第2話

「…ん?」

「あ、カナちゃん目が覚めたみたいね」

「よかった~気絶して十数分で目覚めてくれて」

美嘉の攻撃から目を覚ました彼方はエレナに膝枕されていて少し恥ずかしい気持ちだった。横では栞が数秒前まで心配な表情をしていたことがわかる安堵な顔を見せていた。

「そうか、僕倒れていたんだ…よっと…」

「カナちゃん、大丈夫なの?もう少し安静にした方が…」

「大丈夫だよ、こういうのはもう慣れてるから。さてとイベントも終わったし帰るとするか」

栞とエレナの心配をよそに、平気である事を主張して帰る支度をする為に控室に入る彼方。着替えとメイク落としを済ませて会場を出ようとすると、再び栞とエレナが声をかけた。

「カナちゃん…これから打ち上げ行かない?」

打ち上げのお誘いだった。しかし彼方は人見知りなので、あまりこういうのは好きではない。断ろうと思ったが…

「ミカはスタッフや関係者との本当の打ち上げに行ってるわ。彼女、20歳になったばかりだから飲みにいくそうよ」

貪欲な面がある美嘉はこういうので人脈作ろうと躍起になっているな…と内心思いつつ、この3人だけで別の打ち上げをやるという事は何か意図があるのだろうと思った彼方。

「ミカ抜きで彼方君に話したいことがあるの」

案の定だった。あれだけ奔放な姉から離れて話したい事が気になった彼方は栞とエレナとの小さな打ち上げに向かった。その場所は何処にでもあるカラオケボックスだった。アイドルは稼げているように見えても、大半は事務所が貰ってそこから諸々差し引かれて当人に渡される渋い懐事情であれば妥当と思った年収か数千万の彼方は思っても口に出さずにいた。そしてここで栞とエレナに告げられた事は彼方を少し惑わせるものとなった。

 夜21時、小さな打ち上げを終えて帰宅した彼方は、姉の不在を確認して自室に入りすぐにベッドに横たわった。慣れないイベント出演により疲れていたので推し活する気力も無かったため、そのまま眠りにつこうとしていた…打ち上げの時に栞とエレナから告げられた事を思い出しながら…

(ミカ、自分が芸能界でのしあがることと、安定した生活を両立するためになんでもしているわ。カナちゃんは安定した生活の為に、ミユは自分が芸能界で生き抜く為に利用しているわ…)

(ミユは彼方君を見てくれているわ。それに気づいていないなんて鈍感過ぎるわ…)

思い返しながらまどろみの中に入り込んでいったのである…


 月曜日の朝、6時半に起床した彼方がリビングに入ると美嘉がテレビをつけっぱなしで寝ていた。

「まったくだらしない…自分の部屋で寝ろつーんだよ…風邪引くぞ!」

夏とはいえ、タオルケットをかけてない無防備な格好で寝ている美嘉。普通の青少年なら興奮する状態にも目もくれず、美嘉の散らかしたゴミを片付けて朝食の準備をする。と言っても冷凍食品をレンジで温めるだけだが。レンジから取り出して食べているとテレビからあるエンターテイメント関連のニュースが流れたのだが、彼方はそれを見て固まった…昨日、自分が出演したイベントが取り上げられていたからだ。

「このイベントにはCheChillのお三方の他、ミカさんの弟であるホワイトハッカー・和泉彼方さんが参加しました。『世界を変える若き才能』にも選出された天才の意外な素顔に会場が大爆笑しました…」

咄嗟にテレビを消したが、あくまで自宅。全国に出演したイベントで発言したことが今流れてネット上で格好のネタにされていると思うと気が気でなかった。食べ終えて手元のスマホでチェックしてみたら…

『あの巨乳でヘッドロックかけられたら昇天しそう』

『羨ましい~俺もミカの弟になりてー』

とスケベ心丸出しの反応が大半あり、変な炎上は無かったのでひと安心…まあ異常ではあったけど。結果的に杞憂だったこともあり、朝ごはんを終えた彼方は自室に戻りいつもの勉学と仕事に打ち込むのであった。 


 20時、彼方は仕事を終えてダイニングに向かうとリビングから複数の女性の話し声が聞こえてくる。

「また誰かきてるな…やっぱり」

案の定姉・美嘉を含めてChechillのメンバーのうち4人が談笑していた。

「おじゃましております彼方さん」

礼儀正しく挨拶してきたのはCheChillのサブリーダーである冴島美乃梨(さえじまみのり)だ。美しく長い黒髪をもち、知性を感じさせる顔立ちの彼女はアイドル業の傍ら、難関私立大学にも通って勉学に励み、週末にはニュース番組でキャスターを務める程の才媛である。彼方もお互い都合が合えば勉強を教えてもらっているので「姉弟」というより「師弟」関係である。

