探検

 微睡んだ意識の中、歌が聴こえた。ソプラノの伸びのある綺麗な声で暖かみがある。


 ゆっくりと意識が浮上する。暗闇からだったせいか、視界が白く塗りつぶされる。時間をおいても視界はぼんやりとしたままだった。

 混乱しつつも、歌の出所を探す。耳が正常だとすると目の前にいる。


 人、だと思う。声からして女性だろう。

 私はなんとなく歌を聴き続ける。混乱なんて落ち着いていて、気付けば寝ていた。


 その人は私が起きても離れずにいた。共に過ごしている内に気付く。


 私、赤ちゃんになってる。

 動きにくい体で、容易に抱っこをされ、…………母から食事をもらったことが決定的だった。


 生まれ変わったということらしい。なにせ私は死んだ。


 脳裏に全身黒い男がナイフをもち、ぎらついた目で見ている。

 私は血溜まりの中にいて、どうすることもなくただ死にゆく。


 思い出してしまって、ひゅっと息を飲む。ずきずきと頭痛までしてくるので、思い出すのを懸命にやめる。何か別のことを考えないと。


 目を見開き、視界にある白い毛布をただ見つめていると、ふわっと体が浮く。慣れたものであの人だ、とされるがまま抱かれる。


「クレディア?」


 今の私は紫木静奈ではない。クレディアという名前の人間だ。

 ゆらゆらと体を揺らしてくれるため、それに合わせて自身を落ち着かせていく。


 刺されて死に、生まれ変わって赤子になっていることに気がついたときは、パニックを起こしてそのまま熱を出すことになった。もう二度は同じことをして心配させたくない。


 この人は私の母だ。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるから間違いない。

 整った顔立ちの女性で、目を引くのは琥珀色の髪と瞳だ。ずっと同じ色であるから地毛なのだろう。凄い色だなあと思う。そんな瞳を覗いた私の髪と瞳は紫紺色だったが。


 母は私の異常に、そして落ち着いたことが分かっているらしい。安心したようにふんわりと微笑んでくれる。

 慈愛に満ちた瞳で、違う意味で落ち着かなくなる。この母は前の母と違って、たっぷりと愛情を注いでくれるから気恥ずかしかった。


 このまま興味を失うことなく、側にいてほしい。

 静奈の記憶故の不安から、小さな手を母に伸ばす。母は大きな手で包んでくれて、歌い始める。


 歌詞は分からないが、よく歌ってくれるものだ。子守唄だと私は勝手に思っている。なんせ歌われるといつも寝てしまう。今回も例外なく眠ってしまった。



 赤ちゃんというのは寝てばかりだ。あとは食べるぐらいで、その二つを繰り返す生活を送る。 


 離乳食が始まったときはとてつもなく嬉しかった。高校生の精神でその食事は恥でしかなかった。

 離乳食は味がとても薄く美味しいとは言えないが、よろこんで食べると、母は私の成長を喜びつつ、寂しそうにしていた。


 寝る、食べるの繰り返しの生活で、私は順調に育っていく。

 泣いて表現する以外にも喋れるようになってきており、簡単な単語は分かるようになった。何かを掴むことなく、歩くこともできている。


 ただまだ転ぶことはあるため、母と歩く練習をしていると、遠くからドンドンと力強く何かを叩く音が聞こえてくる。

 私は何事だと体をビクッとさせつつ不安で母を見ると、母は顔を強張らせていた。


 そうしている中、またもや音が連続して鳴り、私は不安が大きくなっていく。

 だが、男の声が聴こえると、母はほっとした表情になる。声を聞き続けていると次は顔が引き締まる。


 母は私の頭を優しい手付きで撫で、急いで部屋から出ていく。

 一人ぽつんと取り残された私は呆然と母が飛び出していった方向を見ていた。不測の事態に脳がついていかず、暫くの間そうしていた。


 そして部屋の扉が開いているのに気付く。


 いつも閉ざされている扉だった。赤ちゃんの私がどこかにいかないようにされていたが、今開いている。


 大人しく待っていた方がいいよね。

 でも、他の部屋がどうなっているのか、興味ある。


 暇で暇で仕方ない赤ちゃん生活だった。母に抱かれ窓から見える景色が、自然溢れる木々たっぷりの森だったのも尚更悪かった。


 探検してみよう。


 フラフラと未だ慣れない足取りで部屋から抜け出した先は広いリビングだった。初めて見るものばかりで興味がそそられるが、まずは母の確認をする。


 ぐるりと落ち着いた雰囲気の部屋を見回してみるがどこにもいないが、話し声が聞こえる。

 母と先程聞こえた男の声だった。いや、もう一人可愛らしい女性の声もある。姿は見えないものの、玄関の扉と思われる奥から聞こえてきた。


 ひとまずは訪ねてきた者が怒鳴ったりすることはなく、話しているようなので良かった。扉を強く叩く感じからして、怒っているか焦っている風に感じたのでひとまずは安心だ。


 閉じられた扉をノックでもして合流しようかと考えるが、その前に今いる部屋を探検しよう。

 母は私を置いて話をしにいった。元の部屋に戻されるのは嫌だ。されるなら楽しんでからにしよう。


 まずは手始めに近くにあった本から見ていく。

 何冊か積み上がっている。私は本を読むことが好きなので、読めなくともどんな感じか見たい。

 一番上の本を取ろうする。私の背からしたら高すぎた。足をぷるぷるとしながら頑張るが、どうしたって無理だった。


 仕方がないので諦め、真ん中から取ることにする。 

 これは高度な技術が必要だ。だるま落としのような感覚で勢いよく押す。いや、引き抜いた方がいいのだろうか。


 赤ちゃんの力などたかが知れているので、本をもって全体重を後ろにかける。尻もちはついたものの見事成功。本を手に入れることが出来た。

 だが、代償に積み上がっている本のバランスが崩れ、音を立てて崩れた。


 バサバサバサと本が落ちていくのを、やってしまったと思うものの赤ちゃんの身ではどうすることもできない。固まることしかできなかった。

 母は気付いてしまっただろうか。心臓をバクバクとしながらその固まった状態でいたが、いつまでたっても来ることはない。危ない。ばれるところだった。


 手に取った本を見てみる。

 高価そうな本なので丁寧に開くと、予想はしていたものの平がなでもアルファベットでもない、見たことのない文字がズラリと並んでいる。

 違う本を見てみるが、どれも同じようなものだった。


 絵本のようなものがあったらいいなと思っていたので少し残念だった。どの本も高度すぎる。大きくなったらリベンジしよう。


 崩れてしまった本は戻すのが難しいので見ないふりをし、次は家具だ。

 目に入った順に色々と見ていくと、素材が木でできているものばかりだ。とても統一感がある。プラスチック製のものはない。

 

 パチパチと火が爆ぜている暖炉を見つける。昔ながらだね。

 キッチンがあるが、背が足りず殆ど見れなかった。調味料に興味があったが、見えないものは仕方ない。離乳食に味付けがされていくのを待とう。



 色々なものを見て回ったが、一番興味深かったのは棚に並べてあるものだ。ずっと見ていても飽きないようなものが色々とある。

 見上げる高さの棚には水色の透明な液体が入った小瓶があり、頭より少し高い位置には私の拳と同じぐらいかそれより小さい石と腕輪があった。


 踏み台となれるようなものに乗って近くで見てみると、石はなんとも言えない不思議な色をしている。腕輪は細かい装飾のついていて、芸術的価値がありそうなものだった。

 おそるおそるだが腕にはめる。勿論ぶかぶかだった。そして気付いたのだが、先程の大量にあった石と同じものが腕輪についている。宝石の類いなのだろうか。


 暫く見とれていたが、宝石だとしたらとてつもなく高価なのだろうと今更恐れを抱き、慌てて腕輪を外そうとする。そのせいで腕輪の石の部分に触れてしまい、何か違和感を感じた。


 気のせい?


 一瞬のことだったのでそう考えたが、すぐに間違いだったと分かった。急速に体から力が抜ける。


 不味いと思うが、赤ちゃんの身だ。

 どうしようもなく、心配かけてしまうと母を思い浮かべながら床に倒れ込む。

 意識が遠ざかり、視界が閉じていく。


 そして私は気を失った。


 

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