掃除のお婆ちゃん
食器を洗い終えた後は翌日の料理についてだ。
「ついに予算が尽きたわけだがどうするかね?」
芋おばちゃんがリストを見せてくれた。
「ここの上からならば買える。あと、パンについては月単位で契約していて料金は学校が直接払ってくれるので、頼めば配送してくれる」
リストを見るがさすがに厳しい。
ついに豆すら買えなくなった。
ニンニクや生姜あたりを優先すべきかもしれない。
「食材を買う前に、まずはこちらを見てください。大豆油の絞り滓で作った疑似肉試作一号です」
昨日、寮の調理場で作った疑似肉の試作品と、現在料である豆の絞り滓をおばちゃんに見せて、実際に疑似肉を実際に食べてもらう。
「完全に油を切った方はオートミールみたいで何か使えそうだね。逆に油が残った方はさすがに厳しいか。もっと油を切らなきゃ食えたもんじゃない」
流石に評価は厳しい。
これに手を加えないとどうしようもないだろう。
「とはいえこいつを何とかしないと明日の昼飯はパンだけになっちまうよ」
「この油が多すぎるやつと油を切ったのを混ぜりゃ良いんじゃないか」
「それだ!」
解決方法はシンプルな話だった。
豆おばちゃんの思いつきどおりに徹底的に油を切ってパサパサになったものに、油と旨味が残ったものを混ぜればそれなりのタンパク質の塊が出来上がる。
「絞り滓に大量に油が含まれているので、これをそのまま炒めれば完成」
食べてみると、鶏そぼろに近い食感になった。
味の薄さは調味料で調整できるだろう。
「でもこれじゃあメインにはなりえない。固めて焼くにしてもいくらなんでも見た目が地味過ぎる」
試しに更の上に完成したつみれ団子のようなものを置いてみたが、食事と言うよりエサ感がすごい。
「パンは手に入るんですよね。それならばハンバーガーにしてみましょうか?」
「ハンバーガー?」
おばちゃん達が聞き返してきた。
「ハンバーガーというのはハンバーグをパンで挟んで」
「待ちな、ハンバーガーというのは何なんだい?」
「ハンバーグとは肉と玉ねぎのつみれ焼きのことです」
「なんだつみれか」
「薄く切ったパンでハンバーグと他に野菜や調味料などを挟み込んでいただくのがハンバーガーです」
「ホットドッグの変形みたいなものか」
つみれもホットドッグもあるようなので話は早い。
知られている料理ならば、生徒達に受け入れてもらえそうだ。
「それなら残った予算で大豆の絞り滓と一緒に葉物野菜を注文しよう。それで色合いは少しはマシになる」
「あとは今日の残りのトマトソースをパンに挟みましょう。それで赤と緑も入ります」
「ホットドッグと同じならば、ピクルスも細かく刻んで入れてみよう。酸味が増した方がきっと美味い」
一応明日の料理に関しては完成した。
明後日のことは明日の自分達が考えてくれるということで食堂を施錠して解散になった。
◆ ◆ ◆
寮の部屋から持ってきた無地のシャツ、ロングパンツに着替えてワーカーキャップを被って待ち合わせの場所――ダウマン教授の部屋の真下に行くと、カトレアが既に待っていた。
足元の地面がかなり踏み固められている。相当待たせてしまったようだ。
「遅いぞ。行動はもっと早く!」
「すみません、食堂の用事が立て込んでおりまして」
「言い訳はいい! それよりもこれからどうやって教授の部屋を調べるつもりなんだ? というか、なんだその服装は?」
「仕込みを実行するための方法ですよ。それでは作業員の待機室へ行きましょうか」
「えっ? そんなところに行って何になるんだ?」
「午前中に準備した仕込みを活かすんですよ」
作業員の待機室に行くと、予定通り作業員達は全員出払っていた。
倉庫から噴霧器と虫取り網と虫を入れる瓶を捜してきて、噴霧器の中に適当に水を入れて待っていると、1人の生徒が飛び込んできた。
「おい、急いで来てくれ。ダウマン教授の部屋だ!」
「何が有ったんですか? 落ち着いて話を聞かせてください」
「虫だよ! 教授の部屋の中に大量のカメムシが入り込んでいるんだ!」
「ああ……この時期は窓を開けっ放しにしているとそうなりますね」
「御託はいいから早く来てくれ!」
「はいはい分かりました」
布巾を顔を隠すように巻いて手袋をはめる。
これで顔も体型も一切分からなくなった。
そして、虫取り網と噴霧器を持って待機室を出る。
「おい、ちょっと待て」
カトレアに呼び止められた。
「午前中の仕込みというのはこのことか?」
「さあ? でも、あんな山に近いところで窓を全開にしていたらこうなってもおかしくはないですよね」
そう言ってカトレアに予備の虫取り網を渡す。
「私1人では大変なのでカトレアさんもどうぞ」
「わ、私は遠慮しておこう」
「では付き添いをお願いします」
生徒に連れられて研究棟の中に入る。
三階の角部屋の前へ行くと、神経質そうな老人が仁王立ちしていた。
この老人がダウマン教授なのだろうか?
