7-2
◇◇
休み時間、教室の窓際の席に座る菖は、何気なくグラウンドのほうを眺めていた。すると、運動着に着替えた隣のクラスの生徒たちが、体育の準備をしているのが目に入る。
その中に知った顔を見つけて、つい目で追ってしまった。
ふと、その顔がこちらを見つけたらしく、手を振ってくる。
口が動いているように見えるので、きっと自分の名前を呼んでいるに違いない。かなり遠いはずなのに、よく気付いたものだ。
見えるのか分からないが、呼びかけに向かって小さく手を振り返す。遠くても、ニコニコと笑っているのはよく見えた。
けれどすぐ、誰かに呼ばれて、他の生徒の輪に入っていってしまう。
「最近、よく笑ってますね」
陽葵が菖の前の座席に腰を下ろしながら言った。
菖はそちらを見ながら首を傾げる。
「……そうか?」
「知ってます? 最近『氷の王子様』の氷が溶けた、なんて言われてるんですよ」
「……誰のことだそれは」
家柄は確かに悪くないけれど、自分の見た目を王子様のようだと思ったことは一度もない。何故か女子生徒がまとわりついてキャーキャー騒ぐので、容姿はいいほうなんだろうな、くらいの感覚だ。
正直、他人に興味がなかった。仲良くなっても、家柄か能力が欲しいだけの奴ばかりだから。
だからもう、他人に深く関わるのはやめようと思ったのに。
「四葉くんのおかげですかね」
「──まぁ、あれは面白いからな」
陽葵に言われて、菖は小さく笑う。
常に自分の中の力が足りなくて、渇望していた。
もっとやってみたい技も、出来るはずの術もあるのに、どうしたって力のなさに足を取られる。
それが、今はどうだろう。
やりたいと思った通りに、好きなだけ力を、使いたいだけ自由に使える。思い通りに動ける。『神域』から離れていても、常にあった渇きを覚えることがない。
彼さえいれば、自分の飢えが満たされる。そして、それ以上に──。
「──菖?」
考え込んでいたのを、陽葵の声に呼び戻された。
「ん、悪い。なんだ?」
「『神域』の、補修工事の件なんですが」
「ああ、完了間近なんだろ?」
「はい、工事自体はもう完了しているんですが、少し問題がありまして」
「問題?」
陽葵が珍しく深刻な顔をする。
「要さんに調べてもらったところ『神域』を荒らした犯人がまだ、町内に潜んでいるみたいなんです」
「……確かに、それらしい奴の相手はしてないな」
菖の兄、鳴崎
菖や陽葵にとっては上司にあたるような存在だ。
そんな要に、今後また『神域』が破壊されないよう、荒らした犯人の痕跡を中心に、清宮町全体を念の為調べてもらったのだが、破壊した犯人と同じ『痕跡』がまだあちこちで見られたらしい。
「……厄介だな」
「犯人は特定の場所に留まらず、頻繁に移動をしているようです。要さんが今後の動きも含め、犯人が何者なのか特定作業をしてくれています。『神域』がほぼ復活したおかげか、仕事も落ち着いてますし、しばらくは待機ですね」
「そうか、少しは休めるな」
「本当ですね」
これまで週に一度あれば良かった『仕事』が、ここ数ヶ月は連日のように続いていた。まだ大物がいるにしても、身体を休められるのはありがたい。
「あと、ご注文の『霊具』ですけど」
「そっちはどうだ?」
「こちらも無事、最後の調整に入ってるそうで、近々届くそうです」
「……わかった」
四葉とは、期間限定の関係だ。
『神域』の修復と、『霊具』が完成するまでの、仮初の間柄。
契約をしている間だけ、自分を満たしてくれる。
──このまま、手放したくないな。
視線を窓の外に向けると、四葉は変わらず、クラスメイト達と談笑していた。
彼は、普通の世界でそのまま笑っているほうが、大好きな家族や友人のことだけ考えて、怪異なんて得体の知れないものと関わらずに過ごす方が、幸せなのではないだろうかと考えてしまう。
だって一緒にいれば、どうしたって巻き込むから。
──こんなはずじゃ、なかったのに。
ただ、霊力を分けてもらえれば、それでよかった。それ以外には興味がなかった。
女だと見た目のせいかすぐに執着されるから、相手が男ならそんなことはないだろうと思ったのに、まさか自分がそうなるなんて。
四葉は、表情にこそ自分への好意を滲ませるけれど、最初の約束を破らないようにしているのか、ちゃんと弁えてくれている。
「……菖、最近何考えてるんです?」
「べつに……」
言わずとも、陽葵にはきっと何を考えているか知られているだろう。敢えて言う必要もない。
それに口にしてしまったら、止まれない気がする。
「菖は、もうちょっとだけワガママに生きても、いいと思いますよ?」
「そうかな?」
チャイムが鳴り始めたので、陽葵が席を立った。
それから菖の肩を、ぽんと軽く叩く。
「菖がもっと強くなって、守ってあげればいいんですから」
「……そうだな」
全部が終わったら、ちゃんと話をしよう。
その先の話を。
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