母の苦悩 ※メリンダ視点
黒髪をなびかせて、私は走る。既に呼吸は乱れ、心臓が苦しい。それでもひたすら走り続ける。あの男から逃げる為に。
男は濁った瞳をしていた。何も映すことない、黒い瞳。鳥肌が立つほどで、嫌悪感があった。
体に衝撃が走る。地面に転び、痛みに呻く。
背中が熱い。何かで背中を刺されたようだった。
それでもなんとか立ち上がって逃げようするが、自身の異変に気づく。髪が紫色に変わっている。それだけじゃない。体の大きさも変わり、痛みがなくなっていた。
私はその異常さに驚愕し、逃げることを忘れ動きを止めた。
戸惑いを覚えるなか、いつの間にか男が前に立っていた。先程とは違う男だった。
男はゆっくりと一歩ずつ、近づいてくる。なんとなくこのまま近づかれると危険だと思った。だが、なぜか体が思うように動かない。
男との距離が目の前となる。手を伸ばせば届く距離。男は私の首に触れ、締めた。
視線が上がる。男の顔がはっきりと見えるようになった。
笑っている。高揚感に浸り、自尊に溢れていた。正気の沙汰ではなかった。
男が言う。
「お前は誰にも必要とされていない。世界からも、人からも」
ズキリと心に深く突き刺さる。
「いらないんだ。いるだけで罪なんだ。
それなのになぜお前は生きていて、なぜ俺は死ななければならないんだ?」
目の前が真っ暗になった。
月の光が届かない暗闇の中、私は一人跳び起きた。荒い呼吸が部屋に伝わり、直ぐに消え去った。
落ち着こうとして、短くない時間を必要とした。
目覚めの悪い夢だ。思い出したくないことなのに、忘れたいことなのに、頻繁に夢に見る。
夢の中の自分はいつも決まって動きをする。毎回毎回同じ夢を見るわけではないが、逃げて怯えて苦しんで、夢は終わる。
対抗はしない。弱い自分が引き起こしているから。
今回のはこれまでので酷いものに分類されるものだ。夢の中で言われたことが脳裏に焼き付いて離れない。
この精神状態のせいで、魔力がぐるぐると渦巻く。危険な状態だと、なんとか必至に制御しようとするが駄目だった。
闇が揺らいでいる。心の起伏に合わせて、ゆらゆらと。
私には闇の属性があるんだと意識の片隅で思う。属性をもっていないとその属性の魔法は使えないらしい。
だが、そんな些細なことに長く気を取られられるほど、余裕はなかった。闇がだんだんと激しく暴れていく。
大丈夫。
あの夢の通りではない。弱い自分が見せているだけ。
大丈夫。
私はここにいていい。母やリューという信頼出来る人達がいる。
だから落ち着いて。魔力を沈めて。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
*
「―――てなったんだ。……メリンダ、ちゃんと聞いてる?」
「あ……ごめんなさい。なんの話だったかしら」
「ただのミーアの愚癡だから、聞かなくてもいいぞ」
「だだの愚癡って、そんな言い方酷い! まあ、その通りなんだけどね」
メリンダは話半分になって物思いにふけっていた事を申し訳なく思った。久しぶりの友人との再会なのに、ここ最近の悩みで頭がいっぱいだった。
ここはセスティームという街の酒場だ。メリンダは街まで買い物に来ている際、偶然二人の友人と出会って酒をかわしていた。と言っても、メリンダは酒に弱いので友人が飲んでいるだけだが。
「悩みがあるなら聞くよ?」
心配そうに言うのはミーアだ。数少ない女友達で、陽気で嘘をつかない。馬鹿正直とも言う。
それでよく上司の愚癡を本人の前で言うものだから、よく怒られるらしい。
「さっきからずっとその様子だと、こちらも気になってしょうがないしな」
呆れたように言うのはネオサスだ。器量が良く優しい性格からか、女性によくモテる。ミーアも器量が良いのだが、子どもっぽい姿や性格から、付き合う対象として見られない。
ちなみにネオサスは嫁がいる。ミーアはこの三人の中で一人だけ独身なので、より残念さが分かるというものだ。
