雪江のこと

宝飯霞

第1話


 ややぽっちゃりしている十三歳の垂れ目の少女こそ雪江である。足が太く、顔に肉がつきやすいために、その顔は丸く、二重顎である。目は埋もれて小さく見えた。口周りはニキビだらけである。あまり美しいとはいえない少女だ。それでも、雪江と二人暮らしの祖母の茂は、雪江を痩せさせようと食事を制限したりした。しかし、思春期になった雪江は、反抗期になり、しかも常に空腹で、子供の頃は黙って従っていたものが、我慢できなくなり、祖母に向かって文句を言うようになった。孫が可愛い祖母は、傷つけられ、仲直りしたくて、こびるようにおやつをこしらえ、孫に食べさせた。そうしているうちに、子供の頃は標準だった雪江は、思春期にぽちゃぽちゃしてきてしまったのだった。


 雪江はあまり社交的な子供ではなかった。大人しく、引っ込み思案で、人前に立つとすぐ赤くなった。そして、熱くなった顔を隠すために、彼女はいつも下を向いたり、手でかばったりした。家では大きな声が出せるのに、外では小さな風のような声しか出せない。彼女は人から笑われる事を何よりも恐れ、自分の影が薄くなるように、いつも後ろに引っ込んでいた。


 しかし、思春期の子供というのは残酷で、大人しい雪江は見下され、一人の人間を蹴落としていくというのは楽しいもので、同等の相手と思っていない、自分以下の人間が、笑いを抑えられ、悲しそうに苦しそうにしていると、自分がその人よりも高い位置にいる気がして、喜ぶ輩がいるものだが、そんな輩に雪江は時々聞こえるように容姿のことなどの悪口を言われた。何も反応しないように、聞こえていないようにしようとするのに、顔は雪江の気持ちを裏切って赤くなり、それを見た意地悪な連中が満足の笑いをあげるのだった。雪江は屈辱感に胸が激しく動悸した。小さな目でその人たちを盗み見ると、彼らは楽しそうで、幸福そうである。自分はなぜこうも不幸なのだろう。彼らは意地悪なのに、なぜあんなに毎日楽しそうに幸福そうに過ごしているのだろう。彼らに罰があたるということはないのだろうか。どうして、何も悪いことをしていない自分に罰のようなものがあたっているのだろう。もしかしたら、祖母に文句を言って食べ物をせびっているせいで、神様が怒って私に罰を与えたのだろうか。でも、祖母が食べ物をくれないのが悪いじゃないか。私はひもじい。ひもじいと勉強にも身が入らない。栄養の必要な子供なのだ。食べ物をもらうのは当然の権利ではないか。なのに、無害の人間を侮辱し、傷つけた人が罰を受けないのはどういうことだろう。どうして私だけがこんな目にあうのだろう。


 学校のグループ行動になると、いつも雪江は一人余った。誰も雪江をグループに入れたがらない。


「だれかいれてやらないか」


 先生が言うと、みんな苦々しい顔をして不快を露わにする。臭いわけではない、汚いわけではない。しかし、嫌われている人間というのは、平和な日常を送っている者にとって、不潔で身の毛もよだつほど恐ろしい存在なのだった。


「男だらけだけど、僕たちの方に入りなよ」


 そのとき女たちの嫌なところを見ていられなくなった男子生徒が声をかけた。彼は国丘竜二という生徒で、痩せて背が高く、色の白い、つり目の美男子であった。どっとはやし立てる声が挙がった。


「まじかよ。雪江を入れるのかよ。恋をしちゃったなあ」

 女子に取り入ろうとする他の男子がふざけたことを言って、馬鹿にした。

「何言っているんだよ。みんなでのけ者にして、可哀想だと思わないのか」竜二は怒って目をつり上げる。


 雪江は恥ずかしくてたまらなかった。ありがた迷惑だ。自分だけじゃないか。女の子なのに、一人だけ男の子のグループに入れて貰うなんて。女なのだから、女の子のグループに入るのが当然じゃないか。なのに、男の子ばかりのところに、お情けで無理矢理いれてもらっているのが丸わかりで、浮いている。みっともない。滑稽というものだ。あまりに恥ずかしい。雪江は胸が揺すぶられ、涙がこみ上げてきた。あまりに自分が惨めだと思ったのだ。


