第12話 甘い期待
痛い。
お腹が、ジンジンと熱を持ったように脈打っている。
ガタガタとした振動も、お腹の痛みを増幅させる。
だけどなんだろう、甘い香りと温かいぬくもり。
この香りは知ってる気がする……。
あぁ、そうだ。
15歳の誕生日に、お母さまが開いてくれたパーティー。
お父さまはカードとプレゼントを贈ってくれただけだけど、私が欲しかった本だったからすごく嬉しかった。
友達もたくさん呼ばれて、そしてユハスさまも来てくれた。
ユハスさまは私に、抱えきれないほどの花を贈ってくれて、ダンスのお相手をしてくれた。
私の腰を抱くあのたくましい腕、洗練されたステップとリード、優しい微笑み。
夢のような時間だった。
なぜいま、甘酸っぱく思い出すの?
あのダンスで、私はユハスさまの顔ばかり見てしまって、ぼうっとして足を何度も踏みつけてしまったのよね。
ユハスさまは笑って許してくれたけど、そのあとこのままではいけないとダンスの授業を増やしたっけ。
恋してたんだな、私。
将来有望な方との婚約話に浮かれてた、あの頃の少女だった自分。
ガタガタガタガタ、思い出に浸っていたいのに、身体に響く。
ガタガタガタガタ。
痛みを自覚しはじめたら、ぼんやりしていた思考もハッキリしてきた。
そうだ、私は暴漢に襲われて殺されるところで……。
となるとこのガタガタは、私は馬車でどこかに拉致されてるってこと?
手は? 足は? 縛られてるような感じはしないけど。
視界も塞がれてはいない。
目を開ければ、状況がわかるはず。
「え……?」
ゆっくり開いた眼に見えたのは、先ほどの黒づくめの暴漢じゃなく。
「ユ……ハス……さま?」
純白の制服は城仕えだけが許されたもの。
気を失う前に見たのは、やっぱりユハス様だったのね。
私の都合のいい幻だと思っていた。
「大丈夫ですか? リーディアさま」
私が目を覚ましたことに気づいたユハスさまが、話しかけてくる。
「あの……」
これはどういう状況なのでしょう。
私はユハスさまに抱きかかえられ、馬車に乗っている。
内装を確かめる。
この馬車はうちのものだわ。私が街はずれに待たせていたもの。
「ど、どうしてユハスさまが?」
声が上ずってしまった。
顔が近くて、緊張する。
それに膝の上に抱かれているなんて、ダンスの時よりも密着度が高い。
ユハスさまの体温が、布を通して伝わってくる。
「今夜は登城でしたので、街を抜けて行くところでした」
若いころから城に呼ばれていたユハスさま。
第二王子、ジュンリカさまの補佐官に就任するのはいまから2年後だったかしら。
確かに街を通り抜ければ、城には近い。
「悲鳴に駆け付けると誰かが襲われていて、それがあなただったので、焦りました」
ユハスさまの表情は、私を心から心配してくれているように見えた。
あの最期の時みたいな、冷たい瞳ではない。
「ユハスさまが駆けつけてくださったんですね」
「……なぜあそこにいたんですか? 私が通りかからなかったらどうなっていたか」
「あ!!」
理由を尋ねられて、大事なことを思い出した。
「あの、紙袋ありませんでしたか? 買い物帰りだったんです」
「紙袋ならそこに」
ちらっと、ユハスさまが私の後ろへと視線を飛ばした。
それを追いかけると、ちょうど私の背後の座席に紙袋は置かれていた。
破けてしまっているけど、中身までは踏みつぶされたりはしてないみたいだった。
よかった。私のご飯たち。
「届けものなら、私がいたします」
「え?」
ユハスさまがなにを?
そんな辛そうに眉を寄せて、私を見て。
「聞きました。公爵に離れに住まいを移せと言われていることを」
街の人が知っているんだから、ユハスさまが知っているのは当たり前か。
葬儀の時も、辛い時は頼ってくださいと言ってくれていたのよね。
でも、来てくれたのは一度だけだった。
私の環境を見て、お父さまに話をしてくれると、そう言っていたけれど。
屋敷であの親子に会い、気持ちが移ってしまったのだろう。
いまこんなに優しい目をしていても、きっとあの親子に会ったら変わってしまう。
これから来る未来に、胸が締め付けられる。
「あぁ、私の屋敷に呼べればいいのに…でもまだ婚姻前の学生と一緒に住むわけにはいかないね」
なぜ頬を少し染めてそんなことを言い出すのかしら。
この誘いは、前はなかった。
少しずつ変わり始めているから、記憶と違う事が出てくるのかしら。
ユハスさまの心移りも変えられるかもしれい?
