能書き(垂れる)より祈れ 第1部 V.1.2

@MasatoHiraguri

第1話 たこ焼きを食う女(私の体験した芥川龍之介「蜜柑」)

 8月初旬の或る日、焼け付くような太陽の下、上半身裸になり人気のない野球場くらい大きい駐車場(空き地)で、歩きながらの日光浴をした私は、その体熱を冷ますため、すぐ近くのスーパー・マーケットに入り、沢山の人で賑わうフード・コートで、火照った顔を団扇で扇いでいました。

  灼熱の炎天下、小一時間歩くだけでヘトヘトになっていたのです。


ある4人掛けのテーブルに、3人のイスラム教徒の女性が座って談笑していました。

彼女たちは全員ヒジャブというスカーフを着用していたのです。

しばらくすると、2人が席を去り、残った一人はテーブルの脇に置いてあった(ここで販売されている)たこ焼きを食べ始めました。

10分ほどその姿を見ていた私は「心が洗われた」ような気がした、というか、本当に疲れがすっ飛び、身も心も軽くなりました。それはエアコンの涼しさの所為だけではなかったのです。

安物のテーブルで、屋台のたこ焼きを、たった独りで、しかし、いかにも楽しそうに・嬉しそうに食べる、その少女の澄みきった目と、謙虚で慎ましやかな仕草は、高名な運慶が彫った仏像やミケランジェロ作の神の彫像など及びもしない「仏性」「神性」「神聖」に充ちていました。彼女は、まさにイスラムの教えである「われ常に神と共にあり」を実践しているのではないでしょうか。

  大勢の日本人(異教徒)のなかで彼女は独りですが、神様が脇に寄り添ってくれているのか ? 私はふと、そんなことを考えてしまうほど、彼女は楽しそうでした。

あの日私は、芥川龍之介「蜜柑」に登場する「私と小娘との心的関係」を実体験することができたのです。

  青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43017_17431.html


< 「蜜柑」から引用>

『 ・・・私は昂然(かうぜん)と頭(あたま)を擧(あ)げて、まるで別人(を見るやうにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返つて、不相變(あひかはらず)皸(ひび)だらけの頬を萌黄色(もえぎいろ)の毛絲(けいと)の襟卷(えりまき)に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱へた手に、しつかりと三等切符を握つてゐる。

私はこの時始めて、云ひやうのない疲勞と倦怠とを、さうしてまた不可解で<俗っぽい日本社会>、<外来種偽日本人によって与えられた>退屈な人生を、僅(わずか)に忘れる事が出來たのである。(1919年4月)』

 → 一部、私平栗雅人が、手を加えています。

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