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「私は今、ちょうど十年くらい。絵本作家になりたいって思って、じっさいに描き始めて。それでようやく作品をなんとか作ることができるようになって、うーん、そうだな。うん。まあ、いろいろあった。十年。長いよね。あっという間だったんだけど、十年だもんね。十年はやっぱり長かったな」と美味しい朝食を食べ終わって一緒に並んで泡だらけの洗い場にたって、洗い物をしているときにわざとらしく腕組をして、ふふっと笑って先生は言った。

 そんな風に先生とお話をしながら、ふと、わたしはキッチンにある時計をみた。もうそろそろわたしは先生の家を出て、自分のお家に帰らなければいけない時間だった。わたしの目の動きを見て、先生もわたしが時計を見ていることがわかったみたいだった。わたしを見て、先生はとっても悲しそうな顔をした。

「最後にね、今日の日の私たちの出会いを記念して、あなたが知りたいことをなんでもひとつだけ答えてあげるけど、なにが聞きたい?」と先生は言った。わたしは先生に、最後の最後に勇気を振り絞ってずっと聞きたかったことを正直に聞くことにした。「あの、『先生はどうして絵本を描こうと思ったんですか』?」と少しだけ震える声で、わたしは言った。すると先生は少しだけ驚いた顔をしてから、にっこりと笑って、さっきの先生の言葉通りにそのわたしの質問にちゃんと正直に答えてくれた。

「『絵本に命を救われたからだよ』」と先生はわたしの目を見て、そう言った。

「私は絵本に命を救われたんだ。だから、絵本を描こうと思ったんだよ。……、ずっとむかしにね、自分自身の力だけではね、どうしても乗り越えられない深い悲しみがあって、その深い悲しみの中で絶望していた私を救ってくれたある一つの大きな光りが、たまたま絵本だったんだ。私の場合はね。だから私は絵本を描こうと思ったんだ。残りの人生をすべてかけてね。それがすべてのはじまりだったの」と先生は言った。

「先生の絵本を読んだだれかが、先生とおなじように救われるようにですか?」とわたしは言った。「うん。そうなってくれたら本当にうれしいけど、それだけじゃないかな? 私はきっと今も私が救われるために絵本を描いているんだと思う。昔からずっと、私のために絵本を描いているのかもしれない」と出しっぱなしの蛇口の水を見ながら、どこか遠くを見るようにして手を動かすことをやめて、先生は言った。

「ありがとうございました。先生」とわたしは先生にそう言った。

 それから少しして、先生とお別れをする時間になった。わたしは荷物をまとめて、帰る準備をした。先生のアトリエで描いたお母さんの絵は先生が綺麗に布を巻いてくれたので、そのまま記念に持って帰ることにした。(先生がそうしたほうがいいと言ってくれた)

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