第7話 沼地の怪物
「うわぁ、泥だらけ……」
街を出て、数時間が過ぎた頃。
私たち三人と一匹は、ギガルーパーが住むという沼地へとやってきていた。
辺り一面に立ち込める霧と白骨のような木々が何とも不気味な場所だ。
おまけに沼地だけあって地面はぬかるんでいて、歩いているだけで泥が跳ねて身体を汚してしまう。
身体の小さい私なんて、腰のあたりまで泥まみれだ。
いっそ結界魔法でも使おうかと思うが、あれをずーっと使うのは流石に燃費が悪いしなぁ。
「フェル、私たちを乗せてくれない?」
「わうぅ……」
無理無理と困ったように首を横に振るフェル。
ああそっか、身体が大きくなるとその分だけ重さも増すもんね。
フェルだけならどうにかなるかもしれないが、私たちを乗せたら身体が沈んで身動きが取れなくなってしまうのだろう。
「仕方ない。この沼地はみんなで歩くしかないね。泥は後で洗えばいいよ」
「うぅ、早く水浴びしたいです……」
弱々しい声でつぶやくイルーシャ。
そう言えば、この子はなかなかの潔癖症だったな。
私の部屋が散らかるとすぐに掃除をしていたし、旅においても水場を見つけるたびに水浴びをしていた。
一方の私は、まあ多少のことは平気な性質だ。
台所に沸いた黒いあいつに一人で立ち向かえる系女子である。
……うん、女の子らしくないという自覚は大いにある。
だって、古いマンションはどうしてもあれが出ちゃうから……。
憎むべきは固定残業代よ、あれがなければもうちょっと新しいマンションに住めたはずなんだけど。
「綺麗好きな姉ちゃんだな。ま、若い女の子ならそんなもんか」
「イルーシャは百歳越えてるよ」
「げっ! ばあちゃんじゃねえか!」
「失礼ですね! エルフの中ではまだ小娘です!」
「そうはいっても、俺の三倍以上じゃねえかよ」
ぷくーっと膨れたイルーシャを見ながら、ボーズさんは呆れたような顔をした。
あれ、三倍以上ってことは意外と若いのだろうか?
見た感じは四十歳ぐらいだから、三倍じゃなくて二倍が正しそうだけど。
「ちなみに、ボーズさんはいくつなの?」
「三十二歳だよ」
「わかっ! 四十歳ぐらいに見えてた!」
「そんなに驚くなよ! つーか、あんたらエルフが若すぎるだけだ。ララートなんて子どもみたいじゃねえか」
「子どもは余計だよ。それはそれとして、ボーズさんは老け顔だと思うけどなぁ」
「いやいや、冒険者ならこのぐらいの方が貫禄あっていいんだよ」
こうして、ボーズさんとくだらない世間話をしていた時だった。
私たちの先を歩いていたフェルが、いきなりピンっと尻尾を立てた。
そしてこちらへ振り替えると、警戒を促すように吠える。
「何かいるね」
「ああ、くるぞ!」
「ここは任せてください! 私がやります!」
私たちを下がらせ、イルーシャが前に出た。
それと同時に、近くの沼から巨大なサンショウウオが姿を現す。
こいつがギガルーパーか……!
その大きさは馬や牛ほどもあり、粘液に覆われた白い皮膚がてらてらと光っている。
「気を付けろ、こいつの皮膚は粘液で守られていて……」
「風よ、切り裂け!」
ボーズの説明も聞かないうちに、イルーシャが魔法をぶっ放した。
彼女が最も得意とする風の中級魔法である。
――ズバァンッ!!
圧縮された風の刃が、いともたやすくギガルーパーの首をぶった切った。
……なるほど、物理防御には長けているけれど魔法には弱いタイプか。
それにしても、イルーシャの魔法がいつもよりキレている気がする。
「おおぉ……すっげえな!」
「どんなもんですか! まとめてぶっ飛ばしてやりますよ!」
「あー、なるほど」
どうやら、たまっていたストレスを魔法に載せているらしい。
魔法って精神によって威力が左右されるから、ああいうのも意外と効果があるんだよね。
……そう考えると、常にストレスに晒されている社畜は大魔法使いになる素質があるのか?
