ごえん

A子舐め舐め夢芝居

ごえん

 スーツケースをひきずりながら入り組んだ路地を縫い進んでいた。角を曲がった先に目的のホステルが収容されている雑居ビルがあった。傘をたたんで入り口に入るとエレベータのボタンを押した。エレベータの中には劇の公演の宣伝ビラや日本絵画の美術展ポスターがべたべたと貼られていた。受付に誰もいなかったのでカウンターの上にあったベルを押した。奥から足音が近づいてきて人好きのする感じの女のスタッフが現れた。

「先ほど電話した橋口です」

「ああ、橋口さん、いらっしゃい。雨のなか大変でしたでしょう?」

「はい、台風で新幹線も止まっちゃって。泊まるところが見つかってよかったです」

「予報より速いんですってね。もうこんなに風が強いし、うちもさっきまで雨戸の用意をしていました。こっちには就活ですか?」

 スタッフは私の全身に目を走らせた。私はうなずいて認めた。

「大変ですねえ。今日はゆっくりしていってくださいね」

 スタッフがチェックインの手続きをするあいだ、カウンターの上に並べられた小物を眺めていた。小さな招き猫、ポムポムプリンのぬいぐるみ、一対のシーサー、エッフェル塔のフィギュア、それらの後ろに造花のはいったガラスの瓶が置かれていた。

「夜の十時にはフロアを施錠するので外出するときはこのテンキーを使ってください」

 スタッフはホステルの利用案内とロッカーの鍵を手渡した。スタッフの胸元には「中山」と書かれた名札が留められていた。中山はカウンター向こうの空間を指差した。テーブルを中心に囲むようにソファが配置されており、端には冷蔵庫とレンジが設置されていた。

「ラウンジのソフトドリンクとかお菓子とか自由にとってください。持ち込みも大丈夫です。夜はお客さん同士で交流があったりするのでよかったら利用してみてください」

「そうなんですね。ありがとうございます」

 普段なら自分のベッドにこもって利用しなかっただろう。しかしその日は人と会話したい気分だった。慣れない土地でハプニングに見舞われ心細かったのか、あるいは好奇心が刺激されたのかもしれない。

 ラウンジのソファにはちらほらと人が座っていた。私は三十代くらいの灰色のカーディガンを身につけた女の近くに腰をおろした。ストールを肩にかけた中山がやってきて昆布茶をすすめてきたので受け取った。向かいのソファでは無精ひげをはやした小太りの男が缶ハイボールを飲んでいた。男が話をまわす役をしているらしい。中山の態度からして馴染みの客のように見えたが、ホステルの常連というものが何なのかいまいち理解ができなかった。

「あれ何か知ってる?」

 男が棚に飾られた木の板を指差した。アルファベットと数字が羅列され四隅には太陽と月、星のイラストが添えられていた。私とカーディガンの女は首を横に振った。

「ウィジャボードだよ。海外の交霊会で使われる文字盤。たしか中山さんがイギリス旅行したときに買ってきたんだよね」

 男が棚のほうを振り向いて言った。中山はコップを両手で持ちながら笑ってうなずいた。

「もー安藤さん、すぐそれの話するんだからー」

「十年前かな。中山さんがイギリス土産で買ってきてそこに飾ったんだよ。そしたら次の日の朝みたら近くに置いてたシーサーの置物が床に移動してたの。シーサーの置物ってけっこう重いからさ、風とかで落ちるわけないんだよね。しかもそのときは棚の上の方に置いてたから落ちたら割れたりすると思うんだよ。でもいつも人が並べたみたいにきれいにそろって床にあったんだ」

「いつもって何回かあったんですか」

「そうそう。五回くらいそういうことが続いた。だから受付のほうにシーサーを置くようにしたらピタリとそういうことが起きなくなったの。だからあのウィジャボードは呪われてるんだよ」

