8-2

 化け猫は再び高く跳躍すると、まっすぐ四葉に向かっていく。

「ふざっけんなよ!」

 遠くに吹き飛ばされた菖が立ち上がり、化け猫に向かって光る衝撃波を飛ばしたが、落下する猫がくるりと身体を回転させるようにして躱し、三本のしっぽであっさり薙ぎ払われてしまった。

「……あまり菖と離れるのはまずいですね」

 例え『神域』の中とはいえ、ああも強い攻撃を連発していたら、あっという間に霊力切れを起こしてしまう。なるべく四葉には、菖の近くにいてもらわなければ。

「こっちへ!」

 走っていた向きを少し変え、なるべく菖の方へ近づくようにと駆ける。

 しかし一足早く、化け猫の振るった爪が結界に届いてしまった。

「うわぁ!」

「四葉くん!」

 結界の破れた衝撃に吹き飛ばされ、四葉は前のめりに転んでしまう。

《ヒヒヒ、ニャオーン♪》

「うわわっ!」

 背後に迫る、二つの半月の目に、四葉はすぐに立ち上がって駆け出した。まるで鼠をいたぶるかのように、当たるか当たらないかの位置に爪を落としながら、逃げ惑う四葉の後をついて走る。

 すぐに追いついた菖が、四葉の背後に割って入り、化け猫の爪を木刀で受け止めた。

「四葉を狙うとは、いい趣味してんな」

《……今回の目的の半分は、ソイツだからな》

 化け猫は楽しそうに口の端を歪める。

「なに?」

《まぁ、一番の目的はお前を叩き折ることさ。だが、人にもあやかしにも、力を与え強くする『人の姿をした金丹』、『人型の仙桃』なんて呼ばれてる者が現れたと聞いた『ご主人様』が、大層欲しがっていてねぇ》

「……やはり、あれは『護家』に関連した者が、意図的に送り込んできた妖魔みたいですね」

 四葉が陽葵の側まで追いつくと、背中に庇いながら再び結界を張った。

《しかし、『人型の仙桃』なんて実在するのか半信半疑だったし、連れ去ろうにも纏わりつく悪霊どもが多くて、追い払うのも面倒くさくてなぁ。そこでお前を使うことにしたのさ『飛べない破魔矢』》

「なんだと……」

《ここを潰せば、ここの力を必要とする守護者のお前はソイツを巻き込むだろう? 力の程は近くでよくよく見せてもらったし、ソイツを連れ去れば一石二鳥になると分かったのでね》

