4-4 *



 ハッと気付いて目を開けると、夕焼け空をバックにしたツリ目の美人がこちらを覗き込んでいた。

「……あ」

「起きたか」

 菖がどこか不貞腐れたような、泣き出しそうな顔で四葉を見ている。

「僕、どうしたんだっけ?」

「……敵の術にかかって寝てた」

「ああ、なるほど」

 四葉はやっぱりそうだったか、と胸を撫で下ろし、ゆっくりと身体を起こした。

 夢だったとはいえ、母があんな言動をとるはずがない。あれはきっと敵の罠だったのだろう。

「……なんともないか?」

「え? うん」

「本当か?」

 そう言って菖がぺたぺたと肩や頭、を撫で回してきた。ケガをしてないか確認しているらしい。

「いや、本当! どこも痛くないし!」

 四葉が答えると、菖が大きく息を吐いて抱きついてきた。

「菖くん?」

「……よかった、目が覚めて」

 どうやら心配してくれていたらしい。

 ──だからあんな顔してたのか。

 優しい人なのは知っていたけど、自分に対する扱いがだいぶ雑なので、心配されるとは思っていなかった。

 四葉はそっと菖の背中を、子どもをあやすように撫でる。

「ごめんね、心配かけて……」

「お前に何かあったら、お前の家族に申し訳が立たない」

「……そっか」

 ムッとした声に、四葉は苦笑した。素直に心配だった、とは言ってくれないらしい。

「──どんな夢を見てたんだ?」

「あー、えっとね」

 四葉は眠っている間、亡くなった母親の幻と会ったこと、そしてその言動が母ではあり得ないものだったことを話した。

 それから、菖の声が聞こえてきたおかげで、母親の幻を突き放せたことを話すと、菖がああと頷く。

「お前にアレが入り込んだのを見て、引き剥がすために、お前の身体に『浄化』の気を送り込んだんだ」

「えっ」

「他人に霊気を送り込むなんてやったことなかったけど、他に方法が、思いつかなくて……。本当になんともないか?」

 ──なるほど、それでか。

 菖が四葉の身体を異様に心配していたのは、普段やらないことをしてしまったからのようだ。

「うんっ、本当に何もないから。大丈夫、大丈夫」

 そこまで言って、菖がようやく身体を離す。

「──なら、いい」

 まだ少し不安そうな顔で髪を掻き上げていたが、納得はしたようだった。

 四葉は頭でも撫でてあげたい気分だなぁと思いつつ、何か忘れているような気がして考える。

「あっ!『補給』!」

 自分の『仕事』を思い出した四葉が、菖の肩を掴んだ。

「敵も倒したんなら、『補給』しなきゃ!」

 四葉がそう言いながら顔を近づけると、菖が身体を逸らしながら、やんわりとその肩を押し除ける。

「……いや、今日はいい」

「えっなんで?『浄化』を使った上に、敵も倒したんでしょ? それなら『補給』しないと!」

 至極真っ当な意見を述べたはずなのだが、なぜか菖はムッとした顔をしていた。

 それから、すっと視線を逸らして。

「……お前『彼女』できたんだろ?」

「は?」

「俺だってさすがに、恋人がいる奴とほいほいキスするのは、抵抗あるし……」

「……彼女? 恋人?」

 予想外の言葉に、四葉は目をパチクリと二回瞬きした。

 すると、菖はムッとした顔のまま、ぶっきらぼうな声を投げる。

「ほら、昨日の放課後の。告白されてたろ、中庭で」

 そこまで言われて、四葉はようやく膝を打った。

「ああー、柏木さん!」

「それだそれ。あー、だから今後は少し……」

 しどろもどろで言葉を続ける菖に、四葉は慌てて両手を振る。

「だ、大丈夫! 付き合ってないから!」

「は?」

「だ、だから。お断り、したので」

「……なんで?」

 菖には予想外の返答だったらしく、困惑の表情をしていた。

 こちらとしては、呼び出されていたのを見られていたほうが予想外である。

「いや、その。柏木さんは僕じゃなくて、菖くん狙いだったっていうか……」

 四葉は頭を掻きながら、昨日起きた顛末を全て話した。そして聞き終わった菖は、一気に疲れたように項垂れる。

「……なんだよそれぇ」

「最近多いんだ。菖くんとよく一緒にいるからか、手紙渡してくれとか、菖くんを呼び出して欲しいとか、なんか色々」

「マジか」

「んで、陽葵くんに相談したら、菖くんに渡してと貰ったものは全廃棄すること、連絡先は絶対に教えないこと。それから菖くんにはイチイチ報告しなくて大丈夫って言われてて……」

「……しょーもな」

 どうやらこれまで、そういうことをされていた事自体、菖は知らなかったらしい。

 ──もしかして、昼休みに素っ気なかったのも、僕に恋人が出来たと思ってたから……かな?

