4話

 昨日から一睡もできないまま日が昇ってしまったので、髪の毛はボサボサ、目の下に薄黒い隈を浮かべて登校した。

 

 つまらないホームルームを、あくびを噛み締めながら聞き流す。六月に体育祭を終えたばかりだというのに、クラスのみんなは文化祭の話題で持ち切りだ。黒板右端に「観桜祭かんおうさいの出し物」と一段大きく記されている。

 

「で、食べ物系は三年生、アトラクション系は二年生に取られちゃったので、あたしたち一年は展示系になりましたー」

 

 教壇に立って右手にチョーク、左手で歩行杖をついているSSSランク美少女が報告する。彼女は渡辺葵さん。クラスの学級委員長で、どんなに面倒な雑務でもニコニコこなす完璧超人。いつも杖を手放さないが足が悪いわけではなさそうで、体育の時間でも涼しい顔で無双している。文武両道でスタイル抜群、元気溌剌で誰に対しても明るく接してくれる。遠足のオリエンテーションでスーパー隠キャムーブをかましていた私にも優しく話しかけてくれたので、渡辺さんは現代日本に舞い降りた聖人に違いない。

 

「はぁ!? じゃあ俺ら屋台できねぇのかよ」

 

 お手本のように日に焼けた、坊主頭の男の子。クラスでいつも中心になってはしゃいでる。

 

「うん。そう」

 

「屋台できなきゃ文化祭つまんねえーじゃん! もせっっかく家からホットプレート持ってきて焼きそば屋やるつもりだったのに」

 

 そろそろ夏休みだ。限界ぼっちの私は誰からも遊びに誘われないだろうし、誰にも邪魔されないし気を遣わない薔薇色の長期休暇、になるはずだった。

 

「うぅぅ」

 

 登校したら、合板の上に正方形のカラー付箋が貼り付けてあった。職員室まで、とだけの書き残し。欲しい情報がすっぽ抜けている文字列。でもこれが意味していることはわかる。数学の、補講のプレミアムチケット。休日のはずなのに強制出勤。中間テストから赤点を量産していたし、さもありなん。

 

「その焼きそばに対する情熱は一体なんなのよ……」

 

 文化祭かあ。私には関係ないよね。みんな楽しそうで羨ましい。あんなにキラキラして、これぞ青春! みたいな日々を送って。アニメとかマンガとかで観たまんま。やろうと思えば自分でチームを編成しギターやベースを持ち込んでライブだってできるらしい。私もギターができればアンプに繋いでかき鳴らしてたのに。ソロで。

 

「じゃあ劇やろ! 劇!」

 

「演劇? まあアリっちゃアリ」

 

 劇ねえ。体育館で人集めまくるんだろうな。私はどうだっていいか。当日休もうかな。どうして補講なんてやるんだろう。そんな酷いことしたって誰も幸福にならないのに。せっかく家で籠城して積読してあるラノベ消化したかったのになあ。

 

「多数決とりまーす。まずフォトスポットの人ー。四人? 四人でいいのね? 次プラネタリウムの人ー。え一人? ホントに一人でいいの? 他いない? ……プラネタリウムなし。ごめんね山村やまむらさん、提案してもらったのに」

 

 クラスメイトの内訳としては意欲マシマシの子が一割弱。その他大勢は長いものに巻かれたい、同調圧力付和雷同をモットーにしたような日和主義者といった勢力分布となっている。どれだけの徳を積んだら私は前者になれるのだろうか。

 

「えー最後、演劇やりたい人はー?」

 

「はぁーい! はいはいはい!」

 

「えーと、十五、十六、十七。それと十八。十八ね。では多数決の結果、17Rは演劇で決定しました」

 

「このクラス四十人はいるはずなんだけどねぇ」

 

ここの担任で、教科は国語の長谷川はせがわ先生。そんな苗字だった気がする。間違ってたら申し訳ない。今年で常勤を定年退職するらしい。教員生活最後のクラスは最高のものにしたいと入学初日に話していた。

 

それにしても投票率半分の意思決定をそのまま採用しちゃって平気なのだろうか。私も挙手してないから人のこと言えないけど。

 

「ひとついいかしら? 演劇をしても構わないけど、もし出し物としてするのなら、ネットにある既存の作品をそのまま使うのはいけませんよ。自分たちの力で、オリジナルの脚本を用意してくださいね?」

 

 教室がしんと静まり返る。誰も立候補しない。

 

 ……もしかして、今チャンスなんじゃ? 脚本家なら表舞台で大勢の目に晒される必要性もないし、小道具や大道具製作と違って名前も知らない人たちとコミュニケーションを交わす必要もない。目の前の反応を見るに、普通の人は自分の力で物語を組み立てることができない。できたとしても、妄想を文字に変換してアウトプットする術を持っていない。おそらく、私は普通からだいぶ外れている。いくらでも架空のストーリーを編み出せるし、十万文字以内であれば確実にお話として成立させられる。もしやこの役割は私に託された試練なのではないか。この文化祭さえ乗り越えられれば、最大の功労者としてみんなに褒めてもらえるのでは。あわよくばそのままチヤホヤされて…………。ついでに使い道のない大量の上質紙を無駄にすることなく消費できる!

 

 やりたい。いいや、やらなくてはならない。出処不明の義務感と内側から湧き上がる衝動。そして何より。

 

 ここでチキってしまったら、私が私でなくなってしまう!

 

 スッと手を真っ直ぐに、高く挙げる。経験上、自発的に、ここまで視線を集める行為に及んだのは初めてだ。

 

「……斉藤さん?」

 

「あっああああのっ! やります、ゎたし。それ、ややります」

 

 終わった。何しでかしてくれたんだ私! 寝不足で緩んだ羞恥心と我が青い春に対する焦燥感に駆られたせいで凶行に走ってしまった!

 

「本当!? ホントにいいのね斉藤さん!」

 

 声を捻り出したところで吃音まみれの呻きを撒き散らすだけなので、首を激しく上下に揺さぶる。伝われ、肯定の意思。

 

「ええ誰! 絶対失敗するって! やり直しだやり直し! イインチョがやった方が絶対上手くいくって」

 

 だぁあついにアイツに目をつけられた! 私の平穏な学校生活、完。予想できたからこそ今の今まで目立たないよう息を殺してきたのに。積み上げたものぶっ壊してしまった。

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