「不思議な話ですね」

「四人いるしあれで交霊会でもやってみる?」安藤は半笑いでウィジャボードを指差した。

「交霊会って幽霊を呼ぶんですか?」

「そうそう。日本でいうこっくりさんですよ。私が学生のころブームになって私も友達とやっていたんですよねえ。橋口さんは知っています?」

「聞いたことはありますけど、やっている人は見たことないですね」

「だよねえ。今の若い人には想像つかないだろうけど俺とか中山さんが子どものときはこっくりさんが原因で集団パニックが起こったりしたんだよ」

「あ、でも私の友達はしていましたよ。流行っていたわけじゃないんですけど」

 カーディガンの女が言った。

「こっくりさんっていわば自己催眠みたいなものらしいよ。友達は大丈夫だったの?」

「あーそれは全然。でもちょっと不思議なことはあったかなあ」

「えーなになに?」

 安藤は身を乗り出して楽しそうな声をあげた。中山も興味と期待がにじんだ視線を向けた。女はすこし困ったような笑みを浮かべつつ話をはじめた。

「私が中二のときかな。そのとき四人グループで行動していたんですけどその中の一人の子がこっくりさんをしようって言い出して。別にその子オカルト好きってわけじゃなくて、むしろ今でいう理系女子で成績も学年トップの優等生だったんですけど。本人も別に信じているとかじゃなくて面白そうだからやってみたいって感じで」

「頭がいい子ほど妙に好奇心が強かったり行動力があったりするよね」

「そうそう。でも私は怖いのが苦手だったし、私だけ参加しなかったんですよ。それで次の日とかにどんな感じだったか聞いてみたら動いたのは動いたけど全然ちゃんとした答えは返ってこなかったって。定期テスト何が出ますかって聞いたら『ふれむ』とか。『フレミングの法則?』なんて笑っていました。でもなんかハマったみたいで何回かしていたんですよね」

「分かるー。あの非日常な雰囲気が魅力なんですよね。やっぱり教室でやっていたんですか」中山は身を乗り出した。

「教室は吹奏楽部が使っていたから理科室でやっていたみたいです。うちの学校、すごく緩くて扉開きっぱなしになっていたんですよ。さすがに夜は閉めていたんでしょうけど放課後は好きに出入りできて。でもそのうち理科室から焦げたみたいな臭いがするって噂になって。もしかしてって思って聞いたらこっくりさんで使った紙をアルコールランプで燃やしていたみたいなんですよ。さすがにそれはダメなんじゃないって言ったら本人たちは臭いが残るわけがないって」

「いやいや、そういうことじゃないでしょ」

「そうなんですよ。そういうことじゃないよって言ったんですけど取り合ってくれなくて。でもたしかに臭いが残るはずないっていうのも理解できるんですよね。紙ってべつにそんなに灰が出るわけじゃないし、机とかイスを焦がしたわけじゃないなら何日も臭いが残るとは思えないんですよね」

「たしかに。全然関係ない可能性もありますよね」

「それであんまり言っても喧嘩になるからその話は流すことにしたんです。でも今度は隣の教室が変な臭いがするって言われ出したんですよ」

「隣の教室でもやっていたの?」

 女はかぶりをふった。顔の脇に垂れていた髪が揺れて頬と顎の中間あたりに縫合痕のようなものがちらりと見えた。普段は髪で隠しているらしい。偶然目に入ったとはいえなんだか気まずくてお茶を飲んだ。

「そっちは全然心当たりがないって言われました。べつにこっくりさんが流行っていたわけじゃないから私の友達以外はやっていなかったと思うし。その隣のクラスに一人だけ全然臭いがわからないっていう子がいて」

