6話
本来の用途で使ったことのない勉強机で道具を用意する。スマホを放り出して、学校の鞄から細長い筆箱。ひっくり返してシャーペンに消しゴムと定規をセレクト。鍵付きの引き出しからアイディア出しで重宝する自由帳を召喚する。家族とてこれを見られるぐらいなら憤死したほうが幸せなので毎回しっかりとロックして隠し通している。本棚から天地を逆さにして保管している国語辞典を手元に。中学時代に買わさせられたものだけど、不満はないのでそのまま愛用している。これで完了。いよいよ私の本領発揮だ。目指せ満員御礼のマスターピース!
「………………劇の台本ってどう書くの?」
「はえぇ〜。そうかだからト書きかぁ」
液晶と睨めっこを開始して早数時間。途中晩御飯を介して舞台演劇の台本とはなんぞやとサーチエンジンを頼りに探っていく。電子の海でジタバタ犬掻きをして大体の型がわかってきた。そもそも私の想定していたフォーマットとは大きく異なっていた。台本は小説ではない。クリシェみたいになってしまったが、実際そうなのだ。台本には心理、心情描写が存在しない。これはメディアの特性上当たり前のことで、舞台の観客は役者の心まで覗き見ることはエスパーでもない限り起こり得ないから。よって登場人物のお気持ち表明は独白という形でセリフで聴かせるか、演者にボディランゲージで表現してもらう他にない。台本の土台はセリフありき。そこにキャラクターの動作や感情表現の指示、情景の設定をねじ込んで作成する。この台辞以外の文章群を「ト書き」と呼ぶ。これはあくまでもアクターやスタッフへのディレクションであるため、ト書きが音声で読み上げられることは未来永劫ない。元々ト書きは歌舞伎の文化だったらしく、「ト両人歩み寄り」のような指定を口上の前後に挟んだことが由来らしい。
ものすごく不安になってきた。これ、私が苦手なやつだ。
ラノベ作家を目指している身としてはおかしな話だが、私はセリフ回しやキャラ同士の掛け合いよりも主人公の内面を地の文で魅せる方が幾分か得意だ。自分自身が内向的な性格で、他人との関わり合いがめっぽう下手なことが原因として考えられる。主人公を語り部とした一人称を軸にして、そのキャラクターの精神の機微を交えつつ歪んだスクリーンで読者にファンタジックな世界をお届けするのが私の十八番であるが、これから挑戦するべきスクリプトにはそれら一切が通用しない。徹底した三人称視点、ストーリーのありとあらゆる情報を会話と身振り手振りのみで捌き、照明などの装置も適宜利用して効果的な演出を図らなければならない。
行動してみてはじめて直面する、山積みの問題。ノベルに対する知見をある程度有していても、シナリオライターとしてはズブの素人なわけで。レベル一のスライムからスタートするのだ。生半可な覚悟では完遂できない、修羅の道。
「まやるしかないか。自分で選んだんだし」
本格始動は明日の私に全てを託すとして、ダラダラ歯を磨いてから横になる。灰色の世界で今日の出来事を振り返る。貶されることもあった。バカにだってされた。でも、仲間ができた。不意に頬が緩んだ。
まずは大雑把な物語の方向性を確定したい。とりあえず思いつくものからアイディアを並べていく。締切の関係で世界観を丁寧にこねくり回す暇はない。多少強引だが、既存のアセットが用意されているナーロッパのようなものを使いたい。古のRPGゲームが世に拡散した、独特のワールド。日本人に広く受け入れられるようにチューニングされているから面白くするためにそこかしこにカスタムを施す必要がほとんどない。これなら作者しか気にしていないような設定に時間を取られることなくエピソードの制作に集中できそうだ。
HRで意見が飛び交い、お題として必ず入れることになったのが団のテーマカラー。私の高校では体育祭と文化祭共通で所属するチームのようなものが全学年一クラスずつ編成される。今年はオレンジ団の配属なわけだから、橙を活用せねば。さて、どこで活用するか。ヒーローの服装にデザインとして? それでも良いけど安直かなあ。できればもっと、印象に深く食い込むようなキーアイテムの色として役立てたい。役者の数は五人。全員男子だから、ねちっこいラブストーリーやミステリーに仕立てるよりもアクションをやらせた方が本人たちに文句を言われないかもしれない。であれば冒険活劇。剣技、魔術。この二つを前面に押し出すか。主役が旅に出る理由は? 自分探しみたいな今時の若者が現実逃避のために持ち出す、ふわふわとしていて漠然とした動機はNG。劇中に出てくる人物たちの言動は基本的に合理的、論理的にする。もちろん機械的に感情を処理するのがベストであるなどといった暴論を振りかざすつもりじゃない。その心持ちに至るまでの過程もセットで提示し、具体的で一般に納得できるようなプロセスを踏んだ上での情動の発露でなければ、チグハグで突飛な展開に観客が疲弊してしまう。フラストレーションが溜まってお話を理解するのが億劫になる。そこまで行ったらお客さんは退出するか座席でソシャゲに興じているかの二択だ。これだけは最優先で回避したい。
「そろほんへいくか。いっちゃいますか」
イケそうだと感じたらすぐさまアクリル定規でマインドマップと仕分けてプロットに移行。あらすじはこうだ。舞台はテンプレ異世界。主人公で冒険者のエイブルは、寝たきりで病弱な弟ベイカーの難病を治療するため、たちまち万病を治してしまうと村で言い伝えられている秘薬を手に入れるための旅に出る。ここで物語の目標公開を済ます。着地点を知らせて方向性を明確に。このアイテムは水薬でコルクの栓で閉じられたガラス瓶に封入されている。色は着色料でオレンジにでもしておこう。冒険の途中で同じ秘薬を狙っている屈強な剣士チャーリー、頭脳明晰な魔法使いデルタといった追加戦士との戦闘に主人公パワーで勝利し続け、パーティーメンバーを増やしてクライマックスへ。ラストシーンでは薬をひと足先にゲットした悪役エコーをなんやかんやしてフルボッコに。ベイカーの元に戻ったエイブルは、薬を渡して服用するように促す。めでたく寛解したベイカーと共に、最後は大円団で終幕。
家族愛や兄弟愛をウリにした王道を地で突き進むアドベンチャーフィクション。キャラクターの名前は適当に決めた。私は一人のネーミングに数ヶ月は平気で浪費する。キャラ名はいつからでも変更できるので、先にメインコンテンツである物語を生み出す。私は設定資料集を編纂しているわけではないのだから。どこかで見たことがあるようなありきたりなストーリーだが、これで良い。良作は何も難解で、奇抜で、キワモノの頂みたいなものである必要性はない。私は人様を喜ばせることに全力を尽くしたい。であればニーズを見極めマーケティングを行い、受け手が望んでいるであろう作品を提供する。これが良作の条件ではないか。
「くぅ〜疲れたあ。ひとまずはってとこかね。今日はもう寝よう」
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