「こんばんわ、美乃梨さん。せっかくだからこの後現代文でわからないところあるから見て欲しいんだけどいいかな?」

「勿論よ。キミのためなら色々教えるわ」

彼女もまた彼方に甘いのだが、節度と距離は保たれてる。しかし周囲には暴走してるように見えたのか別のメンバーが宥めてきた。

「流石に辞めなよミノリ、今のは現代文以外に何か教えそうな言い方よ。ごめんね彼方くん」

宥めたメンバーは女優としても活動する長岡麻衣(ながおかまい)である。彼女はもともと女優一本でやるつもりだったが、若いうちに様々な分野を経験する事も必要ということとでCheChillのメンバーとしても活動している。最近ではメインとまではいかないがインパクトある脇役を多く演じてきており単体としての知名度も上がってきている。彼方には普通の距離感で接しているため一番関わりやすい人ではある。

「彼方くん、この前の2時間ドラマ見た?ミステリーモノで序盤で殺される役なんだけど爪痕残したって感じだったよね?」

「麻衣さんごめん、まだ観てないんだ…あ、今から配信で見るから!」

「そんなに慌てなくていいわよ。前半私が出てるところだけ見てくれたらいいから。死ぬ演技って本当に重要だから、意見よろしく!」

プロの役者としての気持ちが強く、どんな役でも先に彼方に意見を求めてくるのが玉に瑕である。

「ボクのこと忘れていない、カーくん?」

そして今の彼方の状況をからかうショートカットの少女は佐倉有菜(さくらありな)だ。元々は動画制作や配信を行うクリエイターではあるが、ボーイッシュで可愛い事と、当人も少しアイドルに憧れていたことからCheChillに加入した。彼女のおかげでグループの公式サイトや動画チャンネルは少し凝ったものになっておりアクセス数や再生数の増加に一役買っている。そんな彼女とは分野が違えどIT繋がりでノリのいい親友みたいだ。

「いや~昨日のイベント、カーくん中心でバズってたよ~いや~ミカのヘッドロックはすごいからね~夢心地なんでしょ?コノヤロー!」

いじりすぎるのはなんとかして欲しいけれどそれ以外は天才的な才能を持つメンバーである。

これでミユ以外のCheChillメンバーが彼方と交流がある事がわかる。それにしても昨日もメンバーに翻弄されたからこの後の展開に嫌な予感しかなかった。

「そうそう今日はカーくんに頼みがあってきたんだよ」

「頼み?」


「お願いというのは、彼方さんにも私たちの事務所に入ってほしいの」

CheChillのサブリーダー・美乃梨達の頼みというのは彼方に自分達が所属する芸能事務所に入ってほしいというものだった。当然だけど突然の請願に目を丸くしてしまう彼方だったが、もう一人目を丸くしている人がいた。リーダーの美嘉である。

「ちょっと、初耳なんですけど!なんで彼方を入れるの?コイツに芸能界はムリムリ」

「美嘉は黙ってて!」

美嘉の抗議を麻衣が止めて再び説明しようとするが、

「悔しいけれど姉ちゃんのいうとおりでもあるし、そもそも入るつもりもないよ…」

彼方は取り合わなかった。実際人見知りが激しい彼方にとって芸能界は居心地がいい場所とは言えない。それに仕事と学業…と推し活に忙しいのにここに芸能活動が入るとなると身体が持つわけがない。

「そんな邪険にしないでよ~カーくんにアイドルになってもらおうとなんて思ってないよ。『文化人』として在籍してほしいだけだよ」

「文化人?」

芸能事務所というのはアイドル、俳優といった文字通りの「芸能人」だけでなく、大学教授や医師などで頻繁にテレビ出演やら講演に登壇する人をマネジメントする為に「文化人」として在籍させていることも普通である。

「彼方さんは自分を卑下しがちですよ。あの『世界を変える若き才能』に選出されてるんだから」

彼方は自分が思っている以上に価値がある存在であることを美乃梨から知らされる。

「といっても彼方くんが忙しいのもわかる。大丈夫、学業と仕事と君の推し活には影響させないようにするから。別に毎日出演やら講演があるわけじゃないから」

本来の自分の生活に影響ないのであれば…と揺れ動いていたが一方的に言われて癪だったので、

「確かにいい話ではあるけど、僕が事務所に入る条件を提示するけどいい?」

「いいよ、こっちから請願してきた事だからなんでも言って」

「簡単なことだよ、ミユに会わせてほしいんだ」

入るにあたってたったひとつの条件を提示した。これからCheChillのメンバーと同じ事務所に所属する事になるんだ。これくらいの恩恵がないと入る意味がない。

「そ、そうね…こっちの一方的な要求ばかりでは理不尽だもんね。彼方さんの条件を飲むわ…ただしすぐに実現できるとは限らないからその点だけはわかってほしいわ」

彼方の要求を可能な限り実現させるという事を聞けた彼方は返事をしようとしたが、

「ちょっと待ってよ!私は大反対よ!!そんな下心で事務所入るなんて許さないわ」

遮るように猛抗議してくる美嘉を見て、


バチーン!


人生で初めて平手打ちをした。

「姉ちゃんいい加減にしろよ…」

これが自分を遮る「壁」にヒビを入れた瞬間でもあった。

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