「まあ臭いって鈍感な人は鈍感だしねえ」

「その子とは中一のときに同じクラスで二人とも自転車通学だったから駐輪場で会ったら一緒に帰ることがあったんです。そしたらその子が最近変なことが続いているって言い始めて…塾の帰りに夜道を歩いていたら足音が多く聞こえる気がするとか顔を洗っているときに鏡の中の自分と顔をあげるタイミングがちょっとズレていたとか。普段そんな話をする子じゃなかったからちょっと面食らっちゃったんですよね。まあはっきりお化けが出たってわけじゃないし、その子も頭がよくて私の友達の理系女子の子と合わせて学年のトップ2なんて言われていたような子だったから勉強のしすぎのストレスじゃないかって言ったんですよ」

「まあ勉強を頑張っているならストレスはあるでしょうしねえ」

「でも、その子が置き勉の整理をしていたら机から全然覚えのない五円玉が出てきたらしいんです。ふつうそんなところにお金は入れないじゃないですか。その子は変なことが起きるようになったのとタイミングが合っていたから何か関係があるのかなって言っていて。五円玉が机にあったってだけで考えすぎなんじゃないかなとは思ったんですけど頭ごなしに否定してもしょうがないじゃないですか。だからなんなんだろうねって言ってその場はそこで終わったんです。そうしたらその子、私と別れたあとに交通事故にあって全治三ヶ月のケガをしちゃったんですよ」

「ええ?」中山は両手を口に当てた。

「私も怖くて。偶然といえば偶然なんでしょうけどその子が入院して学校に来なくなってから隣のクラスの臭い騒ぎもぷつっと途切れて」

「偶然だろうけど気になるね。五円玉かあ」

「こっくりさんで使いますね。私のときはこっくりさんで使った十円玉とか五円玉はその日のうちに手放さないといけないって言われていてよく駄菓子屋さんに行きました」

「それでその交通事故の次の週に今度はうちの教室から変な臭いがするって噂になったんですよ」

「じゃあクラスの誰かがまた?」

「こっくりさんをやっていたうちの一人が…よく分からないんですけどホルモンの病気とかで不登校になっちゃって。一回だけ来たときは骨と皮だけな感じでガリガリに瘦せていたしあきらかにウィッグをかぶっていて…。結局卒業まで保健室登校みたいになってしまって…」

「ええ…?…その子の机にも五円玉が?」

「私もそう思って調べたんですけどなかったんですよ」

「…臭いはどうなったんですか?」

「その子が不登校になったあともしばらく言われていましたね。そのうち何も言われなくなりましたけど」

「消えたってこと?」

「さあ。慣れたんじゃないですかね」

 私たちは返す言葉が思いつかず何も言えずにいた。

「他の二人はどうなったの?」

「別にどうもなっていないです。理系女子の子は私と同じ高校だったんですけど高校でも元気そうでした」

「同じ高校?なんだ自分も優等生なんじゃん」

「でもトップ二人はさっき言った二人だったんですよ。定期テストは交通事故にあった子が一番で実力テストとか模試は理系女子の子が一番で私はいつも二番みたいな…そんな感じだったから目立たなかったんですよね」

「なるほどね」

「不思議な話ですねえ。こっくりさんが関係あるようなないような」

「偶然なんでしょうけどねえ、友達がこっくりさんをしてから一か月以内で交通事故とか不登校とかあったからなんだか不吉な感じがしちゃって」

「お友達の一人が不登校になってからはこっくりさんはやらなくなったんですか」

「不登校になる前にはやらなくなっていましたね。理系女子の子が好きだった男の子に不登校になった子がアプローチしていたのが原因で喧嘩別れして。私ともう一人は仲裁じゃないですけど二人のあいだを行ったり来たりしていました。当然三人でこっくりさんなんてやらなくなっていましたね」

「中学生らしいなあ」

「アプローチをしていた方はいわゆるぶりっ子ってやつで。理系女子の子は嫉妬深いところがあったから」

 女の話はそこで終わってそこから話題は中学や高校の思い出話に変わっていった。やがて日付が変わるくらいの時間になって交流はお開きとなった。隣の女はソファの傍にたてかけていた杖を握って立ち上がると左脚を引きずりながらベッドのある部屋へ向かっていった。

「あら両利きなんですか?カップは左手で持っていましたよね?」

 簡易キッチンの前で皿を拭きながら中山が言った。

「右利きですよ。天気が悪いと古傷が痛んでうまく曲がらなくなっちゃって」

「まあ、大変ですね」

「この歳になると若いときの無茶がたたりますね」

「あらまだお若いのに」

 女は手を口にあてて笑った。手元の杖にはお守りのようなものがぶら下がって揺れていた。中学生が友達に作って渡すような手作りのお守りで顔と名前が黒い糸でたどたどしく縫われていた。

「それかわいいですね」

「ああ、例の理系女子の友達からもらったんです。五円玉でお守りを作ったって同じグループの子に配ってくれて。その子、頭もいいし顔も美人で才色兼備っていうんですかね。私は影がうすかったから真反対の存在で憧れていたんです。だからこれはお守りというより宝物なんですよ」

「すてきな友達だったんですね」

「ええ、本当に」

 私と女はベッドのある部屋に移動した。ベッドは両側に上下二段ずつ据えられており、通路と面している側に厚手のカーテンがおろされていた。私のベッドは下段で女は偶然にも私の上のベッドだった。女は杖を脇にたてかけると足をはしごにかけたが左脚に体重をかけると痛むらしくなかなかはしごを登れないでいた。私はベッドを交換しないかと女に持ちかけた。女は私の提案にのり、私たちはベッドに置いてあったお互いの荷物を移動させた。

「ありがとうございます。正直困っていたので助かりました」

「はしご登れないのは大変ですよね。何かあれば言ってください」

 私は上のベッドにあがって着替え始めた。

「昔、交通事故にあって後遺症が残っているんですよ」

「…そうなんですね」話が終わらず私は面食らった。

「右腕は平均台から落ちたとき骨折して曲がりにくくなっちゃって」

「大変ですね」

 女は自慢でもするような口調で話し続けながら服を脱ぎ始めた。

「この顔の傷は階段から落ちたときのものです。左ひじのこれは旅行先で火事にあったときの火傷痕。お腹の傷は急性盲腸の手術で。太ももの赤い線は川でおぼれたときに岩にぶつかって切れた痕ですね。傷は残らなかったけど急に意識がなくなって救急搬送されたこともありました。大学受験の日に高熱が出たり、就活の時期に原因不明の病気で半年入院したり。去年は婚約者がビルから飛び降りて私は流産しました」

 そのとき何かが焦げたような臭いがうっすらと鼻をついた。杖にぶらさがっているお守りから発せられていた。女は寝間着を身に着け始めた。

「このお守り、数学のテストで私があの子より高い点数をとった次の週にもらったんです。認めてもらったみたいでとても嬉しかった。嬉しくて嬉しくて…」女はボタンをとめると私のほうを見上げた。

「今でも大事にしてるんです」


 翌朝、女はすでにいなかった。私はほっと胸をなでおろしたが焦げた臭いが染みついているような気がしてシャワーを浴びた。携帯を確認すると新幹線復旧のニュースが出ていた。

 チェックアウトの手続き中、中山は昨日とおなじ人好きのする笑顔で話した。

「今日はお天気も落ち着きそうでよかったですね。せっかくだし観光でもしてみたらどうですか?」

「明日バイトで朝早いから今日は帰ることにしました」

 私は女について聞いてみたい気持ちと早く忘れたいという気持ちのあいだで揺れていた。中山は鍵を受け取るとホステルの名刺を渡してきた。

「あら、やっぱり学生さんは大変なんですねえ。就活がんばってくださいね。またこっちに来たらいらしてください。せっかくのご縁ですから」

「はい、ぜひ」

 駅構内では様々な人間が各々のペースで各々の目的地に向かって進みすれちがっていた。今はこの空間が心地よかった。私は人の波にまぎれこみ、すこし迷ってからホステルの名刺をゴミ箱に捨てた。

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