9-3 *

 ◇



 昼休みにうっかり「失恋した」と言ったら、クラスメイト達に『励ます会』と称して連れて行かれ、駅前の商店街であれこれ遊び回る羽目になった。

 カラオケに行ったり、ゲームセンターに行ったり。普段行ったりすることがない場所だったので、とても新鮮で、すごく楽しかった。

 しかし遊びすぎたせいか辺りはすっかり夕焼け色に染まっていて、街路灯にも明かりが灯り始めている。

 ──そうだ、近道で帰ろう。

 四葉は自然公園のほうへ足を向けた。

 遊歩道を進んでいると、竣工式を無事に終え、綺麗に修復された神社が見えてくる。

 朱色の鳥居の向こうに、真新しくなったお社が佇んでいた。

視覚補助のおかげか、神社のある一帯は淡い水色を帯びた光に包まれている。

「……『神域』って言われるだけあるなぁ」

 四葉は一礼して鳥居をくぐると、短い石畳の参道を歩き、社の鈴をガラガラと鳴らした。

 それから二礼二拍手一礼すると、手を合わせて小さく祈る。

 ──菖くんが、今日も無事でいますように。

 せめて、これくらいは許されたい。

 あんな厳しい世界を知っている人間として、常に死と隣り合わせで戦う人の無事くらいは祈りたい。

 四葉はため息をつき、踵を返して帰ろうとしたところ、視界の端に見えてはいけないものを見た気がして、そちらに視線を戻す。

 神社の敷地内、奥まで続く芝生の上。暗くて分かりにくいが、靴を履いたまま投げ出された足が見えた。

 人が、倒れている。

「だ、大丈夫ですか!?」

 四葉は慌ててそこに向かって駆け寄った。

 しかしそれは、自分の着ている制服と全く同じ、紺のジャケットにグレーのスラックスを着た男子生徒で、顔は四葉のよく知っている、色素の薄い髪に、猫のようなツリ目の人物。

「あ、菖くん!?」

「四葉……」

 寝転がっている菖をよくよく見ると、特に着ている制服が汚れている感じもしない。倒れたわけではないらしい。

 ここは『神域』なのだ。きっと『補給』か何かをしていたに違いないと気付き、四葉は慌てて頭を下げる。

「邪魔してごめん!」

「待て!」

 四葉は一目散に逃げ出そうとしたのだが、起き上がった菖の伸ばした手のほうが早く、手を掴まれて強く引き寄せられた。

「わっ」

 尻もちをついた四葉は、おそるおそる菖のほうを見る。

 すると、菖はどこか困ったような、なぜか泣き出しそうな顔をしていた。

 そんな表情は、初めて見る。

 何かあったのだろうか。

 話を聞くだけでも、と思ったが関わらないように決めた自分がしていいことではない。

 ぐっと言葉を飲み込んで視線を落とすと、自分の手を掴む菖の手が、赤黒く汚れているのに気づいた。

「その手、どうしたの?」

「……あぁ、悪い」

 そう言って離した菖の手の平を見ると、両手とも手の平に出来た血豆が潰れて出血している。菖のすぐ側に木刀が落ちていたので、ここで素振りでもしていたのかもしれない。きっとそれで、木刀を握りすぎたんだろう。

「ちょっと、待ってて」

 四葉はそう言って菖のそばに座り直すと、鞄の中から救急セットを取り出し、菖の右手を掴んで消毒を始める。

「──持ち歩いてんの?」

「うん。僕ほら、よくケガするから」

 潰れてぐずぐずになっている箇所の血や体液を消毒液で綺麗にし、ガーゼを当てて包帯を巻いた。

 両手とも同じようなケガなので、四葉は左手のほうの消毒も始める。

「……なぁ、失恋したってホント?」

 菖がジィッと手当てをされる手を見つめたまま、呟くようにそう言った。

 思わず四葉の手が止まる。

「えっ……だ、誰から?」

「お前んとこのクラスの女子が話してた。男子たちに『励ます会』やってもらったんだろ?」

「ま、まぁ、うん……」

 心臓がドクドクとうるさい。

 昼休みに妙に盛り上がって話していたので、女子たちの耳にも入ってしまったのだろう。なんだか恥ずかしい。

 四葉は戸惑いながら、なんとか左手の消毒を終える。

「誰?」

「え」

「好きになった相手って、誰?」

 今度は菖が、四葉の顔をジィッと見つめて言った。

「い、言うわけないじゃん!」

 視線を逸らすように、四葉は菖の左手にだけ視線を向けて包帯を巻く。

「俺はいるよ、好きなヤツ」

「……知ってる。隣町の、女子校の人でしょ」

 だってあの日は、自分も見ていたから。

 人前で腕を組まれても全く平気で、一緒に笑い合えるような隣町の女子校に通う女子生徒。ショートヘアで、制服のリボンとスカートがよく似合う、可愛い雰囲気の女の子だった。