 両目に涙を溜めてうつむき、立ち尽くしている雪江を見て、彼女の自分では決められないという意思を、じゃあ、僕が代わりに決めてやろうというように、竜二が、雪江のそばに歩みより、その柔らかな手を掴むと、自分たちのグループの輪に連れてきた。


 雪江は嫌でもそのそぶりを見せる勇気はなかった。雇われ者のように、竜二の行動に圧倒され、黙って従い、受け入れるのが自分の役目だと思った。


 竜二の甲斐甲斐しさは担任教師にも誉められ、彼がそんなに親身ならと、席替えの時、竜二は雪江の隣に決められた。誰もが嫌がる中、竜二は嫌がらないので、嫌な奴と一緒に座るよりもいいだろうと担任がきめたのだ。竜二は席が隣になると、雪江に向き合い、よろしくと、握手を求めてきた。それがわざとらしくて、雪江は嫌な気持ちになった。どうせ私なんて嫌いなくせにという卑屈な気持ちが、雪江を恐ろしく否定的にした。竜二の優しさを素直に受け入れられないのは、彼女があまりにも惨めで、その暗い境遇になれすぎていて、光を当てられてもそれを光と受け入れられないからなのだ。


 学校の授業で問題を当てられた雪江は、それが難しくて、答えられずにいると、竜二はそっと答えを隣からささやく。雪江はその答えをそのまま言うのは何だかずるいようで嫌な気がしたが、早く言えよ、ぐずぐずするなよという批判的な視線に耐えられず、ついに答えてしまう。


 かりができたことが酷く屈辱的だった。自分のような嫌われ者に優しくするやつが憎かった。彼の優しさが信じられなかった。どうせ嘘だろうと思って、演技だろう、みんなに良く思われたいから、私を利用しているのでしょうと雪江は否定的に彼を恨んだ。


 そうしている方が良かったのだ。素直に喜んじゃいけない気がした。自分にはそんな資格はないように思ったのだ。


 竜二は勉強ができたので、雪江の勉強を頼んでもないのに見てくれた。授業中、プリントの問題を解くように時間を与えられると、雪江は手が止まる。それを見かねて、竜二が隣からのぞき込み、プリントに指を指し、ここはね、と教えるのだ。竜二の囁き声に耳を澄ませながら、雪江は顔が赤くなるのを感じる。


 どうして、彼は私にかまうのだろう。


 嫌悪に似たくすぐったさが、雪江の皮膚の上を駆け上がる。私なんかが。私は彼に何もしてあげられない。メリットがないわ。彼が私に飽きて、捨てられたときの悲しみが恐ろしい。捨てられたら、私はどれほど傷つくだろう。だから優しくされるのは嫌なのだ。最初から冷たいのなら、私も心を開かないから、それほど痛手はないけれど、私が彼を受け入れ、彼の心になじんでいる時に、裏切られたら、私はきっと死にそうなほど辛くなる。そういう目に合いたくない。だから、私に関わらないで欲しい。私を壊そうとしないで欲しい。


「雪江ちゃん。バイバイ」

 下校時間になると、竜二は雪江に声をかける。雪江は寸前まで彼を無視しようと考えているのに、声を駆けられると、こびたような笑みを浮かべて、控えめに、怯えたように手をふってしまう。こんな自分の弱さが嫌になる。


「さよなら」

 出来るだけ優しくかわいらしく、親しそうに聞こえるように。自分の心の中の彼への批判が現れないように気をつけながら言う。


「うん」


 竜二が満足したように、にっと笑うと、雪江はそれが眩しい。体が柔らかく崩れていき砂の山になる。そして、無性に腹が立って、優しい彼に対し、嫌な気持ちを抱く自分が悲しい。信じない方が良いのだ。信じたら傷つくだけだから。いつ捨てられるともわからない人を愛しちゃいけないのだ。


 竜二のそばにいると、胸がどきどきする。自分が自分でなくなる。自分じゃない大きな者が自分を乗っ取ろうとしている。恐ろしい気配に身の毛もよだつ。なのに、微かに甘い快楽も感じる。いけないと思う。こんな状態は。ふつうじゃない。

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