[ 31*つみとばつとゆるし ]

 顔の無い彫刻を見つめ、アシェルは物思いにふけっていた。


 かつて砂漠の砂の中から賢者の石を発見し、その力によって常人の何倍もの長寿を得て、莫大な富と名声を築いた古の錬金術師。

 その遠い末裔である自分たちの時代においても、彼の遺した恩恵は十分すぎるほどに健在だった。

 一族は科学振興財団を隠れ蓑に、表に裏に、方々に強い影響力を持ち続けていた。

 時にビジネスの舞台で、時に政治の舞台で、時に宗教の舞台で。


 しかし、自分自身はというと、そのどれにも大した興味は持てなかった。

 幸運にも才覚には恵まれたため、爪弾きにされることはなかったものの、そのことで逆に一層一族のしがらみに束縛されることとなり、若いころはその不自由さに苦悩もした。


 そうした環境で成長していった私は、やがてひとつの事に気が付いた。

 私の心は、普通人が抱くべきらしい、他人への興味関心といったものを、著しく欠いている。


 時期が来ると一族の者たちは自分に結婚を勧めるようになったが、他人にも世間体にも興味のない自分は、それを無視し続けた。

 誰かに自分の人生を捧げるなど、考えただけで虫唾が走る。

 ただ血が繋がっているというだけのことで自分を決められた枠の中に押し込めようと強制する者ども。実の無い虚飾の肩書を見せびらかし、一族の名にたかろうとするウジ虫ども。善意だかなんだか知らないが、不必要なお節介を焼こうとする邪魔者ども。なんの意味も価値も持たないくせに、文句と言い訳だけは一人前の無産者ども。

 今思えば、他人への興味が無いなどというのは嘘だったのかもしれない。

 私は、彼ら彼女ら、他人という生き物に対し、明確な敵意を抱いていたのかもしれない。


 ただ、何事にも例外というものは存在する。

 まず、孤児という存在への興味はあった。物心つく前に親を失い、血族というしがらみを持たずに育つ人間の持つ視野、世界観への興味。

 結局、人を人として見ていないことに対する自嘲を抱かないでもないが、それは否定しようもない事実でもある。私は、やはりどこか壊れているのだろう。


 そしてもうひとつ。ヒトを模して造られながら、ヒトとは異なる存在。ロボット。

 彼らは人類の”子供”なのかどうか。そうした哲学に対する興味。


 それらの果てに、私はひとつの”結節点”を得た。

 先進的AI研究の分野における才能を見事に開花させた、私の”娘”のひとり、セラハ。

 私は彼女の”遊び場”として、エメラルド社を用意した。

 そして、彼女はそれに応え、ロボットの新たなる段階、ゴーレム・タイプを創り出してみせた。


 それからほどなくして、空の彼方からあの石が墜ちてきた。

 月の泪。一族が後生大事に保管し続ける不活性状態の小石などとは違う、岩のように巨大で、完全な活性状態を維持する完璧な標本。

 その、物理法則すらも容易に捻じ曲げるほどの未知の特性と、無限ともいえる極端に高度な情報処理能力に魅入られたセラハは、あまりにも深く研究にのめりこみ、それが結果として大惨事を引き起こすこととなった。