「……近くで、見てた?」

 化け猫の言葉に、四葉はアッと思い出す。『現場』に向かうと近くで時々、ヒゲのないツリ目猫のマスコットを見かけていた。

《それだよ、それ。しかし、お前はいい奴だなぁ。人形なんかに扮していると、大抵の人間は蹴飛ばしてそのままだってのに、踏まれないよう避けてくれるんだから》

「……僕は、別に」

《とーっても感動したから、命令関係なく欲しくなっちゃったんだよねぇ》

 長い舌をべろり出して舌なめずりをした化け猫は、視線をぐるりと菖に向ける。

《おかげで連れていき甲斐があるよ、ありがとうな!》

 化け猫が爪をギラリと光らせたかと思うと、菖の持っていた木刀をあっという間に切り刻んでしまった。

「なっ……!」

 切り刻まれた時の衝撃のせいか、腕や足、顔にいく筋もの大きな切り傷を作って菖がその場に倒れる。

「菖!」

「菖くん!」

 化け猫は叫ぶ二人のすぐ近くまで、軽い跳躍一つでやってた。

 陽葵が結界の強度をあげようと、二人を包む光の膜に両手をつけて力を込める。

 しかし化け猫は結界の外で、カカカ、と愉快そうに笑っていた。

《……健気だねぇ、まぁこの程度じゃ痛くも痒くもないよ》

 化け猫の爪が一気に振り下ろされ、バリンとガラスの割れるような音と共に、黄色い光で出来た結界が粉々に砕け散る。

「……がっ!」

 破られた衝撃で、陽葵が血を吐きながら後方に吹き飛ばされた。

「陽葵くん!」

 四葉が駆け寄り助け起こすと、陽葵の身体は切り傷だらけで、血まみれになっている。四葉も腕や頭、太ももが切れてしまったが、圧倒的に陽葵のほうが重症だ。

「……四葉くんは、逃げて……はやくっ」

「いやだっ! 陽葵くんっ!」

 内臓をやられたのか、口の端から血を流す陽葵が懸命に告げる。しかし、四葉にはこのまま見捨てて逃げることが、どうしても出来なかった。

 日が落ちて真っ暗になった空。

 街路灯の光に照らされ、銀色に輝く化け猫が四本の大きな足でゆっくり近づいてきた。

《へー、死ななかったか。なかなか頑丈だねぇ、浦部の当主も伊達じゃないか》

 半月のような目をすっと細めて、化け猫が四葉と陽葵を見下ろす。

《それにトドメを刺したいから、どいてくれないか『人型の仙桃』よ》

「……いやだ」

 四葉は震えながらも化け猫を見上げ、ハッキリと言った。

《お前も死ぬぞ?》

「それでも、どかない!」

 死ぬことが怖くないわけじゃない。父や姉に申し訳ないとも思う。

 でも、ここで誰かを見捨てて自分が助かるのだけは、四葉にはどうしても出来なかった。

《ふむ、そうか。まぁ例え死体でも、食えば力になるらしいし、まぁいいか》

 化け猫が爪を高々と振り上げたのを見て、四葉は陽葵を庇うように覆い被さる。

 ──殺されるっ!

 四葉の頭に化け猫の爪が届きそうになった次の瞬間、突然陽葵を中心とした金色の光の円が展開し、二人を丸く包んでしまった。

「……結界?」

《む? な、なんだこの結界は……》

 黄色よりも力強い、黄金色に輝く光の膜は、化け猫が何度爪を立てても割れる気配がなく、びくともしない。

「私の結界が、お前程度で破れるわけがないだろう?」

 突然声が聞こえて、四葉は顔を上げる。

 声のしたほうを見ると、広場の出入り口近くにスーツに身を包んだ男性が、こちらに左の手の平を向けて立っていた。全身から湧き立つ霊気は金色に輝いている。

 ──あの人がこの結界を?

 深い臙脂色のスーツを着たその長身の男性は、顔の雰囲気が菖によく似ていた。

「……菖!」

 視線と掌を化け猫と四葉たちのほうへ向けたまま、反対の手に持っていたものを、倒れている菖に向かって放り投げる。

 地面に横たわったままの菖のすぐそばに落ち、地面に突き刺さったそれは、すらりと光る、抜き身の『日本刀』だった。

「片付けなさい」

「言われ、なくても……!」

 菖が傷だらけの身体で立ち上がり、日本刀を握る。すると握った刀の刀身が、紫紺色の炎を纏ったように輝き始めた。

《……チッ!》

 びくともしない金色の結界に、日本刀を持ち出した菖の様子を見て、化け猫は分が悪いと悟ったのか、ジリジリと数歩ずつ後退すると、脱兎の如く広場の奥の方へ走っていく。その先にある林を抜けると、住宅街になっているので、逃げ込まれると厄介だ。

 菖は日本刀を握ったまま、すぐに化け猫の後を追いかける。

「逃すかっ!」

 大きく跳躍した化け猫にあわせ、菖は近くの遊具や木を足場にしてより高く飛び上がった。

ハラタマキヨタマエ!」

 頭から全身にかけて、妖魔の身体をまっ二つに叩き切る。甲高い断末魔を残して、化け猫は一気に霧散してしまった。

 宵闇の中、弾けるように光った紫紺の光が小さな余韻を残して消えていく。

 ──お、おわった?

 辺りは一気に静かになり、街路灯に囲まれただけの、夜の遊具広場になっていた。

 ホッとして息を吐くと、周囲を囲んでいた金色の結界がゆっくりと溶けるように消える。そしてすぐ、スーツ姿の男性が四葉と陽葵の元へやってきた。

「大丈夫かい?」

「あ、はい。僕は大丈夫ですけど、陽葵くんが……!」

 座り込む四葉の横で、血まみれになった陽葵が横たわったまま、青白い顔でヒューヒューと小さく息を繋いでいる。

「陽葵……」

 男は着ていたジャケットを脱ぎ、陽葵にかぶせて包むと、そのままそっと抱き上げながら立ち上がった。

 ふっと少しだけ目を開けた陽葵が、か細い声を発する。

「かなめ、さ……」

「喋ってはいけない、傷に触るよ」

 どうやらこの人に任せておけば、陽葵は大丈夫そうだ。

 四葉はホッと胸を撫で下ろしたが、すぐに思い出したように菖のほうを見た。

「あ、そうだ。菖くんは……!」

 菖の周囲にはどこから現れたのか、グレー色のまるで救急隊のような格好の人たちがずらりといる。そしていそいそと、菖を担架に乗せて運ぼうとしていた。

「……えっ?」

 どういうことだ? と考えていると、

「動けますか?」

「ふぇぇっ!?」

 突然背後から話しかけられ、四葉は飛び上がるような声を上げる。そちらを向くと、菖を運び出していた人たちと同様の姿をした救急隊がいた。

「あ、はい、大丈夫です、けど……」

「ではこちらへ」

 そう言われ、促されるままついていくと、広場の外の遊歩道に普通の救急車によく似た車が停まっている。要が救急隊のような人たちに何かしら指示を出しているところを見るに、どうやら『護家』に関係する人たちらしい。

 四葉が言われるまま乗り込むと、車はそのまま出発してしまった。

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