手料理
人にはできることとできないことがある。それは人によってバラバラで、だから個性というものがあるのだろう。だから出来ることを褒めることはあっても、出来ないことで強く責めることはない。
自分だって出来ないことがあるのだから。
だが、目の前にあるこれは責めてもいいはずだ。できないことにも許せる範囲というものがあるのだから。
「さぁ、食べてみて」
声を弾ませてそう言うのは母だ。私は目の前の黒く焦げていてぐつぐつと煮られるもの―――母の手料理を見てゴクリと喉を鳴らす。
美味しそうだからという理由ではない。覚悟を決めてのことだ。
私はスプーンを手に取り、黒い物体にむけて恐る恐るドロリとした液体を掬う。口に近づけると何とも言えない、辛くて甘くて苦そうな匂いがした。
この時点で側にいたリューは逃げ出した。覚悟を決めた心が今にも揺れ動いているが、母の期待に満ちた瞳からは逃げられなかった。
私は一気にスプーンを口に含む。料理が私を殺るなら一思いにして欲しいという気持ちからだった。
危うく意識がとびそうになる。いろいろな味が互いに存在を主張し、まとまりがなかった。舌触りがねっちょりとしていて、鼻がつんとする。体が喉の奥に送るのを拒否していたが、無理やりねじ込んだ。
「……どう、かしら」
無言で食べていたせいか、母は不安そうな顔で私の顔を伺っている。不味いと言ってしまえば楽なのだろうが、それは私に限ってであり母は悲しむだろう。
「う、うん。おいしいよ」
引きつりそうなる顔を無理やり口角を上げる。母はその言葉を聞いて、途端に満面の笑みを浮かべた。ほっとするが後に自分の首を締めたことになり、後悔することになる。
「良かったわ。久しぶりに本格的な料理を作ったから、自信がなかったのよ」
自信があると言わないだけマシなのだろうと思いたい。
「お母さんは食べなくていいの?」
「ええ。私は味見をしてお腹いっぱいになってるから大丈夫よ。私の分は気にしないで食べなさい。まだまだたくさんあるのだから」
母は自分の料理を食べて、何とも思わなかったらしい。 どの段階で味見をしたかが気になるところだ。
そして二口目を食べたら今度こそ昇天しそうな味なのに、まだまだあると言う。私は絶望し、現実逃避気味に事の顛末の始まりを想起した。
*
母が大量の荷物を抱えて街から戻って来たところから始まる。
「おかえりなさい。今回は荷物が多いね」
「街に遠方の国からの商人がちょうど来ていてね。珍しいものがたくさんあったから色々買って来たのよ」
街に行くのは森で生活するのに必要な品を買ってくるためだ。たまに娯楽品も買ってくるが、毎回ではない。
今回は当たりのようで、嬉しさから私は目を輝かす。
「見てもいい?」
「ええ、もちろん」
大量の荷物をロックオンしていた私はリューも呼び、皆で見ることとなった。荷物の中身は私が喜ぶものばかりだった。
日持ちのする食べ物や母とお揃いの民族衣装、魔道具など、ここらでは買うことが出来ないものばかりで久しぶりに気分が高揚してはしゃいでしまった。ずっと刺激のないところでの生活だからしょうがない。
なかでも異国の本は嬉しかった。のちに読んでみるとお姫様と騎士の恋愛物語で、展開が次々と変わって読み応えがあった。
これは実話らしい。世の中物語のような話があるんだなっと感慨深いものを感じた。
「あっ、そういえばこれもあったのだったわ」
母はごそごそと大量の荷物から何かを漁る。
「ほら、これ。クレアが前に言ってから、ずっと探していてやっと見つけたのよ」
そう言って見せたのは、赤や黄色などの様々な鮮やかの色をした粉だった。
「もしかして、これ……」
「香辛料よ。クレアの念願のね」
その言葉を聞いた途端、私は本を見つけたときよりも舞い上がった。
私は香辛料をずっと求めていた。
この地域の味付けは薄いのだ。香辛料とはあまり縁がないせいか塩を少し入れるぐらいで、素材の味を生かしたものが郷土料理となっている。
