第19話 闘技場には聖女の皮を被った伏兵がいる


 砂塵の舞う闘技場。

 詰めかけた群衆が、石造りの階段までも埋め尽くす。


 久方ぶりの『決闘裁判』に期待が高まる中、マーニャは闘技場内をグルリと見回した。


 戦争捕虜や罪人が、見世物的に戦わされることもあるこの闘技場。

 生き延びるために手段を選ばない者もいるが、その姿まですべてを娯楽として観客達は楽しむのだとアンジェリカが教えてくれた。


《マーニャ。代わってやるから、そろそろ酒を飲んでおけ。一撃でもくらったら死ぬぞ》

《近衛騎士長の腕章よ? 気に入ったと見せかけて、ほんっと容赦ないわねぇ》


 ディランの親族なのだろう、屈強な騎士が目の前に進み出る。


「レトラ神聖国の聖女を斬れる日がくるとは……楽しみで昨日は眠れなかった」

「お、お手柔らかにお願いいたします」

「ディラン様からは、殺しても構わないと聞いている。最初はどこがいい? 腕からいくか?」


 猜疑心が強く、慎重なディランが選んだ代理人。

 殺されるつもりはないし、腕を切り落とされるのもお断りしたい。


 早々に降参する案はどこへやら……ディランの指示が本当かは不明だが、いずれにせよこの男を倒さないと、マーニャに明日はないらしい。


《ディランも大概だったが、こいつもなかなかに腹立たしい》

《やだ困ったわぁ……またわたくしの嫌いなタイプよ》


 身分のある者は闘技場全体が見渡せる上段に座しており、その中央にある貴賓席にディランが座っていた。


 右隣に座る美しい女性は、ディランの婚約者だろうか。

 だが反対側……左隣の空席が妙な存在感を持って迫り、マーニャは嫌な予感にゴクリと息を呑む。


 ファンファーレが鳴り響き、アスガルド国王が姿を現し、――そして席に着いた。


 闘技場が波を打ったように静まり返り、咳払い一つ聞こえない。

 本日の決闘内容が読み上げられ、まさかという思いがそこで初めて確信に変わる。


《マーニャもビックリ、の国王陛下だな》

《仰々しいこと》


 遠目にも分かる見慣れた姿は、まごう事無きルーカス。


 王族であることは、先日の会話から察していた。

 だがまさか、国王陛下だとは思わなかった。


「……お二人はご存じだったのですね」

《まぁな。確信が持てたのは、つい先日だ》

《マーニャとのルールを決める前だから、報告義務はないわよね?》


 それはそうなのだが……。


 ふと見廻すと闘技場の隅に、王国兵に麻縄で引かれたレトラ神聖国の戦争捕虜達がズラリと並んでいた。


 処刑を免れた挙げ句、祖国を滅ぼした敵国の王に娶られ……なおかつ代理人として戦うマーニャの姿は、彼らの目にどう映っているのだろう。


 ……悪趣味なことをする。


 その反応をも楽しみたいとでも言うのだろうか。

 ルーカスがやるとは思えないので、ディランの仕業なのだろう。


『祖国の戦争捕虜がどれほど悲惨な扱いを受けているか、お前には想像もつかんだろう』


 ルーカスの言葉通り、見れば皆、満身創痍……濁った眼を向けられて、マーニャはギュッと拳を握りしめた。


 恥知らずにも命乞いをして敵国に取り入った、浅はかな聖女だと思われているのかもしれない。


「聖女マーニャ・レトラよ、述べることはあるか」


 咳払い一つ聞こえない静寂の中、ルーカスの声がマーニャまで届く。

 普段屋敷にいる時とは違う、威厳に満ちた……だが硬く強張った声。


 王弟ディランには逆らえないと言っていた。


 マーニャが長年高潔な聖女を装ってきたのと同様に、彼もまた、何か・・を演じているのかもしれない。


「……アスガルド国王陛下に、レトラ神聖国の聖女マーニャよりお願いがございます!!」


 あの上段まで届くだろうか。

 必死で声を張り上げると、観客席がザワリと揺れる。


「言ってみろ。内容にもよるが、もしお前が勝利出来たら考えてやろう」


 自身の生命と、衣食住の保証。

 言葉を返すルーカスの隣で、そんなところだろうとディランが鼻で笑うのが見える。


 命は惜しい。

 死ぬのも怖い。


 だが長年身にまとってきた聖女の鎧は祖国の民を前にして、マーニャの脆さを隠すように……恐怖に揺らぐ心を暴かれないよう、厚く厚く、弱さを覆い隠してくれるのだ。


「戦争捕虜が、奴隷同然の扱いを受けることは存じています! ですが奴隷であっても衣食住は保証され、むやみに傷つけることは許されていないはず」


 真新しい傷が顔についている者もいる。


「貴国にいる奴隷と同じ扱いに、戦争捕虜の待遇を改善していただきたいのです!」


 すべては祖国の民のためにやったこと。

 そのために、王の寵愛を受けたのだ、――と。


 本当は為されるがままなので違うのだが、アスガルド王国民と祖国の民の前で……それも守られた場所からではなく、殺されるかもしれないこの場で直接宣言することは大きい。


 輝きを失い、濁っていた戦争捕虜達の目に、うっすらと光が宿る。


「そして陛下の妃になった以上、有事の際には同様に、貴国の民を守ると誓います」


 自身の身に降りかかった時、同様に守ってもらえるのならばと、アスガルド王国民にも賛同の色が浮かぶ。


《クッ……あははは!! なるほど面白い! とんだ伏兵だな》

《こうやって見ると、ちゃんと聖女様に見えるから不思議よねぇ》


 へなちょこマーニャのくせに生意気だわ、とアンジェリカが失礼なことを言っている。


《すべてを意図してやっているとは思えんが、国民からの支持が上がれば貴族達も蔑ろには出来ない。結果的に身を守り……我らの行動範囲も広がっていく》

《やだ、良いこと尽くめじゃない! 偉いわマーニャ!!》


 未だかつてなく集中しているところだから、ちょっと黙っていてほしい。


 戦争捕虜の件だけであれば、ディランの命令で却下される可能性が高かった。

 ゆえにアスガルド王国民をも巻き込んだのだ。


 そして兄弟共に居並ぶこの場で要望を却下すれば、ルーカスだけでなくディランも諸共に是非を問われることになる。


 神殿で生き残るため、支持を得るために画策してきたことが、こんな形で活きるとは思わなかったが――。


「いいだろう……もし勝てたなら、お前の要望を受け入れよう」


 気のせいだろうか。


 強張っていたルーカスの声が、少しだけ柔らいだような気がした。





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