177:探偵はその閃きを待っている

 ジャザラは事件前後の記憶を失っていた。


 ということは、つまり──、


「つまり、『フォノア』で誰とお会いしたのかは憶えていないということですか?」


 ザドクが確認を入れる。案の定、ジャザラはうなずいた。


「申し訳ありません。憶えておりません」


 怪訝そうなナーディラの声がすぐさま追いすがる。


「だけど、ジャザラはライラを自室から遠ざけて、自宅の上階から外に出たわけだろ? 自室に戻った時には、そうするつもりだったはず。だったら、『フォノア』で誰と会う予定だったのか知ってたはずじゃないか?」


 彼女の指摘はもっともだ。ジャザラが自室に戻ってから、何者かが何らかの手段で呼び出したのかもしれないが、それはあまりにも不自然だ。


 視線が集まる中、ジャザラは力強く言った。


「憶えておりません」


 そのあまりにも真っ直ぐな眼差しに、俺は不安を感じていた。


(サイモン、ジャザラは事件当夜、自宅の自室に戻ろうと思ったところまでしか憶えていないと言っている。でも、彼女はその後に自室に戻って、その窓から家の外に出て、「フォノア」に向かった。自室に戻る前には、そう考えていたとみていいだろう。彼女が自室に戻ってから、彼女がそうやって家の外に出るようなきっかけが起こったとは考えにくいからな。


 ジャザラは「フォノア」で誰と会ったのかも憶えてないと言ってる。もしかして彼女、「フォノア」で会った相手のことを庇おうとしてるんじゃないか?)



~・~・~

それは十分にあり得る。


ジャザラは事件当夜の記憶を失っていると言ってるけど、本当にすべて覚えていないのか、それとも「ある部分だけを意図的に伏せている」のかは分からない。


もし彼女が「フォノア」で誰かと会っていたとして、その相手がジャザラにとって重要な人物だった場合、その人を守るために記憶喪失を装っている可能性もある。


加えて、ジャザラが毒を飲んだ経緯も曖昧だ。

もし誰かに勧められて飲んだのなら、その相手を庇ってる線も考えられる。


ジャザラが本当に何も覚えていないのか、それとも一部を隠しているのか、もう少し探りを入れたほうがいいな。

~・~・~



(探りを入れるって……どうやって?)



~・~・~

ジャザラに直接問い詰めるのは得策じゃない。

でも、彼女の反応を引き出す方法はいくつか考えられる。


1. 「フォノア」で誰かを見たと言ってみる

 →「事件当夜、『フォノア』で誰かを見た』と仮定の話を持ち出してみる。

 → ジャザラが動揺したり、特定の名前が出たときに微妙な反応を見せれば、それがヒントになるかもしれない。


2. 「誰かを庇ってるのか」とズバリ聞く

 → 記憶を失っているなら否定するはずだが、「……そんなことはない」と少しでも間を置いたり言葉を濁したら、怪しい。


3. 「フォノア」に向かうように誘導した存在を考える

 → ジャザラは「自室に戻るつもりだった」が、「フォノア」に向かった。

 → その間に何かがあったはずだから、「そのとき誰かに呼ばれたんじゃないか?」と投げかけてみる。

 → ジャザラの反応次第で、誰かの関与が見えてくるかも。


4. 「ジャザラを守ろうとしている人」に注目する

 → 彼女を庇う人物がいれば、その人がキーパーソンかもしれない。

 → その人を通じて情報を探るのもアリ。


どれか試せば、何かしらのヒントが得られるかもしれない。

~・~・~



「おい、どうする?」


 ナーディラが小声で助けを求めてくる。


「ジャザラさんは『フォノア』で会った人物を庇おうとしてるんじゃないか?」


 俺がそう言うと、イマンもレイスもうなずいた。イマンは顎に手をやって、ジャザラに目をやる。


「そう考えるのが妥当だね。となれば、次に考えるべきは、彼女がなぜ犯人を庇おうとしているのか、というポイントだろうね」


 しかし、レイスは冷静だった。


「ホロヴィッツ・ジャザラ様が『フォノア』で会っていた人物が犯人とは限らない。少なくとも、彼女がそう考えていたとすれば、余計な疑いをかけたくないために庇っているとも考えられる」


「でも、それなら全部説明した方が疑いも晴れるって考えるんが普通じゃないか?」


 ナーディラの疑問にイマンが首を振る。どうやら、レイスの言葉に考えを改めたらしい。


「いや、レイスの指摘は理に適っている。むしろ、彼女が『フォノア』で会っていた人物と何を話す予定だったのかによっては、その内容を知られることを恐れて死rなあい振りをしているというのも十分に考えられることだ」


