10年後、私が辿り着いた終着点

@kurokuroaoi

プロローグ

神様は本当にいるのだろうか。

私は昔、そんなことを考えたことがある。

無論そんなことはわかるはずがない。

しかし、どうしても答えを求めたかった。

私は一応、神様は存在すると思っている。

私たちが何か大きな勝負に挑むとき、

神様お願いします!と願うことがある。

その願いは、叶うこともあればそうでないこともある。

私たちの身内や親友が危篤になったとき、

神様助けてください!と願うことがある。

その願いは、叶うこともあればそうでないこともある。

つまり、神様は私たちの願いを必ずしも叶えてくれる訳ではない。

そう解釈する人が大半だろうが、その解釈は誤りだと私は思う。

大前提として、神様は、私たちの願いを叶えようとはしていない。

物事には、あらかじめ始まりと終わりがありそれを事前に決めているのが神様だ。

神様は、私たちが行き着く終着点を俯瞰しているに過ぎない。

もし神様がいなければ私たちは今頃終着点を模索し混乱に陥っているからだ。私たち人間は愚かで、ある物事には終わりがなければならない。

と過去の私は結論付けた。

始まりには終わりがあり、終わりには始まりがある。その始まりと終わりはあらかじめ決まっていて、その流れに私たちは身を委ねる。それが、一般に言う運命というやつだ。

私たちが生きているとき、多くの選択が私たちを悩ませる。しかし選択というものは、運命の流れを変える訳ではなく、

終着点に辿り着くまでの無数の経路の中で、

最短距離をとるか、迂回路をとるかというだけのものなのだ。

ではなぜ、神様は私たちに終着点を変える余地を与えないのか。

考え得る理由は、単純だ。


終着点は、死だからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

10年後、私が辿り着いた終着点 @kurokuroaoi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る