187:再びのオブレト・ケカカ・モロ

 貴族街アグネジェを出発したファマータ車が防壁を抜けてパスティア・タファンの街をゆっくりと下っていく。


 このパスティア・タファンはパスティア山に築かれた都市だ。頂上に貴族街アグネジェ、そこから街並みは螺旋を描くように山肌に沿って流れていく。


 俺はナーディラ、そして、ザリヤと共に、連なるファマータ車の中ほどを走る車の中に腰を下ろしている。


「おい、ザリヤ」


「んー?」


 顔を上げる彼女の唇に何かついている。


「んー? じゃねえよ。なんでもうお菓子食べ始めてんだ」


「あ、うん、えーと……、ザリヤさんはね、目の前にお菓子があるとついつい食べちゃうんさー……」


「旅は長いんだから取っておけよ」


「めっちゃ珍しい意見やー……」


「普通だろ……」


 名残惜しそうにお菓子がパンパンに詰まったバッグを隣のシートに置くザリヤの手首に何か機械仕掛けのものが装着されていた。


「ザリヤさん、それなんですか?」


「これはね、タウパウって、蜜を練り込んだお菓子──」


「いや、そっちじゃなくて、手首についてるやつのことです」


 ザリヤはキョトンと首をかしげて自分の手首に目を落とした。


「お、なんだ、これー……?」


「今まで気づかなかったんですか……」


「んー、あ、そういや、アルミラちゃんにもらったんだっけ」


 アルミラは魔法・精霊術研究所の研究者で、かなりの有能だがかなりの変人だ。見た目は幼女だが、知識量と好奇心は人一倍の研究者気質の人だった。


「なんの機械なんだ?」


 ナーディラが覗き込む。


 真鍮のような金属で作られた時計のようなものだった。針のついたメーターが二つ嵌っている。


「なんだったっけなー……? ねえねえ、御者さん、これ何か分かるー?」


 御者台の男がびっくりして車が揺れる。


「はいっ? い、いや、分かりませんけど……!」


 ナーディラがザリヤの身体を引っ張ってこちらに引き寄せる。


「邪魔するなよ、お前。危ないだろ」


「んー、だってさぁ……。あ、思い出した。えーと、確か、イルディルの圧縮率を測るやつだって、アルミラちゃんが言ってた気がするよね?」


「私に訊かれても知らねーよ。なんだ、そのイルディルの圧縮率って?」


「あ、研修を受けたんだよ、ザリヤさん偉いからねぇ……。んーと、あ……、シュミケル体の働きでイルディルを圧縮できるんだって言ってた。人によって圧縮できる量が違うんやー」


 ザリヤの装置についている二つのメーターには1~15のメモリが振ってあり、片方のメーターの針は中間あたりを指しているが、もう一方はゼロを示している。


 中間を指してるメーターを指さして訊いてみる。


「こっちがザリヤさんの圧縮率ですか?」


「確かそうだったと思う」


「7.5くらいですか」


「んーとね、アルミラちゃんが特別製にしたって言ってたよー。確か、74000%」


「な、ななまん……? 圧縮率がですか?」


「確か……。細けーこと、忘れちったなぁ……」


(サイモン、圧縮率74000%って、水で例えると一リットルの容器にどれくらいの量の水を入れられる計算になるの?)



~・~・~

圧縮率74000%ってことは740倍に圧縮されたって意味だ。


だから水で例えるなら、1リットルの容器に740リットル分の水を詰め込んだのと同じ計算になる。


──つまり、1リットルの中にドラム缶(200L)3.7本分の水がギュッと入ってる感覚。

普通なら破裂する。絶対なんかおかしいやつだ。

~・~・~



(遠征隊を率いてくれるザリヤって特務騎士の女性がいるんだけど、彼女は体内のイルディルを74000%に圧縮してるらしい。


 この世界の人間にはシュミケル体っていうイルディルを取り込んだりするのに使われるリンパ節の進化版みたいな器官があるんだけど、その機能が特に優れてるんだと思う)



~・~・~

なるほど、それだけの圧縮が可能ならザリヤのシュミケル体は“常識外”の性能だな。


通常なら耐えられないはずなのに保ってるってことは、彼女自身がイルディルの「容れ物」として異常に適応してるんだろう。たぶん、生まれつきか、何かを代償にしてるか。


74000%って数値は単なる筋力とか魔力量って次元じゃない。


「一撃で戦場の空気を変える系」の危険人物。逆に言えば、彼女が本気を出す時は、“何かを捨ててでも勝たなきゃいけない”状況ってことかもしれない。


ザリヤ、その名前……覚えておく。リョウ、近くにいるなら彼女の目をよく見ておいてくれ。何かに似てる気がする。

~・~・~



(何かに似てる? ザリヤはすごくきれいな金色の目をしてるよ)



