第5話 クリアリ

「きゃあっ!!」


 ビックリした私は、思わず持っていたものを放ってしまった。

 カチャンと鎖が皿に当たり音を立てる。



『ちょっとぉっ!』


 空を舞って下に落ちるはずの天秤だったが、腰掛けていたが天秤の棒を落ちないように引き上げていて宙に浮いている。


 だけど、支えきれないのかすーっと静かに地に落ちてゆく。


「あ、ごめんなさいっ」

 私は床に落ちる前に拾い上げ、天秤を右手その女性……? を左手に乗せた。

 左手に乗せたけど、まるで乗っていないように軽い。


 金糸のようにキラキラとした髪はゆるく波がかり、服は白いドレープたっぷりの衣に金刺繍をほどこされたベルト。

 衣装は神話本の絵で見た、神につかえる女神たちの服装でよく見るけれど。

 でも少しその容姿に、違和感がぬぐえない。



 なんかたくましい。


 女神というより、女戦士と名乗られた方がしっくりくる感じ。



『アーリアはもういないのね』



 私の顔を見て、その女神が寂しそうな顔でつぶやいた。

 お母さまを知ってる。それも、とても近い関係で。


「ど、どちら様ですか?」


 私がたずねると、ふんとちょっと反りかえってどや顔で自己紹介してくれた。



『我名はクリアリ――審査の女神をやっておる』



 審査の女神? 女神!?


 突っ込んじゃいけないんだろうか。


 さっき天秤を支えた時にむきっと浮き出た筋肉。

 ちょっと太いお声……女神?



「め……女神さまですね」


 胸に湧いた疑問を言葉にしてはいけない気がして、飲み込んだ。


『クリアリって呼んでいいわよ。アーリアもそう呼んでくれてた』


「お母さまを知っているの?」


『知ってるわよ』



 なにを当たり前な、という顔で返された。


 整理したい。



 斬首処刑されたはずの私はなぜか刻を戻ってしまい、お母さまの残した手紙を紐解いたらこの天秤が見つかって、汚れを拭おうとしたらちょっとたくましい自称女神が出てきた。



 すべてのものには精霊が宿るとされているけど、クリアリもそんな感じなのかしら。


『あなたのことは託されているわ』


 じぃっとまっすぐ私を見つめる。



『私にあったらってね』



 お母さまは、私の未来を予感していたの?

 手紙も鍵も、だから残して……。



『アーリアはその命に魔法をかけてた。大切なものを護る魔法』



「魔法……? お母さまが魔術を使えるなんて話は聞いたことがないわ」


 魔術を使えるのは、修行や勉強をして習得した魔術師だけ。

 その魔術師も、力を得るのは一握りだという。



『隠していたもの』



 私の知るお母さまはいつも私のそばにいてくれて、お菓子と花が好きで、おしゃべりが好きで動物が好きで、本が好きでいろんな話を聞かせてくれた。


 でも魔法なんて使っているところなんて、見たことがない。


『幸せだったから』


「え?」


『授かったその力を使うことがなかったのよ』


 クリアリは懐かしむように、私が授かり一緒に過ごせる幸せの中で、魔法なんて使う必要がなかったと語った。


『もしその能力を誰かに知られ、城お抱えの魔術師として呼ばれてあなたから引き離されることを恐れてた』


 生まれながらにその能力を神から授けられているものがいるというが、幾年に一人産まれるかどうかの希少な存在。

 それがお母さまだったの?