 例え本当に四葉に恋人が出来ようが、まったく気にせず横暴なままでいると思ったのだが、案外、気遣いや遠慮をしてしまうタイプのようだ。

 四葉は項垂れた菖の顔を、下からそっと覗き込む。

 なんともいえない、不貞腐れた顔をしていた。

「あの……だから、『補給』は遠慮しなくていい、ですよ?」

 覗き込んだ姿勢のまま四葉がそう言うと、ジロリと菖の視線がこちらを見る。

 それからゆっくり顔を上げると、軽く口を合わせて、すぐ離れてしまった。

 ──いつもより霊力を使ってるはずなのに。

「……あの、足りる?」

 思わず四葉が尋ねると、菖はいつものように手のひらをグーパーしながら見つめる。

「……いや。でもまた後でちゃんと『補給』するから、少し待ってろ」

「後でって、何するの?」

 四葉の質問には答えず、菖はゆっくり立ち上がると、屋上の中心になる辺りに移動して、木刀の切っ先をコンクリートの地面につけた。

「建物内に残ってる『残滓』もまとめて『浄化』する」

「えっ」

 驚く間もなく、菖はゆっくりと『浄化』のための祝詞ことばを詠唱する。

ケマクモカシコ伊邪那岐大神イザナギノオホカミ筑紫ツクシ日向ヒムカタチバナ小戸ヲド阿波岐原アハギハラニ……」

 ゆっくりと言葉が紡がれていくのに合わせ、青白い光が建物全体を静かに包み込み始めた。

 優しくて暖かい、心が穏やかになるような柔らかい光。

 その光は詠唱が終わると、そのまま静かに、夕闇に溶けていくようにゆっくりと消えていった。

「だー、つかれた!」

 屋上の中心で、菖はそう声を上げて座り込むと、そのまま大の字になって寝転ぶ。

「大丈夫?」

 四葉は慌てて菖の元へと駆け寄った。

 基本的に『浄化』は膨大な霊力を使うと聞いている。ただでさえ戦って消耗している状態なのに、少しの『補給』でやっていい作業ではない。

「依頼は、原因の排除だけだったのに」

「……そうなんだけどさ」

 寝転がったままの菖は、紺とオレンジのグラデーションを描き始めた空を見つめてポツリと言う。

「家族や大事な人には、早く目覚めて欲しいだろ」

 原因である夢魔は排除した。数日すれば眠り続ける者たちに入り込んだ夢魔の『残滓』も消えるだろうが、それでもやはり時間はかかる。

 だから建物全体を『浄化』し、残った『残滓』を一掃したのだ。

 少しでも早く長い眠りから覚めて、笑ってもらえるように。

「……うん、そうだね」

 ──やっぱり、菖くんは優しい人だ。

 内心笑っていると、寝転んだままの菖がジロリと四葉の方に視線を向けた。

「おら、仕事しろ」

「はぁい」

 四葉は菖のそばに膝をついて、まだ眉間に皺を寄せたままの顔を覗き込む。

「……お疲れ様、菖くん」

 自分から唇に触れにいくのは、初めてだったかもしれない。

 綺麗な形の薄い唇を、自分の唇で柔らかく塞ぐ。

 先ほどよりは長く、いつもと同じくらいのタイミングで離れようとしたのだが、まるで上から押さえつけるみたいに頭を掴まれた。

「……んんっ!?」

 軽く触れていたくらいのはずが、押し付けるようにくっついて、小さく開いた口の中に分厚い舌が入り込んでくる。

 驚く舌を絡め取り、口内を我が物顔で蹂躙されて息が苦しい。まるで口内の唾液を、残らず搾り取られるような気分だ。

 そのうち頭を掴んでいた手が離れ、ようやく解放される。

「……こんなもんかな。ごちそーさん」

 顔を離すと、菖が自分の舌で上唇を舐めながら、楽しそうに言った。

「ちょっ、何、今の……っ!」

 普段ならされないことに驚きすぎて、言葉がうまく出てこない。そんな四葉のことなど気にも留めず、菖はゆっくり身体を起こした。

「んー? 口を合わせるだけじゃ足りなかったから」

 いつものように菖は手のひらをグーパーして、補充された霊力の状態を確認する。

「でも、だからって、あんな……」

「前に言ったろ? 補給方法は、近くにいる、触れ合う、体液を摂取するの三つだって」

「そ、そうだけど!」

 顔を真っ赤にして抗議する四葉に、菖が指を三本立てて見せた。

 唾液も、言われてみれば確かに体液の部類である。

 ──だからって、いきなり舌いれなくてもっ!

 うっかり先ほどの感触を思い出してしまって、顔が熱い。

「……顔真っ赤」

「うっさいな!」

「今更照れるなよ。ほぼ初対面でベロチューしたんだし」

 確かに、言われてしまうとそうである。

 倒れていた菖を介抱して、その時にされたキスもあんな風に舌を絡めるようなものだった。

 四葉は赤い顔でムッとしたまま口を開く。

「あれは! ……勢いに負けたっていうか。しないと菖くん、死んじゃいそうだったからで……」

 真っ青な顔で言われて、うっかり承諾してしまっただけなのだ。あんなことをされるとは思ってもいなかったので、若干後悔したくらいである。

 それになにより。

「あれ……初めてだったのに」

 ポツリと言うと、さすがにそれは予想外だったらしく、菖が驚いた顔で四葉を見た。

「……え、ガチで?」

 四葉が口をヘの字に結んだまま小さく頷くと、菖が少しバツの悪そうな顔で視線を逸らす。

「そいつは……悪かったな」

 頭を掻く菖の耳が、ほんの少しだけ赤い気がした。

 それからとりあえず、と言わんばかりに菖が咳払いをして立ち上がる。

「さ、院長に報告して帰ろうぜ」

「はーい」

 返事をしながら四葉も立ち上がり、空を眺めた。

 もう日が落ちて、夜が近い。

 紺色が支配しはじめた世界で、端に燃えるオレンジ色を眺めながら、二人は屋上を後にした。

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