どろみず

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

第1話


 私はいつも、黒い服を着る。

 どうしても白いものを着なければならない時は、黒い肌着を身につける。そうして心に貧弱な鎧を纏わせる。

 いつも黒い服を着ているからだろう、「今日は誰が死んだんだ?」って茶化しには、もう慣れた。

 透けない色を選ぶみんなと違って、よく透ける色を纏う私は、集団の中で明らかに異物だった。

 私はどこでも、厄介者扱いされる。

 町医者に行くと、ちょっとした風邪でも「うちじゃ診られません」と拒否された。

 自分の体の〝ある特徴〟を隠して行けば、診察室まで行くことはできた。でも、そこで汗を一滴でも滲ませたら最後、「大きな病院へ」と紙切れと共に追い出された。

 

 私の体からは、小さい頃からずっと、黒が染み出している。

 はじめてそのことに気づいたのは、助産師さんだったと聞いている。

 この子はおかしい、と、町の産婦人科から救急車に乗せられて大きな病院へ転院したのだと、いつだったかお母さんから聞かされた。

「でも、なんてことないのよ。本当に、どんな検査をしても、なんてことないのよ。ただ、体から染み出すものが、他の人と違って色がついているってだけで、なんてことないのよ」

 お母さんは自分に言い聞かせるように、私にそう言い聞かせた。

 

 お母さんは、私が体調を崩すことを嫌う。町の病院へ行ったところで無駄足になることが常だからだ。大きな病院なんて、町医者のように気軽には行けない。だから、ほんの少しの異変すら、私たち家族にとってはストレスの元だった。

 ストレスを少しでも減らすためにと、お母さんは日々栄養バランスが整った料理を作り、三角食べするように私に言った。

 歯磨きは10歳を過ぎても仕上げ磨きをされたし、それを拒否してからは歯磨きのあと口を見せるという約束をさせられた。おかげで、といえばいいのやら、私はずっと健康優良児で、虫歯は未だかつて一本もない。

 だから、私の体質を面白がった大学に呼び出されて、血を採られたり好きかってされる他に、私は医療従事者とは離れた場所で生きていた。

「インフルの注射打ちに行くんだよねぇ。マジやだ」

 クラスメイトが嘆く。ああ羨ましいと、私は思う。

 私はインフルエンザの予防接種すら、私のことを面白がる人たちのところへ行かないと受けられない。日常の中に、その予定を組み込めない。


「最近は? 濃くなったり、薄くなったり、気づいたことはある?」

 呼び出された日に大学病院へ行くと、私のことを面白がる医師がニヤニヤしながら問うてきた。

「別に」

「いや、汗かくでしょ? 口ゆすぐでしょ? ドラマ見て泣いたりするでしょ?」

 汗はかかないように努力してる。歯を数本磨くごとに、口の中のものをペッと吐き出す。ドラマを見ても泣かないくらい、心は死んでる。

 それに、私は自分の体液が嫌いだから、わざわざ見たりしない。

「じゃあ、今日も唾液、とらせてね」

 試験管によく似た入れ物を渡され、いつものように唾を吐く。

 可視化されたそれは、まるで泥水のようだった。

 自分が必死に目を背けて生きているというのに。

 どうしてこうもはっきりと、現実を直視することを強制されなければならないんだろう。

「じゃあ、予防注射は別の部屋で打つから、待合室でちょっと待っててね」

 相変わらずのニヤニヤ顔が、バカにしたような声で言う。私は返事をするでも頷くでもなく、扉を開けて、部屋から出た。


 採血で針を刺されるのは大嫌いだけれど、予防注射だったらいくらでも打ちたいと思えた。

 みんなとおなじ絆創膏を貼ってもらうと、一瞬だけ普通になれた気がした。

 けれど、それは本当に一瞬のことで、私はすぐに異物に戻る。副反応がどうとか言って、ベッドで寝て待てと言われるからだ。でも、こうして経過観察をしなければならない人は、私のほかにもいるらしい。そう、看護師さんに気まずそうに言われると、ほんの少しだけ心が晴れた。

 三十分間寝転がりながら、無駄に時を消費する。暇な時間のほとんどを、私は絆創膏を見つめることに使った。勝手に剥がれるまで、剥がす気はない。大切な〝普通〟を愛でる。

 ベッドから解放されると、〝普通〟を撫でながら、会計待ちスペースの席につく。

『誰か亡くなったのかしら』

 背後から声がした。

 聞いたことがないおばさんの声だった。

 声がした場所から視線を感じた。

 私は振り返り、じとりとした目でその人を見た。

 やっぱり、知らない人だ。

「あ、あははは……」

 知らないおばさんは、苦笑いをする。その顔は、町医者に行って追い出される時に、医師や看護師、事務の人がする顔とよく似ていた。



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