死が二人をわかつとも〜悪役子息は義弟から逃げ出したい〜
豆啓太
第1話 学園の有名人
エルバル王国の王都にある王立学園は、貴族平民問わず通える教育機関だ。
そこでは魔術や剣術、領地経営や戦術など、多種多様にさまざまなことを学ぶことができる場所である。
王立学園を卒業後は、研究施設へ就職したり、王宮へ出仕したり、領地へと戻り爵位を継ぐ準備をしたりと進路はさまざまだ。
ひとつ言えることは、卒業生は皆、極めて稀有な才能の持ち主か優秀な人間である、ということだ。
そんな王立学園には、有名な人物がいる。
文武両道で、男女問わず好かれる明るく爽やかな性格に、金髪碧眼のまさに王子様と言わんばかりの容姿の持ち主のエドワード・ブラッドリー侯爵子息。
ではなく。
その兄の、フィル・ブラッドリーは、いろいろな意味で有名人だった。
世界的にもめずらしい精霊使いで、しかもその精霊が更にめずらしい闇の精霊であったり。病弱で学園の入学が遅れており、弟のエドワードよりも学年が下であったり。片足が不自由で、常に杖をついて歩いていたり。
ただし特筆すべき点はただ一つ。
「エド、エド。誰かにいじめられたりは、していないよな? ちゃんと食事はとったか? 具合は悪くないか? 怪我なんてしていないよな?」
弟のエドワードに対して、とてつもなく過保護なのだ。顔を合わせるたびに、フィルは弟の心配をしている。
そもそもエドワードは剣術も魔術も国内トップクラスの実力者で、誰もが認める人格者でもある。
いじめられたりなどするはずなど、普通に考えればない。だがフィルは、授業の休み時間になるとエドワードの顔を見に行き、その身を心配し、何事もなかったことに安心し、胸を撫で下ろしているのである。
そしてこれが、フィルの一方的な行動ならば、ここまで有名にはならなかっただろう。
というのも、弟のエドワードもまた、フィルのその行動を嬉々として受け入れているのである。
「兄さん、俺は大丈夫だから。それよりも今日は日差しが強いから、課外授業の時はちゃんと帽子を被って、水分をとってね。また倒れるかもしれない」
「俺は子供じゃないんだ。お前と違って、体調管理くらいできる」
「うんそうだね。兄さん、そろそろ行かないと、授業に遅れちゃうから、送っていくよ」
そう言って、足の不自由なフィルを軽々と横抱きにすると、エドワードは教室へ向かって歩いていくのだ。
エドワードは人格者で、誰にでも優しいと評判だが、唯一特別扱いをしているのが、兄のフィルだった。甲斐甲斐しく世話をしているのがエドワードなのに、デロデロに甘えたような表情を浮かべている。兄のフィルが登校した初日、エドワードのゆるんだ顔を見た女子生徒たちが、あまりの甘さに倒れたのは記憶に新しい。
そんなわけで睦まじい兄弟の姿を、学園の生徒たちはまたかと生暖かい視線を向けたのだった。
***
午後のうららかな日差しが降り注ぐ、誰もが眠くなるような時間帯。
フィルは一人、空き教室の一角に座っていた。授業をサボっている訳ではなく、学園から特別に許可をもらっての自習時間だ。
エドワードの兄、つまりブラッドリー家の長男であるのに後継になれない理由のひとつに、病弱な体というものがあった。とある理由で長期間の療養を余儀なくされており、数年遅れで学園へと入学したものの、いまだ体力は常人より低い。少し無理をすると体調を壊す可能性があるのだ。
というのは建前で。
実際のところ、フィルはこの自由時間を、エドワードの観察にあてていた。
確かに長期間の療養はしたものの、現在のフィルは健康体である。学園の授業を普通に受けたってなんの問題もない。だがエドワードが心配するものだから、素直にそれに従ったのだ。
それから、授業が退屈過ぎるというのもある。
自習のために渡された課題を短時間で終えると、窓の外へと視線を向けた。
演習場では、エドワードが練習試合用の刃を潰した剣を持っている。斬られ出血することはないが、打撃で骨は折れる危険がある。練習試合での怪我はある程度は仕方ないにせよ、それらはどちらも正々堂々と戦った時にのみ適応されるものだ。
悪意に満ちた、わざと怪我をさせた、というものは、見過ごすわけにはいかない。そしてそんな悪意にエドワードを晒させるものかと、フィルは思ったのだ。
『……主よ』
陽の光の方向を考えると、明らかに不自然に伸びた影が、その身を起こした。そしてフィルの側へと佇むと、再び言葉を発した。
『相変わらずだな、主よ』
「いまちょうど、エドワードが練習試合を始めるところなんだ。邪魔をしないでくれ」
『邪魔ではない、契約の履行だ、主。義弟殿の安寧秩序を脅かす存在を発見した』
「それを早く言ってくれ、シュテイン」
演習場を凝視していたフィルは、視線を影へと向けた。