 包帯を巻き終わり、手を離すと、菖が静かに言う。

「……違う」

「は?」

 思わず顔を上げた。

 菖は変わらず、まっすぐ自分を見ている。

「隣町の女子校の人間で、知ってるヤツって言ったら、陽葵の妹しか知らない」

「……へ?」

 心臓がドクンと大きく鳴った気がした。

「付き合ってるヤツなんか、いない」

 猫みたいに綺麗につり上がった菖の目が、少しだけ優しく下がって。

「……俺の好きなヤツは、お前だよ、四葉」

 一瞬、息ができなかった。

「な、えっ……。ウソ、だ……」

「自分のことなのに、嘘ついてどうすんだよ」

 そう言って、菖が鼻で笑う。

 とてもくだらない、と言わんばかりに。

 心臓が、ドクドクとうるさくて、痛い──。

「なぁ、四葉」

 ジィッと見つめる瞳は変わらない。

 まるで、獲物を見つけた猫のよう。

「お前の好きなヤツは、誰だ?」

 開いた口が小さく動くばかりで、声が上手に出てこない。

 そんな自分に追い討ちをかけるように、包帯の巻かれた両手が、四葉の両頬を包むように掴んだ。

「──なぁ、キスしていいか?」

「……なん、で?」

「好きだから」

 ようやく絞り出せた声に、眼前に迫る顔は当たり前だ、言わんばかりに言う。

「お前が言ったんだぞ。そういうことは、好きな人としろって」

 綺麗な流線を描くツリ目の中心、ジィッとこちらを見つめる意志の強い瞳からは、もう逃げられそうになかった。

「もっかい聞くぞ。お前の好きなヤツは、誰だ?」

 四葉は観念したように眉を下げて、口を開く。

「……菖くん、です」

 両頬を掴んでいた手に引き寄せられて、唇と唇を合わせた。

 四葉は鼻を掠める、少し甘くて清々しい匂いに、自分から抱きつくように身体を寄せる。

 初めて『補給』ではない、キスをした。

 唇が離れると、優しく笑う視線に見つめられる。

「……ごめんなさい」

 四葉は、震える声で言った。

「なんで謝るんだよ」

「だって『好きになるな』って言われたのに」

「それでずっと難しい顔してたんだな。……悪かった」

「菖くんに彼女いるって聞いてから、すごい、申し訳なくなっちゃって、だから、僕……!」

 全てを白状した途端、内側にあったいろんな感情が涙と一緒に溢れてしまう。

「そんな勘違いされてるなんて、全く考えてなかったわ」

 四葉の目から溢れる涙を、菖は優しく手で何度も拭い、それからぎゅっと抱きしめた。

「……でも、でも。あの女の子とは、仲良さそう、だったし……」

「陽葵の妹は、昔、陽葵の家で剣術習ってた時の妹弟子でさ。会うと距離がやたらちけーし、うぜーから、会わないようにしててよ」

 ぐずぐずと泣きながら、肩に埋める四葉の頭に、菖がすり寄るように自分の頭をくっつける。

「あの日は、新しい木刀を見にいくから、アイツも一緒に行こうってことになって、待ち合わせて行っただけなんだ」

「……陽葵くんの妹さんも、剣術やってるの?」

「ああ、剣術なら陽葵より強いぞ。それにアイツは『退魔』の素質を持ってて。修行すれば俺みたいに『破魔』の力も使えるようになるって言われてるんだ」

 菖の話しぶりから、陽葵の妹に対して特別な感情があるように聞こえない。本当にただの、同じ修行をしていた妹弟子でしかないようだ。

「……陽葵くんに妹さんいるの、知らなかった」

「人との距離感がおかしいヤツだから、陽葵もあんまり他人に紹介しないようにしてんだよ」

 大きな菖の手の平が、四葉の頭を優しく撫でる。

「んで、他に聞きたいことは?」

 すっかり日も落ちて、辺りは薄闇色に染まっていた。少し離れた位置の遊歩道沿いに立つ街路灯の明かりで、互いの顔が分かる程度。

 そんな薄闇の中で、二人は抱き合ったまま。

「契約期間は過ぎたし、神域も元に戻ったけど、俺はもうお前じゃないとダメだ」

 ぎゅっと抱きしめられたまま、四葉は菖の言葉に静かに耳を傾ける。

「一緒にいたら、また怖い思いをさせるかもしれない。……でも、ちゃんと強くなってお前を守るから」

 抱きしめる腕に、力がこもっていた。

 きっと菖にとって、自分を危険に晒すことは、失うことと同じくらい恐ろしいことなのだろう。

「四葉とこれからも一緒にいたい。……ダメか?」

 きっと自分にとっても、菖のそばにいられないことは、恐ろしいことなのだと思う。

 諦めると決めたのに、離れると決めたのに、ずっと菖の無事ばかり考えていて、何も手につかなかったのだから。

「……ダメじゃない」

 四葉はゆっくり身体を離すと、菖の顔をジッと見つめて言った。

「僕も、菖くんと一緒にいたい……」

「……うん、一緒にいよう」

 どちらからともなく顔を近づけて、もう一度キスをする。

 舌を絡めて、唾液を混ぜるような。

 まるで気持ちを確かめ合うようなそれをしばらく続けて、大きく息を吐くように唇を離した。

 心臓がバクバクとうるさくて、どこかぼんやりとする四葉の頬を、菖がどこか楽しそうな顔でつねる。

「せっかく『失恋を励ます会』してもらったのにな?」

「い、言わないで……」

 言われて途端に恥ずかしさと申し訳なさが込み上げてきた。

 まさかの勘違いだった上に、本当は両思いだったなんて。しかも相手は女子に大人気の男の子。

 周囲に弁明をしたら確実に刺される上、多方面からどんな攻撃を受けるか分からない。

「学校じゃしねぇから安心しろ。そんなことしたら、陽葵に怒られるしな」

「それは、本当、お願いします……」

 ぎゅっと抱きしめられた腕の中で、いつもの甘くて清々しいシャンプーの匂いが小さく香った。

 この香りにずっと、包まれていたいと思ってしまう。

「あー、それでさ。早速で悪りぃんだけど、今週末、空いてるか?」

「え、うん、空いてるけど」

「また『仕事』の依頼がきてて。陽葵がまだ本調子じゃないし、出来ればお前と一緒に行きたいんだけど……」

「うん、大丈夫」

 やはり『神域』が復活したとしても、それはこの街の状況が多少改善されるだけで、色んな場所でまだまだ『祓い屋』は必要とされるのだろう。

 自分はそんな彼のそばで、彼がどこまでも戦えるように支えるのだ。

「──で。『仕事』が終わったら、じっくり『補給』させてもらうから、覚悟しとけよ?」

 耳元で、誘うような声が囁く。

「……は、はい」

 四葉は赤い顔でただ頷いた。

 きっとこの優しくて横暴な王子様は、いつかのイタズラのその先を、ご所望なのだ。

 気持ちいいと思ってしまった、あの先を。

「じゃあ、決まりな」

 包帯を巻いた手が、四葉の手指に絡み付いて、ぎゅっと握る。

 それからもう一度だけ唇を軽く合わせて、笑い合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る