8-4 *
再び椅子に座り、ブレスレットを眺めていると、ベッドの上の菖が小さく呻いた。
ハッとして立ち上がり、菖の顔を覗き込むと、瞼が揺れてゆっくりと目を開く。猫のように綺麗につり上がった、妖艶な瞳。
「……四葉?」
「菖くん、気分はどう?」
「ん、まぁまぁ……」
まだ視線がぼんやりとしていて、顔色が悪い。
戦いの後すぐ『神域』から出てしまったので、霊力も足りていないのだろう。
「……ここは?」
「隣町の総合病院だって」
「ああ、そうか」
菖にはそれだけで、鳴崎家の関わっている病院だと通じたようだ。
「その『補給』を、しようと思って……」
「頼む……」
四葉は菖の顔に自分の顔を近づけて、唇を合わせる。
彼の中に必要な霊気を、呼吸を重ねるようにして送り込んだ。
しばらくすると、菖の腕が腰の方へ伸びて、以前のように身体を引き寄せられる。
本当ならこのまま、されるままに身を委ねたいけれど。
四葉はそれを両手で、菖の胸元を押し返すようにして身体を引き離した。
唇の離れた菖の顔が驚いている。
四葉はそれに、笑って見せた。
「……だめだよ、菖くん。そういうのは、ちゃんと好きな人としなきゃ」
「四葉……?」
「僕だって、好きな人としたいし……」
そう伝える声が震えてしまう。
涙が出そうになるけれど、ぐっと我慢した。
だってこれは、菖のためだから。
「今ので、最後にしていい?」
「は?」
菖が明らかに困惑した表情をする。
顔色は比較的良くなっているが、足りていないのは明白だった。ちゃんと元気になるまで『補給』をしたほうがいいのだろうけど、これ以上は自分の心が持たない。
「さっき、約束の『霊具』も貰ったの。神社の竣工式も来週あるっていうし、契約もこれで終わり、だよね?」
四葉はそう言いながら、ゆっくりとベッドから離れる。
「そう、だけど……」
まだ菖は困惑しているようだった。
でも、約束したのは、最初に決めたことは、ここまで。
だからここで、知らなかった世界とはお別れだ。
「今まで、ありがとうございました」
そう言って深々と頭を下げると、四葉はくるりと背中を向けて病室のドアへと向かう。
「四葉!」
「さよなら、菖くん」
背を向けたままそう言って病室を出ると、四葉はドアを閉めた。
◇
翌日には動けるようになった。
包帯はまだ外せないし、身体のあちこちに痛みが走るけれど、動けなくはない。
様子を見にきた要に陽葵のほうが重症だと聞き、検査の隙間を縫って陽葵の病室へ行った。
結界師の作る結界は、術者と繋がっている。強力に張れば張るほど、術と術者の力は一体化するので、その状態で結界を破られると術者も大きな被害を受けることになるのだ。
陽葵もそこそこの術師ではあるが、まだ夜の『現場』に出られるほどじゃない。
──兄貴が来なかったら、全滅してた。
圧倒的な力の差を見せつけられた。
強くなれない自分が憎くて堪らない。
陽葵の病室に着き、ノックして中に入る。
「……菖、きてくれたんですか?」
「うん……」
ベッドの上の陽葵は、身体中を細い管やたくさんのコードで繋がれていた。身体を起こすこともできないようだが、意識はちゃんとある。そして、酸素マスクは付いているものの、話はできるようだった。
ゆっくりベッド脇まで近づいて、椅子に座る。
「四葉くんは?」
「……帰った」
「そうですか。無事ならよかったです」
陽葵はそう言って笑顔を見せたが、自分が押し黙っていることに気付いたのか、不思議そうな顔をした。
「……菖?」
「さよならって、言われたんだ」
四葉はあれが最後の『補給』だと言って、ありがとうと言われて、さよならと言って、去ってしまった。
もっとちゃんと、話がしたかったのに。
出て行こうとするのを追いかけたかったのに、身体が動かなくて、名前を呼ぶことしかできなかった。
「──四葉くんに、伝えたいことは伝えたんですか?」
問われて、菖は首を横に振る。
伝えたいことがあったのだ。
契約が終わったら、その先の話を、したかったのに。
「……言えなかった」
俯いたら、声が震えてしまって仕方ない。
「そういうことは、好きな人としたいって、言われてさ」
「四葉くんに好きな人が?」
陽葵も驚いているようだった。
だってずっと、自分を見つめる視線は、まっすぐだったから。
だからそんな可能性があるなんて、ちっとも考えていなかったんだ。
「そうなんじゃない? それに……」
病室で最後に見た四葉は、頭や頬、腕にも包帯をしていて。
きっと今頃、大好きな家族に心配をかけてしまったと、悔やんでいるかもしれない。
「それに、ケガしてボロボロなの見てたら、もう何も言えなくて……」
「怖い思いを、させてしまいましたしね」
ずっと知らなかった世界の出来事に巻き込んで、ケガをさせて、怖い思いをさせてしまった。
「仕方ねぇよ。もともと、住む世界が違ったんだから」
きっと、これでよかったんだ。
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