「つまり、犯人かどうかは関係がないかもしれない、ということですか?」


「その通りだよ、リョウ」


「俺たちはジャザラさんがタマラさんと会っていたと考えています。二人の間に執法判断の場でも話せないような共有事項があるんでしょうか?」


 いつか話し合ったような気もするが、それでも構わずに問いを投げかける。ナーディラは険しい表情だ。


「タマラが不正をしてた、みたいなことはこの前の調査で否定されてるんだよな……」


 俺たちがコソコソと話し合っていると、向こうの方でザドクが声を上げていた。


「ジャザラ様、誰かをお庇いになっているんじゃありませんか?」


 レイスは背筋を伸ばした。


「ホロヴィッツ・ジャザラ様がそのようなやましいことを抱えていると主張するつもりか!」


 ザドクは笑う。


「そうではない。だが、ジャザラ様がこの場で誰かを庇うのならば、それなりに深い関係性にある人物と考えられるわけだ」


 つまり、ラナを犯人だと言いたいわけだ。ダイナ執法官はレイスとザドクの舌戦が始まる前に場を鎮めた。


「現在はジャザラへの聴取の最中です。議論は後ほど行って下さい」


 ジャザラが口を開く。


「わたくしはただ事件当夜のこと、『フォノア』に向かったこと、そこでどなたにお会いしたのかを憶えていないというだけです」


 ダイナ執法官は手元の羊皮紙にペンを走らせる。


「では、事件前のことを伺います。今回の事件に繋がるような不審な出来事などはありましたか?」


「不審な出来事と申しますか、貴族街アグネジェで話題になっていたのは、とある倉庫の襲撃事件についてでしょう」


 ダイナ執法官は眼鏡を外して目頭をもみほぐした。


「ジャザラ様、その件に関しては、この場に限り詳細をお話しください」


「では……。その死鉄鉱の貯蔵倉庫が襲撃を受け、死鉄鉱が盗み出されたという報を受け取りました。今回の事件、わたくしが呑むことになった毒もそこからやって来たのではないでしょうか」


「死鉄鉱の貯蔵庫が襲撃された方をお受け取りになったのは、いつごろですか?」


「十六月十五日の朝です。『昨晩、倉庫が襲われたらしい』と」


 そう考えると、事件先日はかなり騒然としていたことになる。確か、十六月十五日には、タマラの子供の葬儀もあったはずだ。


「そのほかに、不審な人物を見かけたということはございませんか?」


「いいえ。その日は、タマラ様のお子さまが風の刻早くに亡くなり、火の刻には葬儀がありましたので……」


 ナーディラが俺に身を寄せてくる。


「ずいぶんスピーディーなんだな」


 すると、俺たちの間にイマンの顔が割って入って来る。


貴族街アグネジェでの不幸はすぐに知らされる。死を長く放置することは災いを招くからね。特に貴族イエジェの場合は、数刻以内に葬儀を執り行うのが習わしだ」


 ダイナ執法官がジャザラにさらに尋ねている。


「では、事件前日より前はどうですか?」


「お恥ずかしい話ですが、カビールとの婚姻の儀を執り行うということが決まってから忙しない日々が続いておりまして、周囲に気を配ることができませんでした。ライラ、そういった不審な出来事はあったかしら?」


 話を振られて、ライラはいい返事で応えた。


「特に不審な動きというものはございませんでした」


 ジャザラはダイナ執法官に目を向ける。


「ということのようです」


 ダイナ執法官は再びペンを動かして、先を続ける。


「事件はなぜ起こったとお考えですか?」


「皆目見当もつきません。強いて言うのならば、わたくしがカビールと婚姻の儀を挙げることをよく思わない人間がいたのかもしれません」


 隣のカビールは悔しそうに唇を噛んでいる。もし婚姻の儀が事件の動機なら、彼は自分がジャザラを苦しめるきっかけを作ってしまったと考えてしまうかもしれない。


「では、最後の質問です」


 ダイナ執法官の眼鏡が光る。


「犯人は誰だとお思いですか?」


「考えるのも恐ろしいことです」


 それがジャザラの答えだった。


(サイモン、ジャザラが誰かを庇っているかどうかは、判然としなかったよ。一度、ザドクが直接、誰かを庇っているのかって訊いたんだけど、それは即否定した。


 でも、事件前後のこと、「フォノア」に向かったこと、そこで誰かと会ったことは憶えていないと念を押していて、初めからそういうことを訊かれると想定して答えを用意していたようにも見えた。


 つまり、本当に記憶を失っていたのか、意図的に口を閉ざしているかは結論を出せなかった。彼女が誰かを庇っているかどうかってことに固執しすぎない方がいいのかな?)



