3-2

 ◇



 四葉と菖を乗せたタクシーの停車した場所は、有名な高級マンションの前だった。

「……え、菖くん、ここに住んでる、の?」

「あ? そうだけど」

 クラクラするほど背の高いマンションの周辺は、綺麗に手入れされた低木で囲まれ、エントランスの近くには、小さな人工の川まで流れている。

 一緒に『仕事』をした帰りに、度々タクシーで送ってもらうことはあったが、基本的に四葉が先に降りることが多いので、菖の家まで来るのは初めてだった。

 すぐに戻るからとタクシーを待たせると、少し考えた顔をした菖に連れられて、四葉もマンションへ向かう。天井高い、明るくて開放感のあるエントランスを通り抜け、エレベーターで二十階まで上がった。

「……菖くんて、本当にお金持ちなんだね」

「まーな」

 顔よし、スタイルよし、家柄よし。

 ひとまず性格を横に置いたとしても、異性なら当たり前に好きになりそうな人物だと改めて実感する。

 ──そりゃ契約時に『好きになるな』なんて、言われるわけだよな。

 鳴崎家といえば、『鳴崎不動産』という名前をテレビでもCMで見かけるくらいには有名で、都内はもちろん隣県でもそれなりに事業を展開している会社だ。

 菖がそこの息子だという話は聞いていたものの、まったくピンときていなかったのもあり、半信半疑だったのを納得してしまう状況である。

 二十階に辿り着き、土足で歩いていいのか躊躇うようなふかふかの床をしばらく歩いて、たどり着いた部屋のドアを菖がカードキーを使って開けた。

「お、お邪魔します」

「はいよ」

 玄関から伸びる、短い廊下の突き当たりのドアを開けると、驚くような広さのリビングが目に入る。

 五、六人は座れそうな大きいソファに、その手間にダイニングテーブル。ドアを開けたすぐ右手にカウンターと、広々としたキッチンがあった。

 リビングに入る手前に左へ曲がる廊下があったので、部屋は多分まだあるのだろう。

「適当に座ってろ」

「はい……」

 四葉は借りてきた猫のように肩をすくめながら、とりあえず目に入った大きなソファに腰を下ろした。しかし、手触りの良い生地の貼られたソファの、これまで座ったことのないふかふか具合に、四葉はさらに緊張する。

 ──ぜったい高級品……! 汚したら怒られるやつ!

 しかし菖はそんな四葉のことなど全く気にせず、通学鞄をソファに投げ込み、リビングの奥へ向かった。

 入ってすぐには見えなかったが、リビングはまだ左奥に続いていて、そこにはジムで見かけるようなトレーニング機材がいくつも置いてある。

 さらにその奥には、たくさんの木刀を並べた棚とカゴのようなものがあった。カゴのほうにはいくつか木刀を突き立ててあり、そちらには刃の部分に文字がない。

 ──あっちは練習用、とかかな。

 菖は割れた木刀を袋から取り出すと、棚の下の方に置き、上にある木刀を吟味している。

 四葉は菖の言った通り、本当に替えの木刀がたくさんあることに安堵し、それから改めて辺りをキョロキョロと見回した。

 大きな窓からは少し白み始めた青空がよく見え、街並みが遠くまで続いている。リビングの壁には絵画が飾られ、ダイニングテーブルも、カウンターの向こうに見えるキッチンも、隅々まで掃除が行き届いていて綺麗だ。

 しかし、なんだか綺麗すぎる気もする。

 ──なんか、あんまり生活感がない、ような。

 この時間なら家族、例えば専業主婦の母親などが家にいてもいいはずだ。両親はやはり共働きなのだろうか。広い家だがまるでホテルのようで、人の気配を感じない。

 疑問に思ったのが顔に出たのか、木刀を選ぶ菖がふと口を開いた。

「一人暮らしだから、俺ら以外には誰もいねーよ」

「えっ」

 こんな広い部屋に、家族数名でのんびり住めそうな部屋に一人で住んでいるというのはなかなかの衝撃である。

 ──こんな広い家に一人きりだなんて。

 あらゆるものが高級品で揃えられ、綺麗に整えられているけれど、なんだか妙に寒々しく、寂しく感じてしまう。

「……家事とかも、菖くんがやってるの?」

「いや、隣に陽葵の家族が住んでるから、うちもついでにやってもらってる」

 陽葵の家は鳴崎家をサポートするのが役目だと言っていたが、本当に家族ぐるみで支えているらしい。

「──体質的に、相性のいい『神域』が近くにないとダメだからさ。鳴崎が管理を任されてる場所で、ちょうどいい『神域』のある場所が、この清宮町ってわけ」

「そっか……」

 体質のためとはいえ、家族と離れてこんな広い家に一人で暮らすなんて。

 ──僕なら、耐えられないかも。

 上の二人の兄と姉が家を出ることになった時も、四葉は寂しくて泣いてしまったのを思い出す。家族みんなで、一緒にいるのが大好きだったから。

 四葉の様子を離れて見ていた菖が、突然口を開いた。

「……誰もいないからって、俺のこと襲ったりするなよ?」

「はぁ!? そんなことするわけないでしょ!」

 妙なことを言い出したので、四葉は反射的に大声で返した。すると菖は、うーん、と何か考えるような顔で四葉を眺める。

「でもまぁお前は、襲うより喰われそうなタイプだよなぁ」

「……うっ」

「冗談なんだから否定しろよ」

「いや、体力も腕力も平均以下だから、否定が……できなくて」

「……くっ」

 顔を伏せた菖が、肩を揺らして笑っていた。

「もー! 早く持ってく木刀決めて!」

「はいはい」

 四葉は揶揄からかわれたのだと分かり、頬を膨らませる。

 少しでも同情的になってしまったのが悔やまれた。

「──まぁ一人で暮らすのも、仕事を受けるのも、一人前になるための修行の一環だからな」

「そういえば、まだ半人前だって言ってたね」

 菖がようやく決めたらしく、木刀を一本だけ持ってソファのほうへやってくる。

「本当に強い敵は、夜に現れることが多いんだよ。俺はまだ、そっちで戦えるレベルじゃないんだ。だから半人前は、黄昏時の仕事で修行するしかねーの」

「菖くんもそのうち、夜に仕事を?」

「ああ。でもそうなるには、ちゃんと戦えるよう、強くならないとだけど」

 確かに、漫画やアニメで見るこういった『祓い屋』の仕事といえば、真夜中に行っているイメージが強い。

 組織的にやっていることらしいので、やはりその辺りには一定のルールがあるようだ。

「鳴崎家で一番強い『破魔』の力の使い手ではあるけど、生み出せる力が少ないからな。これは大人になるまでに、解決策を見つけないといけないけど……」

 菖が選んだ木刀を持ち運び用の袋に入れながら言う。

 いつも、どんな『仕事』でも、文句も言わずにこなすのは、彼にとっては修行だからなのか、と四葉はようやく納得した。

 今までの彼でも十分に強いとは思うけれど、これまでの仕事が『半人前にも任せられる』レベルであるなら、本来はもっとずっと、大変な仕事なのかもしれない。

「ま、今はお前のおかげであれこれ出来るから、色々試させてもらってるけどな」

 木刀の入った袋を肩に担ぎ、菖がどこか楽しそうにニヤリと笑った。

「契約終了まで、頼むぞ四葉」

「……うんっ」

 さぁ行こうか、と玄関に向かう菖の後を四葉は追いかける。

 強くなりたいと人一倍に努力している菖の手伝いができるのは、ちょっとばかり誇らしい気持ちになった。

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