100カラットダイヤリィ
野々宮ののの
第1話
【繭】今日は無事に学校に行けました。応援してくれてありがとう。こんな風に、毎日なにごともなく、穏やかに明るく過ごせたらいいな。
薄暗い部屋の中にただひとつ、スマホの画面だけが煌々と光っている。私は指を動かして、スマホの画面上に言葉を紡いでいく。
しばらくしたら、
【虎徹】今日も頑張ったんだね。小さな頑張りの積み重ねがきっと未来につながっていくはずだよ。暗闇もあれば明るい日もある。ずっと暗闇が続くわけじゃないから、あきらめないでいこう。急がなくてもいい。焦らずにね。
「虎徹は優しいな」
ぽつりとつぶやく。虎徹の言葉にはいつも、抱えきれないほどの明るく優しい想いが溢れている。その言葉の集合体は、いつだって私の心を闇の中からスウッとあざやかに救い出してくれる。
+++
私が不登校気味になったのは、高校二年になってすぐの頃だった。
私の目の前の世界はイヤなものに溢れていた。息苦しくなり、絶望して、次第に立ち上がる気力すらなくなってしまった。動けない。部屋に閉じこもって膝を抱える。「こうありたい」と思う理想とは程遠い現実。毎日涙が止まらなかった。
暗澹たる思いで辿り着いたスマホサイト。流されるまま、私はそこに初めての日記を残した。
【繭】苦しいよ。
日記とも呼べないたったひと言だけの言葉だった。
投稿してすぐ、他のユーザーから三つの「共感」マークと、一つの「頑張れ」マークが付いた。
翌日もう一度サイトを見てみると、一つのコメントが付いていた。
【虎徹】毎日を生きているだけでも苦しい、そういうことってあるよね。焦らない、焦らない。
初めてコメントをもらって驚いた。私は何がつらいとか苦しいとか、具体的なことも記さずにただ自分の叫びを吐露しただけだった。そんな叫びに、知らない誰かが共感して励ましの言葉をくれる。とても些細なことだけど、でも嬉しかった。トゲトゲとささくれ立ってバサバサと荒れ果てていた自分の心の中が、少しだけ穏やかになったような気がした。
私は心を渡る涼やかな風みたいな安らぎを感じながら目を細め、そのコメントを何度か読み返した。それから、コメントをくれた虎徹の日記を覗いてみた。
【虎徹】冷たい地面から見上げる都会の空は小さな小さな四角形。高い所を目指したなら、大きな四角形が描けるだろうか。空に恋焦がれて、空の全貌をこの目で確かめてみたくて、僕は螺旋階段を登っていく。きっとこの先に……
+++
ここは、『100カラットダイヤリィ』というスマホアプリ。
このアプリには100字までの日記を書くスペースがある。日記をポストできるのは一日に一回まで。ポストした日記は公開され、誰もが閲覧できる。ユーザーは、誰かがポストした日記を自由に読んで「共感」、「素敵」、「頑張れ」といったマークを付けたり、誰かの日記に対して100字以内のコメントを残したりすることができる。
毎日欠かさずに日記をポストする人もいれば、時々思い出したように近況を書き連ねる人もいる。あれこれと相談をする人もいるし、詩を書いたり短い物語を書いたりと表現スペースに使っている人もいる。「~ってどう思いますか?」とアンケート風にしてコメントを集めている人もいる。好きな曲を一日一曲ずつ紹介している人もいる。
一日にたった100文字。与えられた100文字をどう使うか、それはユーザーの自由だ。
【虎徹】リアル世界で知り合う時にはまず顔や名前。次に住所や所属。少し仲良くなっても心の内は分からない。ここでは、知り合うときにまず心の内面から入る。だけど、顔や名前は知らない。現実と正反対の順序。不思議だね。
読み終えた虎徹のポストに「共感」のマークを付けながら、確かにそうだなあと感心する。
私はこの場所に、最初から心の内面を思いっきりぶちまけた。今でも、イヤなことがあった日や調子の悪いときにはついつい「苦しい」「もう消えたい」「疲れちゃった」と、ネガティブな日記をポストしてしまう。
私の心の叫びに触れた誰かが共感し反応をくれる。たったそれだけで、心に降り積もっていた黒くて重苦しい灰がサラサラと音を立てて消えていくような不思議な気持ちになる。見ず知らずの誰かに無遠慮に甘えて寄りかかるみたいに、私は『100カラットダイヤリィ』に何度も弱音を残した。
虎徹は、私の日記に頻繁にメッセージをくれる。いつだって、私が負担に感じないよう言葉を選んでコメントを残しておいてくれる。こんなにも醜い心の内面をさらけ出していても。
いつだって虎徹は優しい。
だけど、私は虎徹の顔や名前を知らない。住所や所属も知らない。
リアル世界で「はじめまして」から少しずつ人間関係を築くのは、意外と難しい。気の合わない人だってたくさんいる。何故かはわからないけれど初対面から敵意を持たれることもある。仲良くなったって別れなければならないこともある。そんな日々の中、心の内面をさらけ出せるほど親密な友達を作るなんて、あまりにも困難なことのように思える。
それでも世の中の人達はみんな、当たり前のように周囲との関係性を作っていく。不可解だ。友達が多い人っていうのは、もしかすると私の知らないところで友達を操縦する魔法でも使っているんじゃないだろうか。そうでなきゃ説明がつかない。
「って、そんなわけないよね」
分かってる。私が不器用なだけ。
ちょっと寂しい気持ちになって、虎徹の投稿を読み返す。何度かその文字列に目を走らせてから、コメントを残した。
【繭】本当に不思議。顔も名前も知らない相手だからこそ、心の内をさらけ出せるのかも。悩みの尽きない人にとっては、そういう関係性こそひとつの救いになるのかもしれません。いつも心の内に寄り添ってくれてありがとう。
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