腰を極端に曲げてなるべく顔を見せないようにして、しわがれた声で喋る。
こういう時は白い髪がありがたい。
「なんだ、いつものオヤジじゃないのか?」
「あたしゃ臨時で呼ばれた手伝いじゃよ。何しろ人がいなくて仕事が回らないらしくてねぇ」
「そんなことよりカメムシだ! 早くなんとかしてくれ!」
「カメムシかえ? まあそんなもの、この噴霧器で殺虫剤をだーっと巻けば、あっという間にいなくなるよ」
そう言いながら噴霧器を部屋の中に向けると、ダウマンが急に焦った表情をし始めた。
「おいやめろ! 室内は大切な書類と機材が山ほどあるんだ。湿気は厳禁だ!」
「ならどうしたら良いかねぇ」
「その手に持っている虫取り網でなんとかするんだよ!」
「虫取り網? ということこれのことかえ?」
「それだよ! いいから早くカメムシを何とかしてくれ!」
「なら、この部屋の扉を開けてくれんか?」
「開ける! 開けるから早く!」
ダウマンが何やら手を複雑に動かしたあとに何やら呟くと、扉は独りでに開いた。
それと同時に大量のカメムシが室内から飛び出してくる。
「ぎやああああ!」
ダウマンは情けない叫び声を上げると、壁に張り付いてしゃがみ込んでいる。
その顔に付いたカメムシを摘んで持ってきた瓶の中に入れた。
「さてカトレアさん。お手伝いをお願いしますよ」
「なんというか、お前すごいな」
室内に入ると、机の上には山のように書類が積み上げられていた。
窓際にはよく分からない機材がてんこ盛り。壁には書架があったが、そこには本が隙間もないほど詰め込まれており、そこに入り切らない本は本棚の前に積み上げたあった。
「書類には触るなよ! 機材にもだ! 特に機材は下手に触ると燃えたり爆発するから絶対に触るな!」
「そうは言っても、書類の上にもカメムシが入り込んでいるで。こんな風に」
書類の上を張っていたカメムシを掴んでダウマンに見せる。
「こいつら潰すと変な汁を出して書類が汚れるので……」
「分かった。片付けるから待て!」
ダウマンは飛んでいるカメムシを手で払い「クソっこいつ臭いぞ!」と言いながら書類を机の端に移動させていく。
「私らは手伝わなくて良いかね?」
「これは貴重な書類だ。貴様らなんぞに……うわっ」
またもカメムシが飛んで、それを手で振り払った時にうかつに潰してしまったらしい。
周囲に悪臭が立ち込める。
更に、その汁が書類のどこかに付いてしまったのだろう。
ダウマンはぎりぎりと油が切れた機械のような動きで首だけを動かしてこちらを見た。
「書類を動かすのも手伝ってくれ」
「はいはい。カトレアさんも、そこの生徒さんもお手伝いお願いしますえ。わたしゃその間にカメムシを取りますんで」
カメムシを網や手で掴んでどんどんと瓶の中に入れていく。
その間に、よほど小さく畳んでいたのだろう、やたら折り目が付いている手紙を見つけたので、ダウマンが他所を向いている間に文面も確認せずにポケットの中に入れた。
「だから噴霧をした方が早かったじゃろ」
虫取り網を適当に振り回すが、カメムシの移動速度は思ったより早く、網に入る気配はない。
その間もカメムシは室内を飛び回り続けており、減る気配がない。
「もう噴霧でいい。書類と機材は外に運び込むから、その間に噴霧で全滅させてくれ!」
OK、許可をいただきました。
「これって大事な書類なんじゃ? こんな扱いをするとなくなっても責任は取れませんで?」
「いいからやれ!」
「ということです、カトレアさん」
カトレアに目配せを送った後に、書類の山をバケツリレーの要領でどんどんと部屋の外に出して、廊下へと並べていく。
書類と機材が廊下にずらりと並んだところで、他の部屋からも何事とばかりに人が次々と出てきた。
「すんません、こちらの部屋に大量にカメムシが出たらしいっちゅう話なんで、今から駆除を行いますえ。他の部屋に逃げ込むかもしれないんで、皆さん窓やドアを閉めて、決して外に出ないように」
そう呼びかけると、一斉にドアが閉まった。
その直後にバタバタと窓を締める音が聞こえてきた。
「一応、中に入って噴霧にやられたらまずいものがないか確認してくれんかの?」
「ああ、分かってるよ」
ダウマンが中に入ったのをきっかけに、カトレアが書類の山から目当ての書類を探して何枚かを抜いていく。
ダウマンが室内から戻ってくるまでにカトレアが5枚ほどを抜き出したのは確認できた。
成果は上々だろう。
「じゃあわしはこの中で噴霧してカメムシを駆除してくるんで。100ほど数えたら扉を開けてください」
そう言って1人で室内に入る。
「さて、まあカメムシの駆除は鳥さん達におまかせしましょうか」
◆ ◆ ◆
100秒経ったあたりで扉が開いた。
もう室内にカメムシは一匹も残っていない。
カメムシの代わりに今度は鳥の臭いがするが、それは仕方がないだろう。
「はい片付きましたよ。なんか鳥の臭いがしていますけど、ここには頻繁に鳥が出入りしているのですかね? 鳩とか?」
「それはあんたには関係ないだろう!」
「もし、野生の鳩が巣を作っているのなら連絡くだされ。鳩を追い払いますんで」
「余計なことはしなくていい。さあ帰った帰った!」
そう言うとダウマンは自ら書類の山を室内へ運び始めた。
「手伝いましょうか?」
「貴重な書類だ。お前らは触るな!」
どうやら自分達はもう帰って良いということのようだ。
カトレアの方を見ると、こちらに親指を立てていた。
成果は上々のようだ。
「それでは引き上げますかね、カトレアさん」
「はい、お婆様」
「誰がお婆様ですか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます