第8話 いざ実食!

「……んんー、いい匂い!」


 数時間後。

 とっぷりと日も暮れたところで、私たちは食事の支度をしていた。

 たくさんのハーブとともに蒸し焼きにされたギガルーパーのお肉から、食欲をそそるいい香りがする。

 嗅いでいるだけで、よだれが口からあふれてきそうだ。


「匂いはいいですけど……あの泥臭いモンスターのお肉がほんとにおいしくなるんですか?」

「大丈夫だ、しっかり下茹でしてハーブも使ってるからな。臭みは抜けてるよ」

「とてもそうは思えませんけど……」

「わざわざそんなこと聞いて、もしかしてイルーシャも食べる気なのかな?」


 私がそう尋ねると、イルーシャはハッとしたような顔をした。

 そしてすぐさま、ぶんぶんと首を横に振る。


「ただの興味本位です! お肉を食べるつもりなんてありませんよ!」

「そう? 気になってそうな感じだったけど」

「そんなこと断じてありません!」


 顔を真っ赤にして、強く否定するイルーシャ。

 何もそこまで言わなくたっていいのに。

 ははーん、これは図星を突かれてムキになってるのかな?

 イルーシャも食べること自体は大好きだからね。

 エルフの里では、私の目を盗んでいっつも野菜スティックを食べていたのを知っている。


「素直になった方がいいと思うけどなー」

「私はいつも素直です!」

「そうかなぁ?」


 こうしてイルーシャをからかっていたころで、ボーズさんが木の皿に乗せたお肉を運んできた。

 真っ白で鶏肉のような見た目をしたお肉の上に、ローリエのような葉が乗っかっている。

 ビジュアル的には鶏の香草焼きみたいな感じだが、果たしてお味はどうなのだろう。


「ギガルーパーの香草焼きだ。うめえぞ!」

「おほー! いっただっきまーす!!」


 我慢できないとばかりに、ギガルーパーのお肉を一気に口へと放り込む。

 たちまち、ハーブのさわやかな風味が鼻を抜けた。

 おぉ、これで臭みを完ぺきに抑えているってわけだ。

 肝心のお肉のお味は、最初に聞いていた通り魚と肉の中間みたいなちょっと不思議な感じ。

 白身魚のような食感でありながら、魚にはないお肉独特のジューシーな脂の旨味がある。

 ああ、あっという間に口の中から無くなっちゃう!

 それが惜しい……もっと味わっていたい……!


「んぐ、んぐ……超しあわせ…………」

「くぅん、くぅん!」

「お、フェルも食べる?」


 私がお肉を堪能していると、フェルが喉を鳴らしながらすり寄ってきた。

 その視線は私の持つ皿へと向けられ、口からは少しよだれが垂れてしまっている。

 よしよし、可愛いやつ!

 私はすぐさまフォークでお肉を突き刺し、フェルに差し出す。


「ああっ! フェルまでお肉を!」

「もともとわんこって肉食だし? いいんじゃない?」

「フェルはわんこじゃなくて精霊獣です!」

「似たようなもんだよ」

「似てません!」


 そうこうしているうちに、フェルは私の差し出したお肉をパクッと呑み込んだ。

 たちまち表情が緩んで耳もフニャッと倒れる。


「くうぅ……!」

「おー、よしよし! 美味しかったねえ」

「……わん、わん!」


 ごっくんとお肉を呑み込んだところで、フェルはおかわりをせがんできた。

 その眼は何だかギラギラとしていて、どこか野性味を感じさせる。

 お、どうやらお肉の良さがわかったようだね?