シュテインはフィルが契約をしている闇の精霊である。普段は影に潜み、その姿を表さない。だがフィルが体の一部と引き換えに、エドワードの周囲に現れる不穏な連中を排除するのを、手伝ってくれるのだ。
いくらエドワードが学園の人気者で、ブラッドリー侯爵家の後継だったとしても、馬鹿なことを考える連中はいくらでもいるわけで。
『演習場の囲いの裏側に二人』
シュテインが指摘した通り。ちょうど練習試合を行なっているエドワードから死角になる場所に、二名ほど生徒がいるのがわかった。
「木の枝が邪魔をして、教室からも見えづらいな」
『明らかに意図的に身を隠している。それと、魔法を使う気配がする』
精霊は魔力を人間よりも敏感に感じ取れる性質を持っている。シュテインがそう言うのならば、間違いないのだろう。
「何をする気だ、あいつら。エドワードが怪我でもしたらどうするんだ。シュテイン、頼んだ」
『承知した』
シュテインはフィルの足元へと身を沈めた。
闇の精霊であるシュテインは、影の間を移動することができるのだ。 建物など物体的なものは障害にならない。ほんの一瞬で、フィルの大事な弟であるエドワードに何かをしようとしている、不届な連中の背後へとシュテインは移動した。
彼らはシュテインが後ろにいることも気付かず、話をしている。
「……おい、本当にやるのか?」
「ちょっと魔法で目眩しをするくらいだ。別に問題ないだろ」
「で、でも」
「あのエドワードの鼻をあかす絶好の機会だ。いいか、合図をしたら……」
『そこで止めておけ』
シュテインは大きく体を広げると、不届者たちを影で覆った。いきなり視界を奪われた彼らは悲鳴をあげたが、しかしそれすらも影の中、闇にのまれている。
なにせシュテインは闇の精霊を司る、いわば精霊王とも呼ばれる存在であった。そんなシュテインの闇に取り込まれたら、人間は抜け出すことなど不可能だ。
誰にも聞こえない悲鳴を味わいながら、シュテインは主であるフィルに問いかけた。
『主よ、食っても良いか?』
『脅かすだけにしてくれ』
即座に返事が返ってくる。契約しているフィルとは、遠く離れた場所でも意思の疎通が可能なのだ。
魔力のある人間は美味なのだが、主がダメだというのならば諦めるしかない。
何も見えず、何も聞こえず。黒く塗りつぶされたシュテインの闇の中では、人間は長く正気を保てない。狂気に冒された魔力持ちをゆっくりと食べたかったと思いながら、シュテインは不届者たちを影の外へと放り出した。
あまりの恐怖からか、地面へと倒れ込んだ人間たちは、声を上げるでもなく、ガタガタと体を震わせている。殺してもいないし、体の一部を食べてもいないのだから、問題はないだろう。
シュテインは主の言い付けをきちんと守った。我儘で色々と注文の多い主もこれで満足するだろう。
再び影の中へと潜ったシュテインは、フィルもとへと戻った。するとどうだろう。予想外の光景がそこには広がっていた。
「シュテイン、みろ! エドワードがまた勝ったぞ。ついに教師と戦うらしい」
ねぎらいの言葉もなく、フィルは窓辺にもたれ掛かり、義弟を熱心に見つめいる姿は変わらない。しかしながら先程とは違うことがある。
『主よ、これは?』
シュテインの問いにフィルは、振り返ることもなくさっきいきなり教室に来たと答えた。
「まあいつもの、エドワード大好き勢の差金だろう。俺が邪魔だから、侯爵家から出ていけとかなんとか」
フィルの足元には、明らかに外部から雇われたであろう連中が何人も転がっていた。
『主を守ることも契約の内だぞ。危険を感じたら呼んでくれ』
「別にこれくらい、危険でもなんでもない」
肩を竦ませて、フィルはなんてこともないように言った。実際そうなのだろう。闇の精霊たるシュテインは、人間の恐怖の感情を感じ取れる。もし少しでもフィルが恐怖を感じたのならば、すぐにわかるのだ。
フィルにとって、ただの人間に襲われることなど、恐ろしくもなんともないらしい。そしてそういった連中を相手に、一切の遅れをとることもない。
精霊使いであり、シュテインと契約していることばかり注目されるが、それ以外の実力も凄まじいものなのだ。魔力の操作に異様に長けているし、知識も広く深い。まるで何十年も、何百年も修行した魔法使いのようだ。
しかしフィルはまだ十七歳の青年でしかないのに。
「兄さん! 見ていてくれたんだ」
窓の外、演習場の方からエドワードが駆けてくる。フィルの姿を見つけて嬉しそうに声を弾ませて。
「ああ、エドワード。怪我とはかしていないか?」
「うん、大丈夫だよ」
和やかな兄弟の会話だというのに、シュテインはフィルの感情が大きく乱れた事に気付いた。
「今からそっちに行くね」
「ああ」
手を振るエドワードに返事をするフィルを見ながら、シュテインは難儀なものだなと呟き、影の中へと潜ったのだった。
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