ひひひひひひひにちじょうっ! ~「人として終わってるお姉さん」と「人じゃないやつら」が同居することになりました~

木本奇抜

第1話 お前のような天使がいるか

「……チッ、もう無くなったのかよクソっ!」


 500mlの空き缶を力任せに投げると、遠くの方でかん、と軽い音が鳴った。不摂生に次ぐ不摂生が生んだ大量のゴミは、木目むき出しの床にこれでもかとうず高く積もっている。

 ゲップを豪快にぶっぱなし、寝っ転がるソファから半径1mにあるテーブル、その上で無造作に転がるいくつかの鈍色の円柱を睨みつける。私は腕を伸ばし、ひとつずつ持ち上げて軽く振ってみる。……手応えなし。


「つまみも無くなった……、くぁーあ。起き上がるしかねえか。……最近食べ物の減りが早いような気がすんだよなぁ、成長期なのか? 私」


 仕方なく、ソファから重い腰を上げ、ねっちょりと重たい脚を引きずる。カーテンも開けず、明かりも付けていない(節約)ので、まるで泥棒のような忍び足になってしまう。


(……冷蔵庫、遠くね?)


 ───酒を浴びるように飲み、寝る。起きて、飲んで、寝る。また起きて、飲んで、寝て、飲んで、飲んで、飲んで、寝て、寝ながら飲んで、寝て、起きて、飲む。

 不健康を煮詰めたような生活が、どうやら私の運動能力を著しく奪っていたらしい。


「……腹立つなぁ、酒。ほんっと、酒の嫌な部分。あ゛ー、でも、嫌なことを考えるほうが嫌だ。こんな嫌なことは、酒を飲んで忘れるに限る」

「うえっぷ……、気持ち悪っ……」


 ふいに目の前が歪んで、咄嗟に壁に手をつくと、みしっ、とこの上なく嫌な音がした。


「……あ゛ぁ゛? 何だてめぇ、ボロ壁のくせに生意気だなぁ? この眉目秀麗高学歴かつ妖艶極まりない大人のお姉さんが、直々にてめぇをドンッ! してやったんだぞぉ? それなのに何だその態度は、あぁン!? 言いたいことがあるなら直接言えよ。体重が重たかったですって、素直に言えよぉっ! ……それ言った瞬間に、今度はその中途半端に入ったヒビを全身に駆け巡らせてやるからよぉっ!!」

「というか、この家全体、ぼろっちいんだよ! ……まったく、タダじゃなきゃ、こんな家住みたくもねえ……うっ!」


 堪え切れずに床に吐いたら、フラフラがだいぶ収まった。また冷蔵庫を目指して、千鳥足の再スタート。


「……元はと言えば、あのクソ会社が倒産したのがいけねぇんだ。何で倒産秒読みなのに新卒募集掛けてんだよ、意味わかんなすぎるだろあのタヌキ(採用担当のハゲデブのこと)! うぉおおん、返せよ、私の華々しい社会人生活ぅ……っ」


 やり切れない気持ちを拳に乗せて、どかどかと壁に叩きつける。壁は、みしっみしっ、と元気な返事をした。クソが。


「あー、もう全部クソだ。やる気は出ねぇし、貯金はもうすぐ無くなりそうだし。……よく考えたら、この家もあのジジイに体よく押し付けられただけな気がしてきた!」


 ───あれは、初出勤したら会社がなかった日、その帰り道での出来事だった。

 道端でうろうろしていたジジイの相談に乗ったら、そのお礼にこの家を一軒、まるまるくれたのだ。既に住んでいたアパートを引き払っていて、お先真っ暗だった私は、今の今に至るまでここに惰性で居座り続けている。