 いいだろう、寛大な私はたっぷりとお肉を分けてあげよう。

 私はフェルに追加でお肉を差し出すと、ちらっとイルーシャの方を見る。


「食べる? フェルも美味しそうだよ?」

「い、いりません!」

「そう? あーあ、美味しいから一緒に食べようと思ったのに……」


 私はちょっぴり大袈裟に悲しげな顔をして見せた。

 するとイルーシャは少し動揺しながらも懐からあるものを取り出す。

 それは、里でいつも彼女が食べていた野菜スティックだった。


「ララート様の方こそこれをどうぞ! 里から持ってきた人参スティックです!」

「ええー……これ食べ飽きたんだけどなぁ」

「ダメですよ! 私たちエルフには、お野菜がいっぱい必要なんですから!」


 そういうと、イルーシャは人参スティックを口元に押し付けてきた。

 まあ確かに、もともとエルフって草食に近い生き物ではあるしなぁ……。

 少なくとも、肉食系ではないだろう。

 肉食だったら、野菜だけ食べて数百年も生きてないだろうし。


「ほらほら!」

「あーわかったわかった、後で食べるから」

「……まるで野菜嫌いの子どもだな」


 抵抗する私を見て、料理を終えたボーズさんはやれやれと肩をすくめた。

 うーん、そう言われるとちょっと癪だなぁ。

 別に野菜が食べられないわけではないんだよ、食べられないわけでは。

 私は人参スティックに塩を付けると、ボーズさんに見せつけるように口へ放り込んだ。

 人参の硬い食感とともに、優しい甘さと塩分が口に広がる。


「んんー、安定の味って感じ?」

「そうです、お野菜は安定して美味しいのです!」


 そういうと、イルーシャは人参スティックをガリッと勢いよく噛み千切った。

 そしてこれでもかと言わんばかりに満面の笑みを浮かべる。

 ……何だか、ニンジンのコマーシャルみたいだ。

 それだけ、イルーシャがお野菜のことが好きってことなんだろうけど。


「ボーズさんも食べますか?」

「ああ、くれるなら貰おう」

「どうぞ!」


 こうして差し出された人参スティックを、ボーズさんはスナック感覚でポリポリと食べた。

 かなり口に合ったようで、無言ながらおいしそうである。

 身体の大きな男性が人参スティックをかじっているのは、何とも言えない愛嬌のようなものが感じられた。

 何だろ、森のくまさん的な?

 そんな彼を見ながら、私はふと先ほどの出来事を思い出して言う。


「ボーズさん、ちょっといい?」

「どうした?」

「あのさ。さっき出てきた、あのカエルのモンスターにトラウマでもあるの?」

「……何だよ、藪から棒に」

「だって、さっき明らかにおかしかったよね?」

「大丈夫だ、今度はあんなことにはならねえ」

「そうじゃなくてさ」


 私はボーズさんの前に出ると、その顔をじーっと覗き込んだ。

 この突然の行動にびっくりしたのか、ボーズさんは人参スティックを噴き出しそうになる。


「別に、アンタらには関係のないことだろう?」

「関係なくはないよ。たった数日の約束だけど、今の私たちは仲間だし。それに、原因がわからないと気持ち悪いじゃん」

「あのなぁ……」

「こう見えて、私は何百年も生きてるからさ。人生経験は豊富だよ。悩める若者よ、ドンと相談しなさい」

「こんな時だけばあさん面するなよ」

「まーまー、言えば楽になることもあるって」


 少しは心を動かすことが出来たのだろうか?

