第21話 それは、色鮮やかなルビィの世界


『神殿』という檻の中、与えられた役割の中でだけ許される自由。

 言動も、日々の生活も、服装から口に入る食事に至るまで、すべてを管理されてきた。


 灰色に染まった世界には何の感動もなく、絶望のうちに祖国は滅び、王女としての身分も聖女としての神聖力も、自分を冠するものすべてを失ったというのに。


 それでも『生』にしがみつく姿はきっと、どうしようもなく滑稽で惨めだと……死してなお自由で軽やかな二人の悪女を見るにつけ、思わずにはいられなかった。


 ――そして、今。

 聖堂でただひたすらに祈りを捧げ、一枚絵のような景色を眺めていた頃には想像も出来ないほどに目まぐるしく、色鮮やかな世界がマーニャを塗り替えていく。


 すべてを真正面からねじ伏せてやると言わんばかりに、力強い感情がマーニャの胸の内に流れ込み、途方もない高揚感で満たされる。


 ルビィの目を通して見える世界は好奇心に満ち溢れ、自身のすべてを肯定するような万能感に心が躍った。


 罰せられることに怯え、俯き、見ないふり、知らないふり。

 検討すると見せかけた保留という思考放棄に加え、すべてを秘匿し、神の名のもとに正当化する。


 刷り込まれ、それが正しいことなのだと疑うことすらしなかった。


「その程度で騎士を名乗るとは、恥を知れ」


 ルビーの声が、思考が、頭に直接流れ込んでくる。

 ガスターが振るう剣の軌道、数秒後の動きすら予測するように、先んじて黒剣であしらうルビィの動きは躍動感に溢れ、――そして、自信に満ちていた。


 空高くから俯瞰し、闘技場を一望したかのように、観客の動きまでもが立体的な映像となって脳内に再生されていく。


 マーニャの身体であるはずなのに。

 魂が違うだけで、こんなにも見える景色が違うのだ。


 女王だからと言ってしまえばそれまでだが、マーニャだって王族なので、言い訳にはならないだろう。


 支配者の目はどこまでも遠くを見渡し、その眼差しだけで空高く飛ぶ鳥すらも射落とせてしまいそうだ。


 まるでスローモーションのようにガスターの動きが緩慢に見え、どこを攻撃しようか一瞬迷ったのだろうか、ルビィの視線が素早く移動する。


「ん――、折角だから?」

《そうねぇ、ついでに腕ごと切り落とすのはどうかしら》

「なっ、なんてことを仰るのですかッ!? どちらも駄目ですぅ!! ……と、マーニャだったら涙目で叫ぶところだな」


 中から見聞きしているとも知らず、「そっくりだ!」と二人してマーニャをおちょくり大笑いしている。


 なんという緊張感の無さ。


 だがマーニャの低い身体能力を以てしてもなお、現役の近衛騎士を相手に冗談を言う余裕がある、ということだ。


が怒りそうだからな。仕方ない、喉を潰すのは諦めるか」

(えッ?)

「――ん? 気のせいか?」


 傍若無人なルビィのことだから、マーニャなど下僕程度の認識……気にも留めていないだろうと思いきや、意外にも尊重してくれているらしい。


 驚いて声をあげるとルビィに聞こえてしまい、慌てて口をつぐんだ。


「治る程度に斬ってやる。肩か? 腕か? ……好きな場所を選ばせてやろう」

「……戦争捕虜の分際で、お前は何を言っている!?」


 つい先刻まで波を打ったように静まり返っていた観客席が、聖女の猛攻に湧き、場内が熱気に包まれる。


 歓声に背を押されるようにしてルビィが踏み出すと、ガスターが力を籠めて剣柄を握り直した。


 決闘開始当初とは異なり、別人のように動きが鋭くなったのを警戒しているのだろうか。

 体格差を活かし、自身のリーチを最大限に活かせる距離まで間合いを詰めるが、ルビィの剣が届く範囲には決して踏み込もうとはしない。


 公衆の面前で、しかも聖女に剣で負けようものなら騎士としての未来はない。

 プライドをかなぐり捨て、殺すつもりで振り下ろされた剣は一瞬ルビィを捉え、――すんでのところで身を翻され、空を裂く。


「戦いに不慣れな聖女を捉えることすら出来ないとは」


 ――嘆かわしいことだ。


 挑発めいた言葉以上に、その侮蔑に満ちた表情が火に油を注ぎ、ガスターの怒りは頂点に達した。


 剣尖を閃かせ、二人の剣が交差する。

 鳴り響く金属音は歓声に呑み込まれるように宙に離散し、二度、三度と交差する度、打ち合いは激しさを増していく。


 赤々と熱を持つ玉鋼たまはがねを鎚で叩いたかのように勢いよく火花がはじけ、感情に任せたガスターの動きが次第に直線的になっていく。


 畳みかけようとガスターが追撃した次の瞬間、ルビィがわずかに身を引いた。


 その口元に薄っすらと余裕の笑みをたたえながら、交差する剣の接触点を斜めにずらし、受け流すように力を逃がす。

 勢い余ったガスターの重心が崩れ、前のめりによろめいた。


 ――相手が剣を取り落とせば、こちらの勝利。


 ガスターの手首目掛けて、ルビィは剣を振り下ろす。

 不安定な体制で剣柄ギリギリを攻撃されれば、いかに力が強かろうと意味がない。


 ガスターの剣は無情にもその手を離れ、カランと音を立てて地に落ちた。


「……やはり、自分の身体と同じようには動けんな」


 地面を揺るがすような歓声がルビィを包み込む。

 息を弾ませながら観客に笑顔で応えると、聖女を称える声は一層大きくなっていく。


 この感情を表現する言葉を、マーニャは知らない。

 だが戦いを終えてなお興奮は覚めやらず、瞼を閉じると先程の光景が鮮明に浮かんでくるのだ。


 激しい鼓動は歓声をかき消すほどに内から響き、全身をめぐる血が沸き立ち、今にも燃え上がりそうに熱を持つ。


 肉体を明け渡し、精神だけの状態であるはずなのに。


 ――なぜだろう。


 世界が柔らかに揺らめき。

 鮮明だった境界線は、にじむように溶けあっていった――。




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