そんな二人は過去、冒険者だったころに共に戦う仲間だった。今は冒険者ではないが、気心が知れる仲間であり友人だ。
メリンダは悩みとなっているクレディアについて打ち明ける。
「クレディアのことなんだけど、寝ることも最低限で魔法ばかり練習しているのよ」
「魔法の練習に打ちこむのはいいことだが、寝ないのは良くないな」
「眠りの魔法は? かけた?」
「ええ。けど何度かかけているうちに、抵抗することを覚えちゃって……。あの子、魔法に関して優秀すぎるくらいだから」
眠りの魔法は文字通り、催眠効果がある。だが強制的ではなく、眠りを促すだけだ。
簡単な魔法なので、クレディアは膨大な魔力をもってすぐに抵抗してしまった。
「私、クレアには口頭で強く出れないから、もうどうしようもなくて……」
「それって、あの事件のせい?」
ミーアが言うあの事件とは、数ヶ月前に起こったダルガという男達が襲ってきた件だ。
あの時、もっと速く帰っていたらという後悔に苛まわれる。それになぜ出かけているタイミングで、とも。
あの男達は街で有名な者だった。勿論、悪い意味でだ。
冒険者でCランクだったせいか、住人に横暴を働いたりして、理不尽な要求をしていた。裏でもそのようにしていたらしく、多くの人から恨みを買っていたらしい。
こんな奴らが魔物に追われ、偶然にも私達が住む家まで来た。そして家を荒らしてクレディアを殺す一歩手前までしていて、今でも強い怒りが湧いてくる。
あの事件によって、クレディアは心に深い傷を負った。リューも襲われたのだが、あの子ほど切羽詰まっているわけではない。
クレディアは強くなろうとしてる。それは自衛が出来ることなのでいいことだが、どこか危うい感じがする。
それでも私は魔法の本を渡した。とりあえず、知識面からゆっくり魔法についてやらせようとしたのだが、まさかそこに書かれていることを一日もかからずに全て理解し、実践するとは思わなかった。
メリンダは魔法が使えるので、本の内容をだいたいでも理解したなら、そこから魔力操作の訓練をさせようとしていた。
だが、クレディアはメリンダが思っていた以上の資質があった。慌ててクレアが魔法を実践していたのを辞めさせて魔力訓練をさせたが、もう十分に魔力操作が出来ていたので必要性はないと思った。
実際、メリンダ自身はその訓練をしていない。やらなくても魔法は使えるのだ。
魔力が大きすぎるから、魔法が不発したときに暴発させないようするためだから、とクレディアには他の者よりも必要なだけだった。一応過信しないようにという思いで、現在も魔力操作はさせているが。
クレディアは難なくメリンダの教えを吸収した。メリンダは魔法が得意というわけではない。主に剣を使う戦いをするからだ。だが、風属性の適性があったので、複雑ではない簡単な魔法なら戦いにも導入出来た。
眠りの魔法だって苦労して練習したのだ。であるのにクレアはあっさり抵抗してみせて無属性の魔法に興味をもたせてしまったのだから、本来の目的の逆の効果になってしまった。
こんな苦労を友人達に話す。酒を飲んでもいないのだが、友人達の酔っている姿に当てられたのか、色々なことを話しすぎて少々長くなった。
「うーん、凄すぎてなんにも言えないね」
「優秀な子を持つことで親が困るということもあるんだな。私も利口な娘がいるが、そんなことはなかったしな」
友人から具体的な解決方法は出なかった。ネオサスなんてそこから娘自慢や嫁自慢をしだすのだから、話が変わってきている。
だが、話したことでなんだか気分はスッキリしていた。
「まあ、見守っていたらいいんじゃないかな。子供が努力をして成長するのはいいことだから」
「そう、ね。それが親の義務ともいうのだから」
未だ自慢しているネオサスを一人放っておき、珍しく良いこと言っているミーアに相槌を打つ。そうしてメリンダは友人に感謝を伝え、娘と龍が待つ家に帰った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます