9-2

 ◇



 例えケガ人でも、生活に支障のないレベルであれば、放課後の掃除当番は回ってくる。

「んじゃお疲れー」

「あぁ」

 菖が掃除当番の仕事を終えて廊下を歩いていると、窓の外で四葉がクラスメイトたち数名と一緒に、正門のほうへ妙に騒がしく、大人数で向かうのが見えた。

 元々、他人に親しまれやすいタイプの人間なのだろう。自分以外の人間とだって、ああやって仲良く笑い合えるのが、四葉のすごいところで、いいところだ。

 けれど、違う誰かと笑っている顔を見るだけで、胸が締め付けられる自分は、なんて狭量なんだろうか。

 ──少し、時間をあけるか。

 彼と関わらないようにするためにも、今後も登下校の時間はズラした方がいいだろう。

 教室で時間を潰そうと、踵を返して自分の教室に戻ろうとしたところで、隣のクラス──四葉のクラスメイトである女子生徒たちの声が耳に入る。

「──黛ってさぁ」

 気にしている名前に、ハッとして思わず足が止まった。

「失恋したってガチ?」

「ああ、らしいよ。だから今日、男子たちが『四葉を励ます会』やるんだって」

「それでみんなで下校してたの? やばい、ウケる」

 女子生徒たちは、どこか楽しそうにケラケラと笑う。

 四葉に好きな人がいたらしいのは、病院での会話でなんとなく察していた。同じクラスの女子生徒が話しているくらいなら、やはり彼には、自分ではない心を寄せる相手がいたのだろう。

 ──だから、あんなふうに言ったのか。

 病室で『そういうことは好きな人としたい』と言っていたのも、やはりそのせいだったのだ。

 以前告白されて断ったと聞いた時は、そんな様子は微塵もなかったので、それ以降に好きになったのだろうか。

「えー何、黛の好きな人って誰だったの?」

「なーんかねぇ、あいつ鳴崎くんのお手伝いしてたじゃん。そんときに出会った人でぇ、住む世界も違うし恋人いるって分かったから、諦めたんだって」

「なんだー。男なら当たって砕けてこいよなぁ」

 ──……は?

 思い当たる人物が全く思い浮かばない。

『仕事』で依頼人と会うことはあまりないし、四葉と一緒に行った『現場』で出会うような人物に、女性は殆どいなかった。まして会った人と四葉が親しく話したりもしていない。

 ──どういうことだ?

 全くもって意味がわからない。

 四葉に確認を取るべきだろうか、とスマートフォンを取り出したが、菖はぐっと堪えてポケットにしまう。

 ため息をついていると、ひとしきり笑っていた女子生徒たちの話題が変わっていた。

「あー、失恋って言えばさ、二組の前原ちゃん、鳴崎くんにコクって振られたってね」

「ああ、らしいねぇ。鳴崎くんに『彼女』いるって知らなかったのかな?」

「本当だよねぇ?」

 ──……はぁ?

 再び二人がケラケラと笑い出す。

 確かに今日の昼休み、女子生徒から付き合ってほしいと言われて、断った。それは事実だ。

 しかし自分に『彼女』にあたるような、そんな人物はいない。菖は思わず、隣の教室に入っていった。

「おい、なんだその話」

 入り口付近の座席で話していただけの女子生徒二人は、驚いた顔で菖を見る。

「な、鳴崎くん!?」

「やっば、聞かれてたー」

 二人の女子生徒はケラケラと笑っていた。

 が、すぐに菖に聞かれたことを思い出したらしく、片方が菖に聞き返す。

「あーえっと、その話って、どれのこと?」

「……俺に『彼女』がいるとかいう話だ」

「えっ?」

 菖が不機嫌そうに二人を睨みつけながら言うと、女子生徒たちは互いに顔を見合わせ、すぐに菖のほうを見た。

「いや、だってこの前ぇ、正門前でイチャイチャしてたじゃん」

「は?」

「そうそう、隣町の女子校の制服着た子とさ……」

「隣町の女子校……」

 言われて菖は頭を抱える。

 確かに先週、隣町の女子校の生徒と待ち合わせをした。そういう事実は確かにある。しかし、

「あれは、違う……。『彼女』なんかじゃない」

 大きくため息をつくように告げると、女子生徒たちは逆に驚いた顔をしていた。

「えっそうなの?」

「うちらのクラス、全員、そう思ってたけど」

 クラス全員が知っていたのだとすれば、四葉も当然この話を知っていて、事実だと思い込んでいるはず。

「……なるほど、そういうことか」

 あんなに分かりやすく自分に好意を見せていた四葉が、突然自分を拒絶したのも、この話のせいだったのだ。

「え、じゃあじゃあ、あの子が『彼女』じゃないってことは、『好きな人』がいるっていうのは……?」

 興味津々に聞かれたので、菖はそちらをジロリと睨んでから答える。

「……それは事実だ」

 女子生徒たちはガッカリしたように「なーんだぁ」と肩を下げた。

 これは偶然が重なって、すれ違っただけの話。

 菖は大きく息を吐くと、急いで昇降口へ向かった。

 靴を履き替え、正門を出る。

 しかし正門を出たところで、四葉たちがどっちへ行ったかはわからなかった。

 ──誤解だと話したところで、どうしようというんだ。

 菖は息を整えながら、心を落ち着ける。

 もし、四葉の好きだった相手が、自分じゃなかったらどうするんだ。

 だって、そんな言葉は言われていない。

 分かりやすい好意の混じった視線をずっともらっていただけで、彼は約束通り『自分を好きにならなかった』のかもしれない。

 菖はそのまま足を、自宅のあるマンションのほうへ向けた。

 自分と四葉は住む世界が違う。

 その通りだ。

 ケガをさせて、下手したら死ぬかもしれない、怖い思いもさせた。

 もうあんな思いをさせないよう、困らないよう、自分は強くならなければいけない。

 ──……それでも。

 菖はぐっと唇を噛み、拳を握りしめて歩いた。

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