亀裂・2
「何であそこで飛び込んできた! 危ねえだろ!」
「だってジャックが襲われそうになってたから!」
「俺は一人でやれた!」
開けたところに出て、一行はようやく足を止めた。いつの間にか吹雪も止んでいる。だが、ジャックとルーシーの間には暗雲が立ち込めていた。ルーシーは興奮と怒りで顔を真っ赤にして反論する。
「はあ⁉ 悪いけど、ジャックじゃ無理でしょ、力ないもん!」
「んだと⁉」
まさに一触触発。テオドアは何とか二人の間に入り、その場をとりなそうとした。
「落ち着きなさい、二人とも! ここで喧嘩していても良い事はないでしょう。まずは戦闘に勝利したことを……」
「テオは一回黙っててくれ! 戦闘っていったって、実際に戦ったのは俺たちだけなんだから」
「ちょっとジャック、その言い方はないでしょ!」
「何だよ、本当のことだろ!」
もはや二人は激高し、互いに睨み合っていた。予想外に心無い言葉を浴びせられたテオドアは、その言葉を胸の奥で反芻する。本心から言ったわけではないとは思いつつも、その言葉は彼の心に鉛玉のように沈んだ。
「だいたいお前は、いつもいつも捨て身で動きすぎなんだよ! そんなんじゃ、いつか本当に死ぬぞ!」
「それが私の仕事でしょ⁉ 自分の身を守れない人たちを、代わりに守る、それが門番の務めだもん!」
「だとしても! 俺は、俺のことは十分自分で守れる! いちいちお前に介護してもらう必要はねえよ! お前だって、どうせ盾を構えるしかできないんだから!」
ジャックの放ったその言葉は、氷の刃のようにルーシーに突き刺さった。沈黙があたりを支配する。ジャックは我に返り、すぐに言わなければよかったと後悔した。弁明しようと口を開くが、その前にルーシーが言い放った。
「そっか。そんなに言うんだったら、もうジャックのこと守ってやんない。勝手にすれば」
そう言うと、彼女は踵を返して一人で歩きだした。残された二人は、ただ冷たい空気の中で立ち尽くしている。霊峰ゴバンガの寒さの中、ジャックは凍り付いたように動けず、ルーシーの後を追うことができなかった。
◇ ◇ ◇
一度亀裂の入ってしまった関係は、そう簡単に修復できるものではない。特に、極限の状況に置かれている時は、他者を想う余裕がなくなってしまうのは仕方のないことだった。再び冒険を再開しても、ジャックはルーシーから少し遅れて歩いていく。ルーシーの表情は分からなかった。険悪な雰囲気が彼らを包み込む。
「なあ、ルーシー……」
ジャックが遠慮がちに声をかけようとする。しかし、ルーシーは振り返らないまま、ぴしゃりと言い放った。
「何、用があるならテオドアに言って」
相変わらずよそよそしい態度に、ジャックはイラっとした。
「何だよ、せっかく謝ろうと思ってたのに」
ふてくされたようにつぶやくジャック。そしてテオドアの方に向き直ると、申し訳なさそうに口を開いた。
「なあ、テオ、さっきはごめんな。あんなこと言っちまって……せめてお前とだけは、またいつもみたいに戻りてえんだ」
「いいんですよ、私が至らないところが多いのも事実ですから。今は、ルーシーのことはそっとしておきましょう」
いつになく落ち込んだ様子のジャックを見て、テオドアは優しく声をかける。このパーティーで最年長であり、冒険の経験があるのも彼だけだ。テオドアは仲間に入れてもらったせめてもの礼として、このパーティーにできる限り貢献しようとしていた。だが、いま彼にできることは少ない。ジャックとルーシーの問題は、彼らだけが解決することができる。また少しずつ風が強くなってくる中、テオドアは一刻も早くこの山を抜けることが重要と感じた。
◇ ◇ ◇
「雪オオカミです、二人とも構えて!」
