184:正体
耳を疑った。
ハラ大公妃は今、何を言った……?
だけど、彼女は口元に手を当て、愉快そうに微笑むのだった。
「驚きましたか? わたくしがグールだということに」
「きゅ、急に何を……」
「わたくしは驚きましたよ。あなたの推理が導き出した真相に。まるで見てきたかのような事実の再現でしたね」
俺は二の句を継げなかった。ハラ大公妃は俺の表情すら楽しむかのように先を続けた。
「なぜわたくしが正体を明かしたのかと疑問を抱いていますね?」
バルコニーから部屋の中に目をやる。そこにはナーディラもザリヤもいるのだ。立ち上がろうかと思ったその瞬間に、ハラ大公妃が、ふふ、と笑う。
「あなたの大切な人を殺すくらい、わたくしには訳もないことですのよ。それでもよろしければ、どうぞ」
ゾッとした。それは悪意などではなかった。ただ純粋に遊戯を心待ちにするような笑顔。
「あ、あなたは……」
「そう、ハラ大公妃というのは存在しません。わたくしの使命は、ルルーシュ家の血を汚すこと。すでにその目的は達せられたのです」
「血を……」
イスマル大公も多くの
「本当はそのことを今すぐに皆様にお伝えしたい。そして、築き上げてきたものが瓦解したことを知った絶望の顔が見たいのです」
冷たく、蛇のように、彼女は甘美な笑いを漏らした。
「な、なんのためにそんなことを……」
「簡単なこと。ドルメダの意向だからです」
「ドル、メダ……」
ドルメダは潜伏していただけじゃなかった。イスマル大公の妻という立場すらも侵されていたのだ。
ハラ大公妃──いや、もう目の前の彼女を何と呼べばいいのか分からないが、彼女は居住まいを正した。
「さて、さきほどの続きです。なぜあなたにこのようなことを話すのか」
嫌な予感がする。秘密を打ち明けられるということは、生死を共にすることと同義だ。彼女はテーブルに両肘を突いて俺を覗き込むようにした。
「あなたにジャザラさんを治療する大義があるのかと思い、あの人に進言したのですけれど……」
ハラ大公妃だったものは部屋の中のイスマル大公を一瞥する。
そうだ、初めてイスマル大公とハラ大公妃に会った時、俺はジャザラを治療させてもらえるように直訴した。その時、ハラ大公妃は何かに気づいたように息を飲み、それからイスマル大公に耳打ちをしたのだ。
「あ、あの時に……」
「その実、あなたが単に記憶を失っていただけだとは……気落ちしたものですよ」
「な、なにを言って……」
「本当のあなたはどこかへ消え去ってしまったのですね……タリク」
「タリク? それが、この身体の持ち主の……名前?」
ハラ大公妃だったものは、頬を緩めた。
「しかし、あなたは失望と共に、わたくしの心の隙間に希望の光を差し込んだのです。いえ、差し込んでしまったのです」
「どういう……意味だ?」
部屋の中がざわめいて、寒暖の時が迫っているのを告げた。
「時間がありませんから手短にお伝えします。わたくしに協力してください。内容は──」
***
「やあ、なにやら盛り上がってるみたいじゃないか」
イスマル大公がバルコニーにやって来た。ハラ大公妃だったものがにこやかに答える。
「ええ、リョウさんのお話が興味深くて……」
イスマル大公が俺の顔を見て目を丸くする。
「なんだ、顔色が悪いじゃないか」
「あ、え、いや……」
イスマル大公が俺の背中をバシバシと叩く。
「ハラちゃんに根掘り葉掘り訊かれたんだな! 分かる、分かるぞ~!」
本当のことを言えば、ナーディラが殺される。
その事実が恐ろしくて、だけど、そのことすら悟られたくなくて、俺は無理矢理に笑った。
「は、はは……、実はそうでして……」
すると、ハラ大公妃だったものも笑い声を上げる。
「あら、リョウさんこそ乗り気になってたくさん話してくださったではありませんか」
恐ろしかった。
ここには本当の心の交流などないのだ。
仮面を被った騙し。イスマル大公はただ、道化師となって踊らされているのだ。
それからの俺は、ナーディラと合流してからもずっと上の空で、何を訊かれて何を話したのかも憶えていなかった。
「おい、リョウ?」
夜の部屋、同じベッドの上でナーディラが俺に心配の眼差しを向けてきた。
「遠征が不安なのは分かるけど、私もザリヤもいるんだ。心配要らないぞ」
「ああ、分かってる……」
ナーディラに抱き締められ、彼女の胸に顔を埋める。甘いにおいに包まれるが、俺の心は和らぐことはなかった。
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