それはそれで美味しいのだが、料理のレパートリーが少なくて飽きてしまったり、日本の食事との差をどうしても考えてしまうのだ。
「お母さん! さっそく何か作って!」
「もう……これでも戻って来たばかりだから疲れているのよ」
「お願い!これでお母さんの手料理、食べたい!」
「……そこまで言うならしょうがないわね。腕によりをかけて作ってあげるわ。私の本気の料理を!」
そして現在に至る。黒焦げの料理から分かる通り、母は料理が下手だったのだ。知っていたら頼まなかったのに。
これまでの母の料理は大丈夫だったのだ。調味料が少なかったおかげだとは思うが、いつもは美味しいまではいかなかったが、普通の範疇にあったのだ。
木の実や山菜、動物や魔物の肉で、そのまま自然の味を生かしたり、焼いたりするだけで複雑な料理をしていなかった。料理を焦がしたりするミスはよく合ったが。
とにかく、母は取り敢えずなんでもかんでも入れればいいと思っている。相性とかは考えてなどなく、これを入れたら美味しくなるかなという感覚でやっているのだ。
香辛料の味を知っているのならいいが、これは遠方の国のもので初めて見るものが多いはずだ。プロの料理人でもどんな味か確かめて料理を作るはずなのだから、こんないい加減に作るものじゃない。
そんなふうに愚痴をついているが、母には直接言えない。だって母は私のために疲れている体にムチを打って作ってくれたのだ。
美味しくないから食べたくないなど、言えるはずがない。
とにかく今の状況は、まだまだ残っている見ただけで食欲が失せる料理、ニコニコと嬉しそうにしている母、逃げて隠れているリュー、そして絶望している私である。
もうどうしたらいいか分からないが、このままだと母の手料理に殺られるだけだ。
私は必至に頭を回転させてこの状況をどう脱却するか考える。
手がすべったと称して料理をぶちまける。体調不良でこの場から逃げる。リューも巻き込んで、食べる量を減らす。
とっさにこの三つは考えついたが、目の前の料理以外にもまだあるし、結局は食べることになる。早いか遅いの違いだけだ。
もう助からないということを理解する。母が傷つくことを承知の上で、不味いと言わざるをえないのか。
そこで救世主が現れる。
「邪魔するよ。……ってなんだい、この匂いは!」
スノエおばあちゃんである。
いつの間にか母の手料理の匂いが部屋に充満していたことで、顔を歪ませながら家の窓を全開にする。母はこれをなぜか好意的に受け取ったようだ。
「あら、スノエさん。いらっしゃい。ちょうど良かった。香辛料を使って料理を作ったのよ。せっかくだから食べていくかしら?」
「……老人にそれを食えというのかい」
おばあちゃんの声は小さいものだったので、かろうじて私は聞き取れたものの、母には聞こえなくて首を傾げている。
次の瞬間、スノエおばあちゃんの怒声が響き渡った。
この後は母が叱られてしょんぼりとしている姿が見られた。
傷ついているが、それは私ではなくおばあちゃんがやってくれたことなので罪悪感はまだ小さい。自ら不味いとは言えなかったから、おばあちゃんには感謝だ。
母が怒られている間、私は口に残っていた後味を水でひたすら洗い流した。リューが私を笑っていたが、リューの口にも母の手料理を無理やり詰め込んであげたら嬉しすぎて気絶した。それは母の落ち込み度を加速させることとなったが、私はリューに対して苛立った気持ちがすっきりして気分が上昇した。
ちなみにまだ少量残っていた香辛料は、別の機会に私が皆に振る舞っておいた。
それは母よりかはマシなものの、料理など調理実習しかやったことなかったため、微妙なものとなった。
それでも母の手料理よりはマシだったので、何も言わずにもくもくと食べていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます