吸血少女と待つ夜明け

左内

第1話 彼女と出会う夜の闇

 それはバイトを終えた夜十一時頃のことだった。

 昼に降っていた雨はもうとっくにやんだようで、今はいくつか水たまりを残すのみだ。僕はじっとり湿ったアスファルトの上を駅に向かって歩いていた。

 メインストリートを外れた脇道。街灯はそれなりにあるが陰になった場所が多い。実際暗い。道沿いに並ぶ飲み屋スナックの汚れた看板が、陰気さをさらに深いものにしていた。


 他に人がいないことを確認した後で深いため息をついた。肩周りが重く、気分はそれよりさらに重い。沈んで行くような錯覚とどろりと鈍い頭の痛み。

 この憂鬱な気分の正体は知っていた。先の見えない不安といえばいいのか。自分はこれからどうなるんだろうという恐れと表現したほうが近いだろうか。

 具体的に言えば目だ。バイト先で周りが僕を見る目。そして見ない目。

 容量いっぱいいっぱいまで全力で働いて、返ってくる「ああそう」という生返事。じゃあこれやっといて、と僕を見もせず次の仕事を割り当てる。

 僕はそこにいるのだけれど、なんだろう、時々いるのにいないような気分になる。代わりにそこにいるのは、男一人分の労働力だ。「いたの?」ってよく言われる。おはようでもなくお疲れでもなく。


 それ自体は大したことじゃない。僕みたいなダメフリーターの扱いとしては珍しくもないし生来の要領の悪さが原因だからだ。大した学もなく仕事も遅い僕自身のせいということだ。


 ただ、そうやって呑みこんだところで消化できないものは残る。

 ぼんやりと思う。この先僕はどうなるんだろうと。こんなふうにぼんやりしたまま人生を終えるのかな、と。

 きっとこれは一生ついてまわるんだろう。寒さに似たものを感じて上着の前を押さえてから、なんとか足を前に進め続けた。


 その時頬に冷たい何かが触れた。僕は反射的に空を見上げる。その額にまた小さなしずくが落ちた。

 小雨は降り始めてすぐ勢いを強めた。僕は急ぎ足で近くのひさしの下に避難した。

 雨粒が地面で強く跳ねる。やむ気配はなくさらに激しくなっていく。

 苦々しく空を見上げた。あいにく傘は持ってきていない。我慢して走ろうにも駅まではまだまだ距離がある。

 ついてない。何もこんな気分の時に意地悪することはないじゃないか。途方に暮れて、重い背中を建物の壁にもたせかけた。

 声が聞こえたのはその少し後だった。


「ねえ」


 いきなりの声に僕は驚いてそちらを振り向いた。建物の入り口に少女がいた。

 線の細い少女だった。

 整った顔立ちだが目つきは冷たく、そのせいで無愛想な印象を受ける。黒い長髪が薄暗がりでもかすかに艶めいていて、その光に思わず見とれる。

 目を離せないでいると、彼女はスカートをふわりと揺らして近付いてきた。


「雨宿り?」

「え? あ、まあ……」

「じゃあ中に入った方がいろいろ楽じゃない?」


 言われて見上げるとホテルがどうとか書いてある。汚れとうす暗いのとで部分部分しか読めなかった。

 視線を下ろすと少女は既に入口をくぐっている。

 僕は一瞬の躊躇だけをはさんで、すぐにその後を追った。

 なんでかと訊かれると困る。中に入って休みたいほど疲れていたのは確かだけど、何しろ僕にはお金がなかった。できるだけ節約したいしするべきだったのだが、なぜだか彼女についていかなければならない気がしたのだ。

 彼女には引力があった。


「部屋借りるね」


 狭いフロントに立つ男に彼女は告げた。鍵を受け取りすぐ脇のエレベーターに向かう。中に入る彼女をぼうっと見ていると、彼女はドアを開けたままこちらをじっと見返してきた。

 しばらくして僕を待っているのだと気づいた。


「え、なに?」


 彼女は近付いた僕を無言で引っ張り込むとドアを閉じた。

 もちろん戸惑った。どういうことか訊ねようとしたけれど彼女は話しかけるなという圧だけで僕を黙らせた。


 三階にある部屋の鍵を開けると彼女は中に入っていった。ドアは開け放したままなので、やっぱり僕にも入れということだろう。恐る恐る中に入ってドアを閉めた。

 見回して少し驚いた。意外に広い。

 二人用ソファーとベッドが置ける大きさの部屋があるホテルには、外からは見えなかったな正直。

 ただ、広いといっても意外にという程度だ。ソファーもベッドもなんとなく無理矢理押し込められているように見える。

 そして二人の人間にとっても少し狭い。隣にいる彼女の存在を強烈に意識してしまう。

 どんなに多く見積もっても二十を超しているようには見えないがどこかしんとして大人っぽい雰囲気。スカートからのぞく白いふくらはぎに思わず目がいく。

 当の彼女はその視線を知ってか知らずか窓に近づくとカーテンを開けた。

 そして振り向く。


「どっちが先にシャワー浴びる?」


 そのとき僕は気づいた。

 彼女についてきてしまったのは、やはり心のどこかでこうなることを期待していたからなのだ。


 それが彼女との出会いだった。

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