淡い期待だと打ち消しても、この甘い瞳に高鳴る鼓動をがあった。
「とにかくあなたが心配なんだ。ひとりでいるときにまた襲われやしないか…私が離れで護衛につきたいぐらいです」
「いいです、いいです、そんな」
ユハスさまの申し出に、私は手を振って遠慮した。
だって、しばらくしたら大量のハスとミンキーがくるのよ。
それを捌くツテも探さないとだし、考えたいこと、やらなきゃいけないこと、クリアリにも聞きたいこともあるし忙しくなるの。
「私は大丈夫ですっ」
大丈夫と信じてもらうために、にっこりと笑顔を作った。
ユハスさまは、そんな私に力なく首を振った。
「強がらないでください。私はあなたの力になりたいのです」
いや別に強がっては……。
「本当に……。それに、お、下ろしてください。もう大丈夫です」
この近い距離に、優しいユハスさま。
気持ちが動いてしまう。
このあと冷たくなる人なのに、また傷つきたくないのに。
「この馬車は座席がかたいです。このままでいてください」
私の心を知らずに、まじめな顔でユハスさまは言う。
確かにいい馬車はお父さまたちが使っているから、いましかたなく乗っているのは廃車予定の古いものだけれど。
「それと、意識が戻ってからしようと思っていたのですが、いいですか?」
「え? なにをですか? ひゃ、ひゃぁっ!?」
なんの許可をとられたか、承諾する前にもう触れられた。
服の上からだけど、そっと。
「手当をします」
私が殴られたお腹。胸のすぐ下。
「痛みをとります」
ユハスさまが、集中するように瞳を閉じた。
「あつっ……」
ユハスさまが口の中でなにか唱えて、お腹が一瞬だけ熱くなった。
でもその熱さは一瞬だけで、すーっとジンジン脈打っていた痛みはひいてゆく。
ユハスさまの額には、汗がにじんでいた。
城の魔法師に癒しの手を学んでいると聞いたことがあったけど、これがそうなのかしら。
もう、ユハスさまの体温しか感じられない。
「どうでしょうか……」
「ユハスさま?」
私に問いかける声がかすれていた。
少し余裕がない感じ。
まさか……。
「私の痛みをご自身に移したのですか!?」
私の問いに、ユハスさまは苦笑い。
「まだ修行中の身で、この方法の方が早く痛みをとれるのです」
「でもそれじゃ……」
「いいのです。あなたがが苦しまれているほうが、私にはつらいのですから」
私を殺す人が、私の痛みを代わってくれる?
あの運命は変わりつつあって、ユハスさまは私と……。
甘い希望ばかりが浮かんでしまう。
「ありがとうございます。おかげでもう痛くないので、おろしていただけますか?」
甘い希望を、突き放すことで吹き払う。
それに、痛みを移したユハスさまの上にいつまでもいられない。
このユハスさまは、まだあの義妹クミンに会っていない。
だから、こんなに私に優しいんだ。
勘違いしたら、あとで傷つくのは自分。
鼓動よ、おさまって。
「ふぅ……」
私をおろして、ユハスさまは対面の席に移動する。
動くと痛むのか、辛そうだった。
「毎食は無理ですが、公爵にも掛け合って……」
「だめっ!!」
思わず叫んでいた。
お父さまに会うとき、絶対にあの親子もそばにいる。
そうしたら、そうしたら……。
希望を持つなと言い聞かせたのに、やっぱりユハスさまのこの優しい瞳をあの子にとられたくない。
でもどうしたらいいんだろう。
ユハスさまが頻繁に足を運んだら、いくら裏手にある離れだとはいえ、お父さまたちにバレてしまうだろう。
あの親子は私からユハスさまを簡単に取り上げた。
きっと今世も、出会ったらそう動くに決まってる。
「心配なんです、あなたが……心当たりはありますか? 誰に襲われたか」
「…………」
ありすぎて絞り切れない。
私は首を振った。
「犯人たちは?」
今度はユハスさまが首を振った。
「すみません、とり逃がしてしまいました。ふがいないです」
しゅんと目を伏せるので、慌ててそんなことはないと手を振った。
この頃のユハスさまは、まだまだ自分に自信がないのね。
第二王子の補佐を務めるころには、凛として堂々とした姿は女たちのあこがれの的だった。
「顔は見たので、犯人を捜してみせます」
「いいえ、危ないことはしないでください」
相手が誰かもわからないし、いまのユハスさまに怪我などしてほしくない。
「これは私の使命です。どうか、任せると言ってください」
「無理はなさらないでくざいね」
私の大好きだったユハスさま。どうか少しでも、そのままでいてください。
逃がした犯人は気になるけど、危ない目にも遭ってほしくない。
無言で見つめあっていると、馬車が停止した。
「あぁ、ついてしまいましたね」
残念に思ったのは私だけじゃないのかな。
ユハスさまも同じ気持ちだったら嬉しいな。
「ありがとうございました。お帰りはこの馬車をお使いください」
「……お心遣いありがとうございます。また近く、会いに来ます」
私は、複雑な思いでほほ笑みかえすしかできなかった。
「では」
立ちあがるときに手を差し伸べてくれたのでその手を取ると、ユハスさまは跪いて私の手の甲にキスをした。
挨拶だとしても、トクンと胸が弾んでしまう。
「ふぅ……」
馬車が見えなくなるまで見送って、私はやっと一息ついた。
暴漢からの鼓動の高鳴りの上下に、気持ちと身体が悲鳴を上げてるみたいだった。
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