 そう言って笑いかけると、ボーズさんは下を向いてはぁっと大きなため息をついた。

 そしてゆっくりと顔を上げると、どこかぼんやりとした顔でぽつぽつと語り始める。


「もう十年ぐらい前になるか。当時の俺はあるパーティに所属していてな。それで、この沼地に住むエルダーフロッグを討伐する依頼を受けたんだよ」

「エルダーフロッグって言うと、さっきのカエル?」

「ああ。そしたら運の悪いことに、ハズレを引いちまってな……」


 ボーズさんの眼がにわかに愁いを帯びた。

 ハズレというのは、ごくまれに現れるモンスターの変異種のことである。

 一般的な個体とはかけ離れた能力を持ち、エルフの里でも恐れられていた存在だ。

 里の記録では、ゴブリンの変異種が熟達したエルフの戦士たちを壊滅させたなんて話もある。


「そのせいで、当時のパーティは俺を除いて全滅しちまった。それだけじゃねえ、俺は……俺は……」


 よほど思い出したくない過去なのだろう。

 ボーズさんは額に手を押し当てると、ひたすら同じことを繰り返し続ける。

 悪夢が脳に焼き付いて、離れなくなってしまっているらしい。

 私は彼に寄り添うと、その背中にそっと手を当てる。


「まあまあ、落ち着いて」

「すまない、取り乱した」

「とにかく、昔のトラウマのせいでエルダーフロッグと出会うと、身体が動かなくなっちゃうんだね?」

「ああ。ったく、大の男が情けねえ話だよなぁ。けど、怖いんだよ。この十年間、エルダーフロッグを倒そうと努力してきたつもりなのによぅ。いざ奴らを前にすると……」


 再び、下を向いて苦悩するボーズさん。

 よっぽど強烈なトラウマを植え付けられてしまったらしい。

 でも、わざわざこの沼地にギガルーパーを倒しに来ているということは再戦の意思はあるのだろう。

 冒険者なら、避けようと思えば他にもいくらでも仕事場はあるはずなのだ。

 彼の心はまだ、完全には折れていない。


「十年ぐらい、立ち直れなくても仕方ないですよ。ララート様なんて、三十年前に私がお菓子を食べたことをまだ根に持ってるぐらいですからね!」


 ここで、イルーシャが急に会話に加わった。

 彼女なりに、ボーズさんを励まそうとしているのだろう。

 ニコニコと実にいい笑顔をしていた。

 ……言ってることの内容は、ちょーっとイラっとする感じだけど。

 この子、笑顔で嫌味を言うタイプだ。


「そんなの、たまーに思い出して言うぐらいでしょ?」

「それを根に持ってるって言うんです!」

「それを言うなら、イルーシャだって寝癖がひどかった時に笑ったのを二十年も覚えてたくせに」

「そりゃそうですよ、デリカシーなさすぎですもの!」

「髪の毛ぼっさぼさで師匠の前に顔を出す弟子の方が悪いんですー!」

「師匠が弟子をそんなことで叩く方がおかしいんですー!」

「……おいおいそういうのはエルフだからだろう? 人間の時間感覚とは違うって」


 こうしてくだらない言い争いをしていると、ボーズさんが溜まりかねたように噴き出した。

 やがて彼は、先ほどまでの陰鬱とした表情から一転して吹っ切れたように笑う。


「心配してくれてありがとう。だが、大丈夫だ。ここから先は俺の問題だしな」

「……そっか。じゃあ最後に一つだけ言っておくと、ボーズさんは強いよ」

「んん?」

「普通に戦ったら、エルダーフロッグにはまず間違いなく勝てるよ。ううん、ドラゴンともいい勝負できるんじゃないかな。エルフの戦士たちを見てきた私が言うから間違いない」

「そりゃ買いかぶり過ぎだろう。俺もそこそこには強い自覚はあるが、そんな大物じゃねえぜ」

「自信なさすぎ。ま、そのあたりもトラウマを乗り越えれば成長しそうだけど」

「成長っつってもなぁ。俺はもういいおっさんだぜ」

「三十二歳なんてまだ赤ちゃんだよ?」

「だから、そりゃエルフ基準だろって」


 やれやれと肩をすくめると、ボーズさんはゆっくりとその場から立ち上がった。

 彼はそのまま大きく伸びをすると、肉を焼いていた鉄板の方へと移動する。


「香草焼き、まだ残ってるぞ。食うか?」

「お、ちょうだい! 食べる食べる!」

「イルーシャ様、食べ過ぎです!」

「いいじゃん、腹が減っては戦はできぬだよ!」


 やがて運ばれてきたお肉に、再びかぶりつく私。

 うーん、おいしい!

 やっぱりこうやって食べてる瞬間が一番幸せ!

 こうしてその日の夜は、幸せな満腹感とともに過ぎていくのだった。

 翌日、恐ろしい敵と対峙するとも知らずに――。

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