 ───以上、回想終わり。


「……いや、今考えると絶対おかしい! 大学卒業したてほやほやの才女に対して、ボロ家押し付けてんじゃねぇぞ!! むきーっ!!」


 地団太を踏むと、床も壁と同じく、みしみしと声を上げた。


「へぇえー、お前も私が重いって言うんですかい。……ふっざけんなよ!? 私、まだピチピチの二十代なんですがぁ!?」

「───だめだ、マジで腹立ってきたわ。お前なんか、この麗しい御御足の生贄にしてくれるわっ! くらえっ、高学歴バフ付き、魅惑のレディーかかと落とし! うおりゃぁああああっ! ───あがっ!?」


 力に任せて思い切り踏み抜いたら、湿気で腑抜けた床はあっけなく崩れた。なすすべなく落下する私。


「……あれだな、人間、腰まで床に埋まると酔いってさめるんだな。うーん、うまくいけばイグノーベル賞、取れるんじゃね?」


 イグノーベル賞って、賞金いくらだっけ。腰まで地面に浸かりながらどうでもいいことを考えていると……、この世の全部が、どうでもよくなってきた。


「……死のっかな、私」


「ゆぇっ!? いま、死にたいって言いましたかっ!?」


 「死にたい」と呟いた人間に向けるにしては、あまりにも嬉しそうな……、まるで祝福のラッパのような、甲高い声が聞こえた。


「死にたいんですか死にたいんですかっ!? よーし今すぐ死にましょうそうしましょうっ!!」


 ───ゆるふわ金髪、輝く青い目、申し訳程度に背中に生えた純白の羽、そして何と言っても、頭上でぼんやり光る輪っか。

 やけにハイテンションなこと、ダボダボしたパーカーを着ていること、それからなんか全体的にチープなことを除けば、紛れもない天使。そんな少女が、床に埋まる私を得意げな顔で見下ろしていた。


「いやーっ、なかなかしぶとい人間でしたっ! やはりアル中と即座に見抜き、死の瞬間を今か今かと待ち続けることにしたリティアの慧眼と、にもかかわらずリティアの期待に反してなかなかくたばらないこの女……女? をじっと、そう、『じつ』と監視し続けた類まれなる忍耐力っ! それが今っ! 故郷のシャレコベ草の花畑のように、華やかに花開いたってことなんですねぇーっ!!」


 ───言いたいことは、色々あるが。とりあえず。


「なあ、高笑いしてるとこ悪いけど」


「ゆーはっはっは……ゆゆっ? なんですか、死に方ならリティアがおススメを……。あぁ、床から出してほしいんですね。確かに、床に刺さったまま昇天したからといって、未練なんて残されてはのちのち処理が面倒ですし……、いいでしょうっ! この超絶プリティー天使、リティアちゃんがあなたをぶっこ抜いて差し上げますっ」


 黙っていると、リティアとかいう少女は強引に私の脇を掴んで、さながらドデカ野菜の収穫のように、私の身体を床からぶっこ抜いてみせた。


「ゆふんっ、このリティアの手助けが得られるなんて、あなたはラッキーですねぇ! 人類でも稀にみる幸運体験ですよ。……さてさて、残りカスみたいな運もごっそり使い果たしちゃったところで、そろそろお迎えの時間と参りましょうかっ! ───ゆふふふん、これでリティアはやっと故郷に戻れゆ゛う゛ん゛っ゛!!??」


「……よく覚えとけよ自称天使のコスプレ犯罪者。───私は、燦然と輝く、女だ」


 あー拳が痛い。震えながらうずくまる少女の頭を見ると、それはもう立派にぷっくりとした、たんこぶが出来ていた。……まあ自業自得だろ、こいつは私という究極ナイスバディお姉さんを見て、『女……女?』とか言い淀みやがったのだから。


「……しっかし、何だ、この状況」


 ゴミ屋敷。無職のアル中ダメ女。自分を天使と信じて疑わない、不法侵入金髪少女。


 ───すっかり酔いのさめた私は、ぼりぼりと、かゆい頭を掻いた。

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ひひひひひひひにちじょうっ! ~「人として終わってるお姉さん」と「人じゃないやつら」が同居することになりました~ 木本奇抜 @Kimoto_Kibatsu

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