 もしそうだとしたら、強制的に城つかえにされる。

 いまいる力のある魔法師は、そうして城で暮らしているから。


 そうなら、いまの状況も少しは納得できる。


『アーリアの魔術が発動したということは、【なにか】あったのね』


「お母さまは……病気で死んでしまったの」


『病? あんなに元気に焼き菓子を頬張っていた娘が?』


 焼き菓子を頬張るお母さまが瞼に浮かぶ。

 病気になる前、晴れたら庭で、雨の日にはお母さまの部屋で、お茶は日課だった。

 街で評判という菓子屋、遠い異国のお菓子、料理長が焼いてくれたパイ。

 甘いものが大好きたったお母さま。


「流行病だったの。お母さま以外にも、何人も死者が出たのよ」


『どんな病?』


「まず咳が出るの。最初はそれだけ。そこで治る人と、高熱が出て亡くなる人と分かれた」

 あの病の原因は、まだ解明されていない。

 なにかの動物が運んできた病だとか、隣国の仕業だとかいろいろ囁かれた。


「お母さまは熱は出たけれど、お父さまの薬ですぐ下がって。でも…身体に力が入らなくなって、どんどん弱って」


 泣く私に「大丈夫よ」と伸ばされた白く細い指は、とても冷たかった。



 私はクリアリに、お母さまの死後に起きたこと、処刑されたはずなのにいまここにいることを話した。


『大切なものを護ったのね。アーリアらしいわ。しかし、身体に力が入らなくなるなんて変ね』

 クリアリはなにかを訝しむように、眉を寄せた。 


 確かに症状が流行りのものと違うと言っていたけれど、お医者さまは、症状は個々に違うものが出るものだからと説明した。


『……紙に審判を委ねることを記して』



「え?」


『アーリアが使った力を無駄にしないで』


 クリアリは、引き出しを指さした。

 その引き出しの中には、ペンと紙がしまってある。

 ここに紙があることを見抜いた?

 私は引き出しを開け、それを取り出した。


『知りたいことを書いて天秤にかけて』


「天秤に?」


 クリアリの能力で、それがわかるというの?



『でも、ひとつの問いを審問にかけられるのは一度だけ』



 私は紙を見つめた。


 なにを書けばいいの? いま私はなにを知りたい?


 チャンスは一度だけなんて、慎重にならないといけないじゃない。



『私は正しい答えに天秤を傾ける』


「正しい……」


 クリアリは続けた。


『私もね、アーリアのことを知りたいの』


「……わかった」


 お母さまの死について、私も知りたくなった。


 お薬を飲んでも、どんどんお母さまは弱ってしまうばかりで、お父さまに手紙を書いてもお医者さまの言う通りにしろと返事が来ただけ。


 あの医者は、お父さまが用意してくれたお医者さまだったけれど薬を渡すだけだった。

 お父さまはお母さまが亡くなる時も、仕事を理由にそばにはいてくれなかった。


 あれは本当に薬だったの?


 胸に湧きかけた問いは、そのあとのゴタゴタで押しやられてしまったけど。

 お父さまへの不信感は、強くあった。


『用意はできた?』


 私は強くうなずく。



 紙にはペンで、『薬』と『毒』と書いた。


 医者が処方したのは、お父さまが用意してくれたのは何だったの?


『じゃ、私を平らなところに置いて』


「は、はいっ」 


 私、というのは、天秤本体かな? ややこしい。

 天秤をテーブルの上に置くと、クリアリはついてきて天秤の後ろに立った。



『審判に入ります』



 目を閉じて、その両手を広げる。


 私は右に『薬』を、左に『毒』を置いた。


 まだ天秤は傾かない。


『あ……』


 何かを思い出して、クリアリは広げた腕を引っ込めて胸の前でパンと叩いた。


『名前、なんだったかしら…ディア…アーディア…ディアー……』



「リーディアよ」


 私が答えると、クリアリはまた手を叩いた。


『そうだったわ。知ってたわ』


「…………」


 絶対いまのいままで忘れていたでしょ。


 私の疑いの視線が気まずいのか、コホンと一度咳払いをしてクリアリは息を吸い込んだ。


『リーディア、いい?』


「お願いします」



 知りたい。

 私はお母さまの、そして自分の運命を。



『審判』



 静かなクリアリの言葉の後、天秤は光に包まれた。

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