第二章 猛る白魔

1話 白魔

「白魔か、クソ」


 白い波がたなびく。

 もうすぐ東地区から出る。そんな男が狙い目だ。男は様々な要因によってこの場所で襲われにくいから絶対的な警戒心が弱い。その上安全圏が見えだしたら元々弱かった警戒心はほとんど消える。

 その上金を持っているやつも多い。わざわざ危険な東地区に来るのはここの女を食うためだ。娼館の娼婦。そんな女とするために。

 どうぞご自由に、と思う。僕には関係ない。ただよさげな男を狙って気絶させて金品をいただくだけ。

 だから行きを狙った方が良いのは事実だけど、今は帰りを襲っている。始めたばかりの頃行きに襲いすぎたせいで娼館の奴らに目をつけられて殺されかけた。完全な不意打ちだったから死にかけた。本当に危険だったけれど、うけた傷はもう治った。

 そのときはほとぼりが冷めるまで一ヶ月ぐらい盗みを控えた。金もほとんどなくて、生ゴミを食べて飢えを凌いだ。あの時が一番辛かった。


「クソとは失礼な」


 口元に耳を近づけても聞き逃しそうなか細い声で呟く。あのとき以来、隠密行動ばかり取ってきたせいで大きな声が出にくくなっている。全力で出しても普通の人が普段話すときと同じぐらいの声しか出ない。

 結界魔術で男を閉じ込め、腹を殴って意識を吹き飛ばす。手慣れたもんだ。はじめの頃は弱い威力で何度も殴ったせいで逆に瀕死になっていた。

 顔は見られていない。なぜか三年ぐらい前に切ったはずの髪は当時と同じぐらいまで伸びている。適当に買った仮面もつけているから特徴はわかっても本人はあぶり出せない。

 高級娼館に来る男は例外なく金持ちだ。ついでに頭が悪い。

 何度襲われたとしても、命の危険がなければ懲りずにまたやってくる。だから重要なのは殺さないこと。死なせないこと。

 死んだらその獲物は二度と来ない。嫌な噂が広まれば娼館に来る人間も減る。お楽しみのために来ているのだから命の危機があれば来る人間はある程度減ってしまう。

 命の危険を承知の上で来る人もいるだろう。それでも、そんな少数を襲うよりはたくさんの男から少しずつ奪った方がいい。

 襲撃場所を東地区の出口付近にするのはそういう意味もある。さすがに出口付近では盗みは少なくなる。被害者が起きるまで監視していれば同業者に余計なちょっかいをかけられずにすむ。

 東地区の出口ギリギリのところに気絶している体を落とすと後ろを振り向く。


「で、何してんの灰夜」

「何もしてませんよ」

「聞き方が悪かった。なんで隠れてんの」

「それはまあ、襲撃の専門家たる白魔様のおこぼれをすこーし頂こうかなーって」

「敬っていないんだから様なんてつけんな、気持ち悪い」

「へいへい」


 物陰から黒一色の服に身を包んだ男が現れる。

 通称、灰夜。名前の由来を僕は知らない。知りたくもない。いつも会うときは黒い服を着ているから黒夜の方が似合うとは思ったことがある。ただそんなことを言っても意味がないような間柄であるのも理解している。

 彼は同業者で僕よりもずっと昔からこの東地区に住んでいる。こいつは東で会った怪物の中でもさらに化け物だ。多分僕よりも。

 魔力的には圧倒的に僕の方が上なのに、この男に勝てる未来が全く見えない。なぜか負ける気がする。実際に戦えばそうじゃなくて拍子抜けするかもしれないけれど、できれば戦いたくない。相手にそう思わせるのも重要な才能の一つだ。

 今ここでこいつが取るのの邪魔をするのは得策ではない。こいつも馬鹿じゃないから殺したりはしないだろう。遠くで監視しているか。


「そいつが餌として戻ってこれる程度ならやって良いよ。やり過ぎは僕、怒るよ」

「ありがとーございまーす」


 大きくないのに妙に目立つ声で返事する。僕の声とは大違いだ。気の抜けているように見えて、彼の瞳は常に冷静だ。そこも彼を警戒する理由の一つだ。


「じゃあ、また会わないことを祈って。さっさと死んでね、灰夜」

「そっちこそ、後輩なんだから先輩を立てなよ、後輩君」


 踵を返して駆け出す。三度ぐらい角を曲がって、建物の上に飛び乗る。9バルムぐらいの高さだから見るのにはちょうど良いだろう。認識阻害の結界を身に纏い、灰夜を確認する。

 彼は男の上着を剥ぎ取っていた。僕は買い取り屋に足下を見られたくないから盗むのは金だけだ。闇市で物は買っているけど、一食が大体400キュロスだから正直なところ厳しい。西と南は200キュロスだからかなり高い。でも、そうでもしないとやっていけないんだろう。

 灰夜は僕が既に金を根刮ぎ奪ったのを知っているから、服を取るんだろう。事実、アレは新品ではないとはいえ結構売れそうな品質だった。

 でも、なんで灰夜は僕のおこぼれなんかほしがるのか。

 あいつの腕なら間違いなく安全に娼館通いの猿どもの金を奪うことだってできるだろう。なのになぜしないんだろう。実際、おこぼれなんかもらうよりは自分で奪った方が効果が高い。

 皆、この地区に住む人間はおかしいと思う。望んで住んでいる人も、行き場がなくて住んでいる人も、無理矢理住まされている人だって。全員おかしい。もしくはおかしくなっている。

 僕が言えたことじゃないけれど、ここでは命が軽い。人の命は簡単に飛ぶ。いくら魔力が強い人間は病気になりにくくてもこんなに衛生状態が悪ければ死ぬ人も増える。

 去年の冬は、死体だらけだった。

 流行病のせいで、道ばたで何人もの人が冷たくなっているのを見た。気づけばそんな遺体はすぐに消えていた。けれど、その程度の扱いなのだ。遺体があろうが、それは日常茶飯事。ただ数が多いだけ。

 僕もその思考に染まってきている。あの日感情にふたをしてから僕はただ生きるという目的のためだけに人を襲って、金を奪って生きている。今の僕は人ではなく化け物と言われるかもしれない。

 でも、それが僕の決断だった。

 後悔はしている。

 だけど変えたいとは思わない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る