していた。人の視線に、熱気。革靴の響きに騒がしい学生の集まり。私の苦手なものばかりだ。さっさと抜け出したい。それでも、渡辺さんとの会話だけは続けたかった。
「いつかは絶対に履修したいんですけど、もう近所の古本屋さんが何軒も立て続けに潰れちゃって。喉から手が出るほどとはこの気持ちを形容するために生み出されたんですかね」
「読了済みの作品だと…………『涼宮ハルヒの憂鬱』くらいしか」
「それなら知ってる!」
「マジですか!」
「あいやーその、名前だけ……」
「『ハルヒ』はなんてったって伝説ですから。英語の教科書にバンバン載るわアニメは京アニが本気を出してヌルヌル作画を颯爽と地上波に放流して業界全体の基準を底上げするわで。どこかの私立大学の入試問題にもなったんですよ! 五月ごろに赤本借りて解いてみたんですが、痺れましたね!」
「待って、解いたってどゆこと」
「あの私、言語文化を除いた国語と世界史探究だけならもうセンターレベルなら余裕なんで」
「なんでこの高校いんのよ。家近いから?」
「あのその、私算数とか理科が苦手で。家は片道電車で一時間ですかね。それからちょっと歩いて。家が遠いのはその…………今までの人間関係をリセットしたくて」
「そっか」
意図しないタイミングで渡辺さんに抱きしめられた。近い。心臓の鼓動がダイレクトに伝わってきそうだ。なんかいい匂いする。引き締まっているモデル体型だからか、そこまで柔らかくはないけど絶大な包容力を感じる。
「えと、葵さん?」
抱きしめる力はさらに増す。ギュウっというオノマトペが聞こえてきそうなほどに。ひとしきり抱いて満足したのか、十秒もしないでパッと解放された。
「またね」
「あ…………え」
突然の出来事にあたふたしている間に、渡辺さんの姿は見えなくなっていた。
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