テオドアが叫ぶと、ジャックとルーシーは臨戦態勢をとる。霊峰ゴバンガは、そう簡単には冒険者たちを通してはくれなかった。モンスターの少ないルートであるとは言え、大自然に安全な場所はなかなかない。雪オオカミはアイスベアほど巨体ではないが、俊敏な身のこなしと鋭い牙をもつ危険な魔物だ。その牙には氷の魔法がかかっており、常に氷点下の冷たさを維持している。噛まれれば凍傷は免れず、傷から雑菌が侵入すれば命が助かる保証はない。ジャックたちのような冒険者としてはなるべく避けたい相手だった。
「『
ルーシーの攻撃が、雪オオカミの体を地面に叩きつける。そのまま槍で追撃を加える彼女を横目に、ジャックも攻撃に加わった。飛びかかってくる雪オオカミの攻撃をナイフでかわし、隙を伺う。何度かの回避の後、ジャックは違和感を覚えた。
ルーシーの援護がない。普段であれば、彼女が特殊スキルで隙を作ってから、ジャックが畳みかけるというのが定石となっていた。それが今日は、彼女はもっぱら自身とテオドアを守ることに専念している。そのため、ジャックが切りかかれる隙が無いのだ。テオドアもこのがたついた状況に気づいていた。
「ルーシー、ジャックが囲まれています、援護を!」
無口のまま、彼女は槍で雪オオカミの群れをけん制する。そのまま二人で攻勢へと転じるが、連携のない攻撃は隙も多かった。魔物の牙が何度もジャックの体をかすめる。このまま戦闘を続けては危険だ、とテオドアは直感的に感じた。
「仕方ありません、火を放ちます。撤退の用意を!」
二人がばらばらの方向に飛びのくと同時に、テオドアは持っていたカンテラを雪オオカミの群れに向かって投げつける。一匹の雪オオカミに攻撃が当たり、白い毛皮が炎に包まれた。寒い気候の中で体温を維持するため、雪オオカミの表皮は油分を多く分泌する。これにより毛皮は非常に可燃性が高くなっているのだ。テオドアの予想は的中し、燃え盛る仲間を見て雪オオカミは散り散りに逃げていった。
「カンテラ、壊れちまったな……」
「ですが、危機は脱しました。残りの一つはルーシーに持ってもらいましょう」
テオドアがそういうと、ジャックは腰につけていた小型のカンテラを手に取り、目を合わせずにルーシーの方へ向けた。彼女は無言のまま、奪うようにそれを受け取る。そして、テオドアに方向を確認すると何も言わずに歩き始めた。
「待てよ!」
ジャックが声を上げる。ルーシーは嫌そうな顔をして振り返った。ジャックが彼女に詰め寄っていき、テオドアも彼の後を追う。
「いつまでもふてくされてんじゃねえよ、そろそろ仲直り……」
「ジャックに言えたことじゃないでしょ!」
再び口論が始まる。二人の間の亀裂はもう、無視できないほどに開いていた。冷たい風が吹き荒れ始める。二人は言い争いながら先に進み、開けたところに出た。崖になっている空き地の下では、川が轟音を上げて流れている。吹雪が強まり、風の音にかき消されないようにと二人の声も自然に大きくなっていった。
「謝りゃいいんだろ⁉ 悪かったよ、これでもう終わりにしようぜ!」
「何その態度⁉ なんでジャックは分かってくれないの⁉ 謝ってほしんじゃなくて、私は……」
「じゃあどうすりゃいいんだよ⁉ その態度じゃ分かんねえよ!」
「態度悪いのはそっちでしょ!」
今度はルーシーがジャックに詰め寄る番だった。叫ぶルーシーを前に、ジャックはじりじりと後ろに後退していく。その背後は崖だ。テオドアは慌てて二人の方に駆け寄っていった。
「どうしてそんな分からず屋なの⁉ もうジャックなんて嫌い!」
「ああ結構だ! 俺もお前のことなんて大っ嫌いだ!」
ジャックが大声で言い放ち、力強く地面を踏みつける。同時に、轟音とともに二人の間の地面に大きな亀裂が走った。
テオドアが駆け寄るよりも早く、ジャックの姿が雪や岩とともに落ちていく。最後にルーシーが見たのは、恐怖に歪んだジャックの顔だった。
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