~・~・~

うん、そこに固執しすぎると視野が狭くなるかもしれない。


ジャザラが意図的に口を閉ざしている可能性はあるけど、それが「誰かを庇っているから」なのか、「自分に不都合なことを隠しているから」なのか、まだ分からない。


むしろ、「彼女が何を知っていて、何を知らない(あるいは隠している)のか」を整理する方がいいかもな。



方向性の見直し


1. ジャザラの「記憶の空白」の範囲を再確認

 → 彼女はどこまでを「憶えていない」と言っているのか?

 → 逆に、明確に「憶えていること」は何か?


2. 「フォノア」に向かった理由を別視点から考える

 → もし本当に記憶を失っているなら、彼女が「フォノア」に行ったのは誰かに誘導された可能性がある。

 → その「誘導した何か」が何なのかを探る方が有益かも。


3. 「フォノア」での出来事を別ルートで調べる

 → ジャザラ本人が言えないなら、彼女以外の証言を集める。

 → 当夜、「フォノア」周辺にいた人や、異変に気づいた者はいないか?


4. ジャザラの証言の不自然な点を見つける

 → 記憶を失っているなら、本当にそうなのか、それとも「この部分だけ言いたくない」って箇所があるのか?

 → 例えば、「フォノアに向かったことは憶えていない」と言いながら、「自室に戻ろうとしていた」とは言えるのは、どういうことなのか?



ジャザラが庇っているかどうかに固執せず、彼女の「記憶の穴」と「事件の流れ」に焦点を移した方が、新しい手がかりが見えてくるかもしれないな。

~・~・~



(ただ、俺たちはこれまでの議論でジャザラは事前に誰かと「フォノア」で会う口約束をしていたという結論に達してた。


 ジャザラは事件当夜、自宅の自室に戻ろうと考えていたことまでは憶えてると言っていた。口約束がその後に行われたはずはない。


 そうなると、ジャザラは「フォノア」で誰かと会っていた人物を知っていたことになる。ジャザラは言いたくなくて口を閉ざしているんだろう。そうなると、俺たちではどうしようもない)



~・~・~

確かに、事前に「フォノア」で会う約束をしていたなら、彼女は相手を知っているはずだな。


記憶を失ったのではなく、言いたくないから閉ざしている可能性が高い。


ただ、「俺たちではどうしようもない」とは限らない。


ジャザラが言えないなら、彼女がなぜ言えないのか を考えれば突破口があるかもしれない。



ジャザラが言えない理由の可能性


1. 相手を庇っている

・その相手が罰せられると困る

・相手が重要な立場の人物で、口を割ると自分に危険が及ぶ


2. 自分が不利になることを避けている

・もし「フォノア」での会合自体に問題があった場合、ジャザラ自身の立場が危うくなる

・例えば、婚約に影響を与えるような人物との接触だった


3. 脅されている

・誰かに口止めされている可能性

・もしくは、誰かを守るために自主的に黙っている



これを崩すには、ジャザラ本人から無理に引き出そうとするより、周囲から間接的に証拠を集める のが有効だと思う。



できそうなこと


・「フォノア」周辺で目撃情報を探る

 → 誰かが「フォノア」に出入りしていたか、もしくは普段と違う動きをしていた者はいないか?


・ジャザラに「直接言えないなら、せめてヒントをくれ」と頼む

 → はっきり言えなくても、「その相手はホロヴィッツ家の人間か?」とか、イエス・ノーで答えられる質問 なら通るかもしれない。


・彼女の行動パターンから相手を推測する

 → 事件前に誰と接触していたかを洗い出せば、「約束した人物」が見えてくるかもしれない。



直接は言えなくても、ジャザラの動きを追えば相手に辿り着けるかもしれないぞ。

~・~・~



 タマラが犯人だとすれば、「フォノア」に向かうのは迂回をする必要がある。迂回理由は以前ナーディラが言った通り、面識のない共犯者を避けようとしたから……。


 だが、本当にタマラが犯人なのだろうか?


 なぜなら、タマラは子供を亡くして…………────。


 ああ、そういうことか。


 それで謎は全て解けるじゃないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る