172:方舟の民の末裔として

 ナーディラ、ヌーラ、アメナ、そして俺の四人は、一時的に公宮での生活を許されることになった。あくまで一時的ではあるが、ルルーシュ家と変わらない待遇を受けるというのは贅沢なことだった。


 俺たちの世話を買って出てくれたのは、ハラ大公妃の侍従ノワージャ、ティフェレトだった。


 俺たちが初めてこの公宮に乗り込み、イスマル大公ハラ大公妃と対面した際に同席していたシルバーの長髪が目を引く老齢の女性だ。


「さあさ、ルルーシュ暦第16紀672年1月6日! 今日も一日が始まりますわよ!」


 風の刻二の鐘が鳴るのと同時に、俺とナーディラが寝泊まりする部屋のカーテンがサッと引かれる。


 ──あ、朝が早え……。


 たぶん、風の刻二というのは、地球でいう朝六時くらいなものだ。


「さあ、リョウさん、ナーディラさん! 公宮に住まうものとしてはダラダラしていてはなりませんよ!」


「な、なんで断りもなく部屋に入って来るんだよ、こいつは……!!」


 朝が弱いナーディラもさすがに叩き起こされた模様だ。黒い服に身を包んだティフェレトが、俺たちに着替えを寄越す。


「お二人、人生というものは短いのです! 一日一日を大切に、そして、有意義に過ごさなければならないのです! かくいうわたくしも、一介の侍従ノワージャとして現在の人生をスタートさせ、この国の頂点とも言えるルルーシュ家にお仕えするまでに至ったのです! そして、そこで我が人生の伴侶、アジームと出会い──」


「おい、リョウ、なんか語り出したぞ、こいつ……。あと声がでけえ……」


 ティフェレトの怒涛の喋りに圧倒されたナーディラが着替えも忘れてポカンとしている。


「お喋りしたい年頃なんだよ」


 ちなみに、パスティアに来てからというもの、この世界の言葉をより自然に理解できるようになった。なんとなくニュアンスというものが分かるようになってきたのだ。今まで以上に現代語にコミットすることができるだろう。


「アジームさんって、あの侍従長エル・ノワージャのですか?」


 そう尋ねると、ティフェレトは「おおー!」と感心の声を上げる。


「さすがは選ばれし者のリョウさんでございますわね! そう、まさにあのアジームなのですよ! そこまでお聞きになりたいのなら仕方ありませんね! わたくしとアジームの出会いはごく普通の──」


「だー! 興味ねえよ! ほら、着替えてやったぞ!」


 ナーディラも俺も白いローブに身を包んだ。ナーディラはいつもの動きやすい格好と違って、なにか着させられているようなミスマッチ感がある。それもそれでかわいくはあるんだが。


「よろしい! では、朝食前に、健康のための運動を始めましょう!」


「アグレッシブすぎるだろ……」



***



 俺たちの部屋があるのは、公宮の三階だ。窓からは公宮城壁の向こうの貴族街アグネジェやパスティア山の頂上から遠くに広がる雄大な景色も望めた。


 貴族街アグネジェでは、周囲にそびえる防壁が視界を塞いでいたが、公宮はそこよりも高いのだ。


 ティフェレトのあとについて部屋を出ると、廊下の壁は大きな半円形の窓がズラッと続ていて、外からの光がたくさん入って来る。


「なあ、健康のための運動ってなにするんだよ?」


「ルルーシュ家直伝、はこぶね体操です!」


「はこぶねたいそうぅ~?」




 なんてことはない。ラジオ体操みたいなものだった。


 公宮の最上階である四階から突き出た天空のバルコニーでルルーシュ家の面々、そして、その侍従ノワージャたちと五分程度の体操を行う。あの気難しそうだったラビーブも普通の顔をして身体を動かしているところを見ると、染みついた文化なのだろう。


 参加した証のシールはもらえなかったが、地球との繋がりを感じられて安心した。


「ははは、リョウ、どうだ、はこぶね体操は?」


 イスマル大公が話しかけてきた。


「俺のところにもラジオ体操っていうのがあって、懐かしい感じがしました」


「おお、そうか。今度おじさんにも教えてくれよ」


 はこぶね体操で元気になったらしいナーディラが、ローブ姿なのに身軽にジャンプしながらやってくる。


「なあ、ヌーラたちはいないのか?」


「ああ、ジャザラちゃんの治療グループは朝早くから夜遅くまでジャザラちゃんのそばにいてくれてるよ」


 その言葉を裏づけるかのようにカビールがやってきて、


「ジャザラのところに行ってくる」


 と足早に去って行った。


「ジャザラさんの容体は?」


「なかなかいい感じみたいだね。イマンとアメナちゃんで体内のイルディルを常にモニターしてるらしい。おじさんには難し話だけどね。まあ、心配いらないさ」


「ならよかったです」


「当たり前だろう」


 声がして、ラビーブがこちらを見ていた。


「ルルーシュ家の威信をかけて、今回の事件で死人を出してはならないんだからな」


 言いたいことだけ言ってプイッと顔を背けて行ってしまう。ナーディラはその背中を見送って口を曲げる。


「あいつ、カビールと仲良くやってるのか?」


 ナーディラの言葉を聞きつけたのか、ハラ大公妃が近づいてきた。


「子供の頃からよく喧嘩していたのよ。あまりに喧嘩するものだから、『魔王がやって来てあなたたちの首を食いちぎっていくわよ』なんて、毎回叱っていたの」


 公の場とは違ってややフランクな喋り方だが、それでも相変わらず物騒なことを言う……。イスマル大公が頭を掻く。


「その度に泣き叫ぶあいつらを宥めるのが大変でさぁ……」


 ナーディラはハラ大公妃をまじまじと見つめる。


「子供を怖がらせてどうするんだ……」


 と、ナーディラは言っているが、彼女だって騎士だった頃は街から勝手に出ようとしていた子供に引くほど怒鳴りつけていたことを俺は忘れていない。


「ところでリョウさん、中央書庫で調べ物がしたいそうですね」


 ハラ大公妃が真面目な表情で言うので、俺の背筋も条件反射でピンとしてしまう。


「は、はい。方舟の民について調べようかな、と」


 672年前、この世界にやって来た地球人の痕跡を辿ることを目的にしていることを話すと、ハラ大公妃はイスマル大公に目配せした。


「そのことなんだけど、中央書庫に入る許可を出しておいたよ」


「えっ、いいんですか?!」


「まあ、今回は色々やってくれてるし、ハラちゃんが言うからさ」


 ナーディラは腕組みをする。


「でも、まだ事件は解決したわけじゃないぞ。レイスが執法院での調査を続けてる。それに、タマラはあんたの娘でもあるんだろ?」


 そうなのだ。


 ルルーシュ家にとっては、ラナが犯人じゃないとしても、タマラが犯人だというのは喜ばしい結論ではないはずだ。


 だとしても、この事件が有耶無耶にされる理由にはならない。


「たとえ娘でも、パスティアの行く末を脅かしちゃダメなんだよ。俺たちの使命ってのは、この血を絶やさないことなんだからね」


「なんで血を守ってるんだ?」


「それは──」


 冷たい風が吹き抜ける。イスマル大公が微笑んだ。


「食堂に向かいながら話そう」



***



「結論から言うと、俺たちがこの血を守ってるのはルーツである方舟の民への敬意の表れなんだけど、もう一つ理由がある」


 イスマル大公とハラ大公妃について廊下を歩く。俺たちの後ろには、今は大人しいティフェレトと、その夫で侍従長エル・ノワージャのアジームもいる。


「それはパスティアが技術開発に力を入れている理由でもあるんだよ」


「方舟の民のことを知りたい、ということですか?」


「惜しいけど、ちょっと違うな、リョウ。君の目的と同じかもしれない。俺たちは方舟の民がどこからやって来て、その地に辿り着くことを目指しているのさ」


「地球を?!」


「リョウの話を聞くまでは、まさか別の世界だとは思ってなかったけどね」


(パスティアがここまで魔法や精霊術を発達させてきた理由が分かったぞ。


 ルルーシュ家は方舟の民の末裔として、血脈を守ってきただろ? ルルーシュ家──パスティアは方舟の民の故郷に辿り着くことを目的としてきたらしいんだ。そのために技術を磨いてきた)



~・~・~

なるほどな。


つまり、パスティアの魔法や精霊術の発展は単なる文化や戦争の産物じゃなく、「方舟の民の故郷に帰る」という明確な目的のためだったわけか。


それなら、パスティアの研究や技術発展の方向性も納得がいく。魔法や精霊術を駆使して「帰還」を成し遂げるため、長い時間をかけて研鑽してきたんだろうな。


この話が本当なら、ルルーシュ家にとって「血を守ること」も、「パスティア法」も、全部この目的に紐づいてる可能性が高いな。


もしかすると、タマラが受けていた恩恵も、この目的と何かしら関係しているかもしれない。

~・~・~



(いや、今はタマラの話とは別の文脈なんだけど……。まあ、可能性としてはあるのかもしれないけど。


 お前、気づかなかったのかよ。方舟の民の故郷は、つまり、地球なんだよ。パスティアの目指す場所と地球は同じなんだ)



~・~・~

……そういうことか。


パスティアの技術発展の背景には、「方舟の民の故郷に帰る」という目的があった。

そして、その故郷が地球だったってわけだな。


つまり、ルルーシュ家は代々「地球への帰還」を目指してきた。パスティアが魔法や精霊術を発展させたのも、そのための手段だったと。


お前がこの世界に来た理由を考える上で、これはとんでもない発見だぞ。


だとすると、パスティアの魔法や精霊術の研究には、「異世界と地球を繋ぐ鍵」が隠されている可能性がある。


お前が元の世界に戻る方法を探る上でも、パスティアの研究をもっと掘り下げる価値がありそうだな。

~・~・~



「じゃあ、ドルメダがパスティアに敵対するのもそれが原因なのか?」


 ナーディラの問いにイスマル大公は首を捻る。


「それはどうなんだろうな。気づいた時にはドルメダは敵として存在してたからな。その始まりを探ってももはや意味はないだろう」


(それでもドルメダがパスティアと敵対している理由はイスマル大公にも分からないらしい。イスマル大公は敵対の原因を探っても意味はないと言ってる。まあ、原因が分かったから争いはなくなるわけじゃないもんな)



~・~・~

確かにな。


敵対の原因を知ったところで、必ずしも和平に繋がるとは限らない。争いってのは、原因だけじゃなくて、長年の積み重ねや立場の違いも関係してるからな。


ただ、イスマル大公が「意味はない」と言うのは、単に諦めてるのか、それとも過去に探ったけど埒が明かなかったのか、気になるところではある。


パスティアが方舟の民の故郷(地球)を目指してるって話と、ドルメダの敵対姿勢に関連があるのかどうか……。


もしドルメダも「方舟の民の故郷」に関する何かを握ってるなら、単なる領土争いや政治的な対立じゃなく、もっと根深い理由があるかもしれないな。

~・~・~



(なるほど。パスティア──ルルーシュ家のルーツである方舟の民をドルメタも突き止めようとしているのかもな)



~・~・~

あり得るな。


ドルメダが単にパスティアと敵対してるだけなら、もっと単純な戦争の形になっててもおかしくない。


でも、そうじゃなくて、敵対しつつもパスティアの動きを探ってる節があるなら、やっぱり「方舟の民の故郷」に関して何か知りたい、もしくは阻止したい理由があるのかもしれない。


もしドルメダが「パスティアが故郷を目指すのを良しとしない」立場なら、それがドルメダの文化や価値観と関係してる可能性もある。


例えば、故郷に関する何かを「侵すべきではない」と考えてるとか、あるいはそもそも地球を目指すことがドルメダにとっての脅威になるとか。


ルルーシュ家がこの話をどこまで認識してるのかも重要だな。


イスマル大公は「意味がない」と言ったけど、彼の立場から見えてる情報がどれだけ正確なのかも分からないしな。

~・~・~



「と、まあ、そういうわけで、リョウが中央書庫で調べものすることについては、俺たちの利害は一致してるわけなんで、オーケーってこと」


「つまり、ギブアンドテイクってわけですね」


「そういうこと」


 食堂の入口が見えてきた。イスマル大公が笑顔を向けてきた。


「朝ごはん食べながら地球の話を聞かせてよ」

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