大気圏絶対防衛線

小狸

第零話

 星を見るのはあまり好きではなかった。


 皆がこぞって星空を見て感動すると聞いた時は、彼は正気を疑ったものだ。


 乱雑に光り、粗雑にならび、青黒い空にまばらに、癌細胞のように広がっている。





 何が美しいものか。





 初めて大気圏外から地球を見た時、彼はそう唾棄した。


 時に満ちて、時に欠ける月だけで十分だ。


 統一性もなく並び光り輝く星々は、邪魔でしかない。


 少なくとも、彼にとって星空というのは、そういうものであった。


 それは宇宙の側から見ても同じだった。


 地球の赤道を沿うように作られた衛星軌道基地から――今度は地球を見た。反対側である。


 みにくい――と思う。


 とても。


 『地球は青かった』と残したのは、一体誰だっただろうか。


 美しく青き地球と良く呼ばれるけれど、しかし彼はやはり、それも綺麗だとは思わない。


 海の青と、陸の緑、渦を巻く雲。


 混沌である。


 星空と一緒だ。


 そんなことを言えば、人と違うことに優越感を抱いているのだ――という冷笑が飛んできそうである。


 皆が綺麗だとするものは、綺麗だという。


 皆が汚いとするものは、汚いという。


 皆が左を向けば、左を向く。


 世の中はそういうものだと、彼はこの時改めて知ったのだった。


 彼が捨てられたのも、雲一つない星の輝く夜だった。


 さる資産家の三男として彼は生まれた。


 後々調べてみると、優秀な遺伝子を残すための政略結婚のようなものであったらしい。二人の兄はとても優秀だった。


 一番上は優秀な私立小学校で優秀な成績を収めていて、真ん中の兄は運動の才能に溢れた人物で、幼い頃から二人とも頭角を現していた。


 そして彼はというと、何もなかった。


 親は絶望したという。


 才能があるような遺伝子を配偶させて生んだのに、どうしてお前には何もないのか。


 当時は彼も幼かったから、その内情を知ったのは随分後のことである。


 父と呼ぶべき人と、母と呼ぶべき人がいた。


 彼にいくつもの習い事をさせ、


 何かあるはずだ――何か、と。


 と思っていたのだろう。


 毎日のように言われ、厳しく資格を試されながら、彼を確かめた。


 彼には何の才能もなかった。


 それを知った両親は、彼を捨てた。


 遺伝で才能が決定し、それに沿わせて最大限効率的な人生を歩めるような、そんな世相であり、世界である。


 最早子どもの才能検査と称して、素質を確認する技術は確立されている。


 そして大半の家庭、特に普通より少し上流の家庭を中心に――その検査は行われた。


 実際、彼の検査では、才能無しというのが、データとして提出されていた。


 それでも、彼の両親は諦めなかった。


 色々なことを試した。色々なことを試された。


 結果、何にもなることはできなかった。


 


 劣悪な環境の孤児院の玄関口に放り投げられた。


 ひょっとしたら別れの台詞を口にされたかもしれないけれど、彼の記憶には、ただ星空だけがこびりついて離れなかった。


 ――だから、星は嫌いだ。


 ――地球も、嫌いだ。


 それから先、彼には色々あった。


 本当に色々、である。


 様々な艱難辛苦を乗り越えても、彼は成長しなかったし、何かをやり遂げようにもその土台すらなかった。


 生きているのか死んでいるのか分からない状態だった。


 環境が劣悪なら、そこにいる人間も劣悪である。


 陰湿ないじめ、嫌がらせの数々。


 それでも、明日を生きるためには、そこにいるしかなかった。


 二年ほど後、経営が傾いたのか、はたまた悪事が露呈したのか。


 孤児院から強制的に追い出された。


 金も無一文、家もない。


 数日間彷徨さまよい、餓死しそうになったところを――一人の軍関係者に拾われた。


 地球外生命体に対抗するための軍人候補生を、全地球上で募集していたのである。


 人間軍、などという大仰な名前が、そこには付けられていた。


 人間にとってのはっきりした敵。


 それが現れた瞬間、地球上の全ての戦争はぴたりと止み、団結するのだから、調子の良いものである。国際連合は中心(と面倒事)を日本に押し付け、責任転嫁を成すことにした。孤児や浮浪者を集め、使い捨ての雑兵とする政府の『青紙事件』により、社会的地位の低い――存在価値の希薄な人間が招集されたのは、記憶に新しい話である。


 行くあてのなかった彼は、そこから軍で育てられることになった。


 軍の訓練をして、青年兵として、戦争に参加することになるのだが、その前に。


 その時は、もう自分の名前も、苗字も、忘れてしまっていた。


 元の家のことなんて、もう思い出したくもなかったからだろう。


 識別するための記号が、必要であった。


 当時の教育係の女が、彼を名付けた。


 ニビル、と。


 こうしてニビルの人生は、9歳の頃から始まったのだった。




(続)

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