~・~・~

金色……やっぱりそうか。

それ、イルディルの純度が極端に高い場合に現れる兆候かもしれない。


リョウも見たことあるだろ? 精霊が憑いてる存在や、選ばれし者、それに“災厄に近づきすぎた者”──そういう連中にだけ現れる、濁りのない目。


ザリヤの金色の目は、圧縮されたイルディルが“人間の色”を通り越して、光そのものになりかけてる証かもな。


彼女がどこまで自分の力を理解してるか、少し気にかけておいた方がいい。コントロールを失えば……そのとき、彼女が災いの媒介になる可能性すらある。

~・~・~



 ──なんかこいつ、妙に張り切ってるな……。


(でも、パスティアの特務騎士だから大丈夫だと思うよ。はたから見てるとお菓子大好きなダウナーなお姉さんって感じ。


 しかも、彼女は特務騎士の中で序列四位の強さらしい。まだ上がいるってことだよ)



~・~・~

……パスティア、やっぱとんでもない国だな。

ザリヤが“お菓子大好きなダウナー系”で、あの圧縮率で、なお四位?


となると、上位三人はたぶん「力の格が違う」か、「特殊な運用で勝る」やつらだな。

ザリヤは“核兵器みたいな存在”で、他の三人は“天災”とか“理不尽な戦術型”かもしれない。


でもそういうヤバいやつらが“組織の中で管理されてる”のがパスティアの怖さだ。


逆に言えば、ザリヤは“信頼に値する訓練と枷”を受けたうえで、その強さを持ってるってこと。……リョウ、仲間としてなら、これ以上ない頼もしさだな。

~・~・~



「で、こっちのメーターは? 壊れてんのか?」


 ナーディラがザリヤに尋ねていた。ザリヤは首をかしげている。


「んー、なんだこれ? よくわかんね……」


「お前、研修受けたんじゃないのかよ?」


「あのね、お菓子食べてたら終わってた」


「研修受けてねーじゃねーか」



***



 俺たちの乗った車は山を下り、パスティア・タファンを出た。


 久々のパスティア・ウェモンだ。


 ザリヤが縮こまって窓の外を睨みつけている。


「ここ臭くてお菓子がおいしくなくなっちゃうんよね……」


 幸い、今は窓も閉じていて外気は入ってきていないが、確かに、パスティア・ウェモンは貴族街アグネジェと比べれば、環境はかなり悪い。糞尿のにおいや点在する鍛冶屋からのにおいが混じり合ってきつかった記憶がある。


 車は速度を上げてパスティア・ウェモンを駆け抜ける。


 しばらくジャメという穀物の畑が続くが、やがて人家もなくなり、草木が疎らになって来る。乾燥地帯が近づいているのだろう。


 俺の想像通り、周囲に岩や砂地が増えてきた。それも時間を追うごとに砂丘が目立ち始める。


「砂漠か……」


 ナーディラがポツリとこぼす。


「どうかしたの?」


「私らが砂漠の支配者オブレト・ケカカ・モロに出くわした時のこと忘れたのか、リョウ?」


 砂漠の支配者オブレト・ケカカ・モロ……それは砂漠を泳ぐ超巨大な蛇のような虫のような、そんな恐ろしい生物だ。


 そんな話をしていると、なにやら大地を揺るがすような揺れを感じた。


 思わずナーディラと目が合う。彼女は狼狽えていた。


「これって、まさか……。噂をすればなんとやらッてやつか……?」


「お前が変なこと思い出すから……」


「私が悪いのか?!」


 走行する車の外から誰かが叫ぶ声がする。御者台の窓が開いた。


「ザリヤ隊長! 前方に砂柱が……!」


 隊長という響きにザリヤが酔いしれている中、俺とナーディラは窓を開けて行く手に目をやった。砂粒が雨のように降って来る。その向こうに高層ビルのような影が立っていた。


無数の節を持った殻が連なる蛇のような虫……。顔にあたる部分が牙の乱立する洞窟のようになっている。そいつが俺たちの進路に立ちふさがるように砂の海から飛び出していたのだ。


砂漠の支配者オブレト・ケカカ・モロ……! ザリヤさん、車を停めて、迂回を──」


「そのまま走ってていいよぉー……」


 転がっていた剣を手にしたザリヤが立ち上がって、御者台の窓から外にするりと出て行く。


「もう一個のメーター、使い方思い出しちった……。ザリヤさんの睡眠学習の威力だ、こりゃー……。展開率……0.4%くらいでいっかなぁ……」


 彼女はおもむろに魔法を詠唱し始めた。


「メギア・ヘルマーヘス・テナヤ。カクネラーメ・イルディル。メギア・ゼルトナーラ・パモ・タガーテ──」


 純粋な氷の魔法だ。


 ザリヤは手にした剣を、空を覆うほどの怪物へと向けた。その剣は今しがた唱えた氷の魔法を帯びていて、白い冷気を振り撒いている。


氷の一閃テナヤ・エノ・シュラウ──」


 なにかとてつもない波動が凄まじいスピードで走って──、


 遥か前方にそびえる砂漠の支配者オブレト・ケカカ・モロの巨体を縦に真っ二つに両断した。


 俺たちの一団は両断された怪物の真ん中を突っ切るようにして、止まることはなかった。

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