モッキュルペッチョパス

いと菜飯

第2話 英雄の再来

「クソ店長死ねっっっ!!!」


ああ、また叫んでしまった。まずい。癖になってしまっている。叫びながらの起床。生活にまで支障が出ているんだ、コンビニのバイトはもう辞めよう、店長を刺し殺してしまう前に。


ああ、まだ寝ていたい、が、早く朝食を作らなければ。今日は一限から授業だったはずだ。祐介はバイトだろうか。物音が聴こえない。いつもならガチャガチャと音を立てながら食器洗いに苦戦している時間帯なはずなのだが。


重い頭を持ち上げる。段々と視界の霧が晴れていく。やけに身体が熱い。嫌な予感がする。


身体を起こす。何だここ。少なくとも俺の部屋ではない。本棚、クローゼット、ロッキングチェア。木製の家具が並ぶ落ち着いた雰囲気の小さな部屋だ。窓からレースのカーテン越しに暖かい光が射し込んでくる。どこだ、ここ。


祐介の部屋?違う。病院?にしては有機的すぎる。何とか情報を集めようと部屋を見渡していると、金のドアノブのついた分厚い木の扉がそっと開くのが見えた。誰かがこちらを覗いているらしい。悪趣味なやつだ。こちらから扉を思いっきり開けて脅かしてやろう。


「うわああああああああああ!!!!!お、起きてたんですね!よかった!あ、あの、少しそこで待っててください。すぐ戻りますから!ヒョーゴさーん!英雄の人、目、覚めたみたいです!!!」


声の主は所々声を裏返らせながら走って部屋から逃げていった。どたばたと階段を降りる音が聴こえる。声から想像するに、まだ小学生くらいの子どもだろう。姿はよく見えなかったが、髪が短かった気がする。きっと男の子だ。それにしても、なぜこんな小さな少年が、俺のことを見張っていたのだろうか?



「変な服」と言われたのを思い出して自分の姿を見てみる。服装に関しては何もおかしいところはないはずだ。靴を履いていないこと以外は、至って普通の格好だと思うのだが。


少年に言われたまましばらくぼーっと窓の外に広がる雑木林を眺めていると、何やら足音が聴こえてきた。落ち着きのある、重々しい足音。ゆっくりと階段を登り、こちらへ近づいてくる。来るなら来い。その時はその時だ。


勢いよく扉を開け、部屋に入ってきたのは「おっかない」という言葉がよく似合う一人の巨漢だった。でかい。身長190センチはあるだろうか。頭の上の大きなコック帽も相まってかなり背が高く見える。恰幅のいい身体を包む割烹着は今にもはち切れそうだ。腕と足には岩のような筋肉を携え、顔の下半分はごわごわとした焦げ茶色の髭で隠されている。「バイキングの生き残りです」と自己紹介されても驚かない自信がある。

てか、こいつ、俺なんかよりもよっぽど変な格好だぞ。



「目を覚ましたか。」

巨漢が口を開く。低く、重い声だ。

「…え、誰?」

自然と言葉が口からこぼれた。心拍数が急激に跳ね上がるのが分かる。嫌な予感は、的中した。


ハッ。小さく息を飲む音が聴こえた。大きな拳を一際強く握り、俯いた顔を上げながら、巨漢は重々しく口を開く。

「…案ずるな、お前の噂は町中に広まりつつあるが、ここなら誰も手を出してはこれまい。」

低く重いが、どこか温かみを感じさせる声だ。



「……どういうことですか?」

「ウン、覚えてないのか?まあ、案ずるな。端的に言えば、お前は空から堕ちてきたのだ。」

「はあ…」

「…どうやら、覚えていないようだな。確かあれは、三日前の昼頃だったか、空が真っ白に光り輝いてな。落下傘のように、ゆっくりと、お前はプラノの祈りの広場に堕ちてきたんだ。すっかり町中は大騒ぎだ。みんなお前のことを英雄の生まれ変わりだの何だのと噂しあっている。まあ、俺はこれっぽっちも信じちゃあいないんだがな。ウン。俺がお前をここに連れてきたんだ。ここなら、厄介な野次馬や城の連中どもに押しかけられる危険もないからな。」


脳がパンクするところだった。情報量が多すぎる。え、今この人何て言った?空から堕ちてきた?俺が? 英雄の生まれ変わり?何の話だ。悪い夢なら覚めてくれ。


「とんだご迷惑をおかけしました。匿ってくれてたんですよね。三日間も。本当にありがとうございました。またお礼をさせてください。生憎今は何も持ち合わせていなくて。」

冷静を装いながらも、捲し立てる。このおっさんの話が真実なのかどうかは今はどうでもいい。今の俺に必要なのは、この部屋から出る方法だけだ。


「おっと。待ちな、お客さん。三日間の宿泊代だ。600ザギン戴こう。」

「……え、俺、何も持ってませんって。え。」

「はっはっはっ。冗談さ。流石の俺もそこまでケチじゃあないからな。」


巨漢は豪快に笑い声をあげながら、くるりと背を向け、部屋から出ていった。扉の向こうから声がする。


「お客さん、腹が減ったろ。もうじきシチューができる。少し待ってな。」

冗談じゃねえ。俺は急いで巨漢の後を追う。

「ちょっと待ってください。俺、帰ります。三日も寝てたんだ。友達が心配してる。ここがどこかだけ教えてください。場所さえ分かれば、たぶん帰れます。」


「なんだ、身寄りがいるのか。」

巨漢が振り向いてこちらを見る。


「ここはヒョーゴの酒場だ。具体的な地名が必要か?ラスコー王国のバス地方、プラノの町のヒョーゴの酒場。」


ああ、終わった。

ここは俺の知ってる世界じゃないのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る