でも、社畜魔法とかあんまり見たくないなぁ。
会社で怒りのイオ〇ズン使う人とか実在したら嫌だ。
「俺も負けてられねえな! はああぁっ!」
血の臭いにおびき寄せられてきた二匹目のギガルーパー。
大口を開けて私たちを丸呑みにしようとしたそれを、ボーズさんが串刺しにした。
そうか、皮膚は粘液で守られていても口の中はそうはいかないってことか。
迷うことなく口の中に手を差し入れ、顎から頭を貫いたボーズさんの手腕は見事なもの。
受付嬢さんが信頼のおける人というわけだ。
「これなら、私が出るまでもないかも」
快進撃を続けるイルーシャとボーズさん。
その見事な戦いぶりに、私はちょっとばかり気を緩める。
別にサボっているわけじゃない。
後詰もちゃんとした仕事だからね、うんうん。
こうして私が見守る中、依頼はつつがなく進んでいくのだった。
――〇●〇――
「ふぅ! これだけ倒せば十分ですね!」
「ああ、十分すぎる戦果だな」
数十分後。
倒したギガルーパーの山を見て、ボーズさんは少しばかり呆れたような顔をした。
まあ、半分ぐらいはイルーシャのストレス発散だったからね。
「お疲れ様。じゃあ、さっそく料理して食べよう!」
「そう言って、ララート様は全然戦ってなかったですよね?」
「いやだってほら、二人とも手際良くて手を出す隙が無かったというか」
「まあいいんじゃねえか、ララートさんが背後を固めてくれたおかげで楽だったぜ」
「それはそうなんですけど」
何となく納得いかない顔をしつつも、イルーシャは引き下がった。
ま、弟子が働く後ろで悠々としているのは師匠の特権だからね。
それがしたいならイルーシャも早く成長して弟子を取りたまえよ。
「焼いて食べるんだよね? 早く早く!」
「そう焦らないでくれ。というかあんた、エルフなのにほんと肉が……」
「わっ!?」
ここでいきなり、イルーシャの悲鳴が響いた。
いったい何が起きた!?
急いで振り向くと、イルーシャの身体に何かピンク色のものが巻き付いている。
ぶよぶよとしたそれは、どうやら肉で出来た何からしい。
やがて沼の底から、巨大なカエルのような何かが姿を現す。
こいつ、今まで気配を完全に消してたな?
私とフェルの探知を潜り抜けるなんて、なかなかやるじゃないか。
「げっ! カエル!?」
「早く切って!」
先ほどイルーシャの身体に巻き付いたのは、どうやらカエルの舌のようだった。
一刻も早くあれを切らなければ、そのまま丸呑みにされる!
とっさに私は焼き払ってやろうと炎の球を出したが、イルーシャを巻き込むかもしれないと思ってひっこめた。
ダメだダメだ、つい熱くなってしまった。
代わりにボーズさんに向かって叫んだのだが……。
「エルダーフロッグ……」
「ボーズさん!」
「あ、ああ……」
何故か呆然とした様子で立ち尽くしているボーズさん。
どうにか剣を抜いたものの、その動きはコマ送りのよう。
先ほどまでの洗練された無駄のない動きとは全く別人のようである。
こうしている間にも、イルーシャはカエルの口の中へと引きずり込まれてしまった。
「た、助けて! 食われちゃう!」
カエルの口の中でじたばたと暴れるイルーシャ。
何とか踏ん張っているが、消化されるのは時間の問題だ。
……ええい、仕方ない!
彼が頼りにならないと判断した私は、やむなく狙いを定める。
「目を閉じて。あと防御魔法!」
「は、はい!」
イルーシャが目を閉じた瞬間、指先から炎の弾丸を放った。
――爆発、四散。
カエルの眉間に直撃した炎は爆発を起こし、たちまちその巨体を吹き飛ばした。
さながら、水風船を針で突いたかのようである。
カエルが柔らかかったこともあるが、とっさのことで魔力を込め過ぎたらしい。
爆発に巻き込まれたイルーシャが吹っ飛び、こちらに向かって転がってくる。
「大丈夫?」
「うぅ、べっとべとですよぉ!」
「ま、無事だったんだからそのぐらい我慢して」
「そのぐらいって……。うげえ!」
地面が柔らかかったおかげだろう。
派手に吹き飛ばされた割にイルーシャは怪我一つなかった。
ただし、その身体は得体のしれない体液まみれ。
ひどい臭いもするし、とにかくベッタベタでお近づきになりたくない感じだ。
「……わうぅ!」
「あ、フェルが気絶した!」
「……二人ともあっち見てください! すぐに身体を洗いますから!」
普段面倒を見ているフェルに気絶されたことが、よっぽどショックだったのだろう。
イルーシャは顔を真っ赤にしてそう告げると、急いで服を脱いで水魔法を使い始めるのだった。
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