Vol.3-2:句養③(〜2017年3月)

【俳句甲子園】

「水温む」

水温む土塀崩れてゐる小径


福島や香川にいた頃の、土の香りがぱっと浮かんで作った気がする。

ただし、「水温む」のイメージから抜け出せていないのも事実。「みち」の表記(道、路……)も評価を分けたか。

安直に「ゐる」に頼った点もマイナスか。中七が「〜て」なので「○○の径」のような形にもできたし、掘り下げが可能だった。



「猫の子」

居眠りをして猫の子に遊ばるる


作中主体が猫の子のおもちゃみたいになっている視点が面白い。と当時は思っていたけれど、審査員の先生方の意見にもあったように、「ありがち」。

相手校・慶應湘南Aさんも戯れる系の句だったため、そこで接戦になったとも、それ以外の点で評価が分かれたとも。

あと、「をして」の表現が甘い。「に」と言えば伝わる。いっそ「居眠りや」で切って子猫を存分に詠んであげるのが良いか。



「苺」

占ひのとほりに食らふ苺かな


地方の3句の中では視点の斬新さからも一番自信があった。

とはいえ、チームメイトに「占いの通りにってどういうこと?」「わざとらしさが……」って言われたあたり、読者にはそう映るのだろう。今の僕にもそう映る。

朝のテレビとかでよくある「今日のラッキーカラーは赤! アイテムは苺で〜す!」的な軽いノリの句のつもりだったので、旧仮名表記や表現によって齟齬が生まれてしまったのかも?

今年(2024)の全国で小澤實先生が仰っていた「切れ字はもっと恐れて使った方がいい」がドンピシャ。




【神奈川大学俳句大賞】

稲妻や古文書の文字浮かびたり


小学六年生で日本史に触れて以来歴史が好きになったこともあり、以下入選の3句はそれをテーマに詠んだもの。一応、地歴研究部だったわけだし。

文字の黒さと紙の白さが、稲妻の光によってくっきりと鮮明に映る景。

議題になりそうなのは「文字」の「文」の有無、「古文書の字の浮かびたる稲光」のような語順変更あたりか。前者は古代の字を「○○文字」と表記するためさほど気にならず、後者は光をまず鮮明に見せる元の句の方が効果的。

と俳句甲子園に出したら守っていたと思う。



稲妻や埴輪の闇を突き抜ける


評には「屋外の景である稲妻とインドアのものの取り合わせでまとめた挑戦的な3句」とあるが、こちらは諸説ある気がする。まあ現代において野晒しの埴輪なんてそうそう無いのかもしれないが。

前年、吉澤が「稲妻や闇を切り裂き比叡に落つ」という句で入選しており、それをヒントにして作った記憶。「比叡」の着地が上手い。

後輩の句をパクるな。あっ、参考です、参考。いいなと思った句をアレンジして作ってみたくなることってありませんか?

ちなみに、二次創作はだいたい大失敗してサムくなるのでオススメしない。

なお、翌年に彼は「東京の闇揺さぶりし稲光」を含む3組で再び入選を果たしている。流石です。



稲妻や浮世絵は目を見開いて


3句の中では、ぱっと見一番まとまりが良さそうとも、型が完成されすぎているとも。

稲光によって浮かび上がる絵。その目だけが刹那に明るさを含みつつ他に遅れて闇に紛れていく生々しさもあると思う。

正直、作者からはこれと言って話すことはない。仮に俳句甲子園で出てきた場合、攻めが難しい気がするがどうだろう。読者のみなさんならどこを攻めますか?



入選の上記3句には、「欲を言えば、舞台の効果のようになってしまった稲妻を生々しくできれば。」との総合評価が付けられている。

この年の入選コメントは前年に比べてやや辛口で、当時は「き、厳しいこと言うなあ……」と思っていた。

でも、評にある通りの弱さを孕んでいるのもまた事実。読者の意見を受け入れて精進することは、俳句が「読み手の文学」である以上一番大事ですから。


以下、一句入選。



曇天や鯨の声の響きをり


晴天だと声が空の彼方へ突き抜けてしまって、響くに至らないところを上手いこと理解している。入選も納得だが、その「調整」が鼻につくという読者も一定以上居るはず。この時は上手いこといったようだ。

あと、類想感は否めないと思う。



自転車で帰る春雨くらいなら


言ったもん勝ちの最たる例がこの一句だと思う。

ポイントは「で」。俳句においては説明的になるため嫌われがちな助詞第1位だが、この倒置の口語調を最大限に活かすにはストレートな表現が最適かと。

正直、結構お気に入り。「代表句は?」って聞かれたらこの句を挙げることがあるかもしれない。わかりやすいから。



髪の毛を搔き上げるとき梅香る


因果関係が気になりつつも、梅が香に落とし込んだことによって誰がどんな髪をどのように掻き上げているのかが確定した気がする。これが「季語の力」であり、俳句が詩たりうる所以なのではないか。言い過ぎか。

案外、俳句はこれくらいシンプルでもいいのかもしれない。




【おまけ:部誌から3句。】

吊橋の真ん中にゐて空のどか


一見それっぽいけど、よくよく考えたら真ん中って一番揺れるからそれどころじゃないよね。

「言葉の寺子屋」で句会をした際、櫂先生には「下五は「のどかなり」くらいに収めた方が句がすっきりするよ」と仰っていただいた気がする。実際、その通り。「空のどか」が言いたすぎた結果。

更に言うなれば「ゐて」は不要なので、今なら「のどかなりけり吊橋の真中とは」みたいに推敲するかなあ。

1つ下の後輩・久米佑哉の翌年の神大入選句に「ひと息に吊り橋渡る盛夏かな」があるが、こちらの方が吊り橋の描写としてリアリティがあり秀逸。



揺り椅子の上に人形鳥帰る


これは今も好き。句集出す時が来たとしたら入れたいかも。

「揺り椅子に人形○○○鳥帰る」で描写を深めることもできるが、作者としては「上に」のぶっきらぼうな表現を推したい。これによる人形の無機質な感覚、どこか寂しげな在り方を読者に託したいところ。ってここで言ったら元も子もないですね。

読者のあなたなら、どう手直ししますか?



渋滞の全て夕焼へと向かう


これも好き。当時はこっちの方が決まったぜって思ってたし、「それっぽい句」を作ることに満足感を覚えていた節がある。

この句を攻めるなら「へと」と「向かう」。「渋滞の全て○○○○夕焼へ」でも意味は通じるうえに、4音も贅沢に使って描写を深めることができる。

今まさに向かっている感を出したいにしても「と」は省略可。

別に嫌いじゃないけど、「渋滞の全て」が使いたいという思考により表現の幅が狭まっているもったいない一句だと今は思う。





以上、供養でした。

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