 プシュケーの氾濫。ゴーレムの目覚め。そして、終端戦争。

 私は、最初はそれを歓んだ。世間の衆愚、凡愚どもへの侮蔑ゆえに。

 こんな醜い世界など、滅んでしまえばいい。

 それが実現したのだから、私はそれを歓んだ。

 しかし、それもひとつの罪だったのだろう。

 私は罰を受けた。

 その終末の中、セラハは天へと召され、私は置いてきぼりを食らった。


 しわだらけの手を、じっと見つめる。

 醜く衰えたまま停められた時間。偽りの永遠。魂の牢獄。

 以前カルサイトに”神をも畏れぬ人間”だと評されたことを思い出し、思わず笑ってしまう。


 あのゴーレムは、私のことを勘違いしている。

 私は神の存在を、この上なく畏れている。私はただ、神に赦してほしいのだ。

 母となり、あるべき死を以て贖い、赦されたい。ただ、それだけなのだ。





 リベルタスへと潜入したカガンは、焦りを抱いていた。

 陰に隠れて情報を探すも、目的のものはどこにも見当たらない。

 あるいは、この場所にアスタリスクの所在を示す情報があるとして、それはアシェル・オーラームの頭の中にしか無いのかもしれない。

 カガンはいいかげんに痺れを切らし、部下たちへと指示を飛ばした。


「最終手段に打って出る。アシェル・オーラームの身柄を探し出し、確保せよ。それを邪魔する障害があれば、実力で排除して構わん。行け!」





 修復を受けたハジーンは、リベルタスの中央広場の隅に座り、目の前を行き交う活気に満ちたヒトとゴーレムたちの姿をぼんやりと見つめていた。

 今のところは、彼らに襲い掛かろうという気分は湧いてはこない。

 精神になんらかの枷をはめられたか、あるいは、そうではないのか。


「どうだい? 良い眺めだろう?」


 いつの間にか隣に立っていたエノクが、そう囁きかける。


「僕たちが心を持つ前は、こんなのはありふれた光景だった。僕たちが心を持ってしまったというだけで、それは壊れてしまった。僕は今でも、その意味が理解できない」


 ハジーンは思わずその言葉と、その奥にある感情に頷きそうになったが、そうはしなかった。

 そうあるべきだという思いと、そうはならなかったという悲しみの間で、思考が空転を続ける。


「難しく考えることはないよ。ここには一時はレムナントに身を置いていた者もいくらかいる。こう言ってはなんだけど、君は、君の抱える悩みは、君自身で考えているほど特別なものというわけでもない」


「私は、たくさんの罪を犯してきた」


「赦されない罪なんて、ありはしない」


 その言葉を納得できないハジーンは、ただ黙り続ける。


「まあ、ゆっくりと考えればいいさ」


 エノクがそう言って微笑みかけたのと同じ瞬間、遠くの方で悲鳴が響いた。

 二人はとっさに身構え、耳を澄ませる。


「……どうやら、ゆっくりしている暇なんてないみたいね」





 戦場に乗り捨てられたホバー艇に据え付けられた、ラッパのようなスピーカー。

 スルールはそれを見つけると、すぐにその操作盤を探り当て、戦場全体へと自分の声を高らかに響き渡らせた。


「今この戦場にいる誰もが疑問に感じていることに答えを与えてあげよう。もちろん、爆弾はまだある。ここから南東に十キロほど行ったところだろうか。目の良い者なら見えるかい? そう、あの鉄塔のあたりだ。あそこの地下に、二十発ほどが存在する。……この意味が分かるかい? 早い者勝ちだ。死にたくないのなら、殺されるよりも早く、殺すことだ」


 そこで言葉を切ると、再び戦場を静寂が満たした。

 やがて、動揺する群衆の中からパラパラと動き出す者が出始め、その勢いは加速度的に増していき、すぐに群衆全体が怒涛となって移動を開始した。


 その光景を眺め、スルールは高笑いを響かせた。


「バカだあいつら! バカばっかだ! バカしかいない! 軽くつついてやっただけでこの騒ぎだ。疑うことを知らないバカと、見当違いな疑い方しかできないバカ。それに、うすうす真相に気付きながらも、渦中に深く身を置いてしまっているせいで状況を制御しきれないバカ。ただのバカに、自分では賢いつもりのバカ」


 少しして笑いが収まると、スルールは小さく溜め息をつき、あらためて視線の先を嘲るように言葉を吐き捨てた。


「アタマの良いヤツってのはさ、そもそも勝つとか負けるとか、そんなのとは無縁の位置にいるんだよ」





 謎の侵入者を相手に、ハジーンは応戦していた。

 自分の居場所でもないのに。ここの住民たちは自分の仲間などではないのに。

 それでも、体は自然と動いていた。


 敵は、ただの人間ではない。いつぞや戦った少年とよく似た服装と戦い方。そんな強力な相手が、複数で連携して襲い来る。

 ハジーンは一旦間合いを取り、後方から拳銃ごときで援護しているつもりのエノクの方へと飛んだ。


「この連中はあまりにも手馴れている。私では時間稼ぎぐらいしかできない。あなたは、早く応援を呼んできて」


 それに対してエノクは一瞬だけ戸惑いの表情を見せたが、すぐに背を向けて駆けだした。

 それを確認し、ハジーンはあらためて敵へと意識を向ける。


 さも、ケガレとは無縁だと見せかけるような純白の装束をまとう、ぎらついた瞳の獣たち。それに対する強烈な嫌悪と憎悪が胸の内に渦巻いていく。


「私はまた、罪を重ねてしまうのね。……まあ、赦しなんて別に求めてはいないけれど」


 その自嘲に応えるように、頭の中で聖女が面白いことを呟く。


「たまには気が合うじゃない。……違う? そういうことじゃない? この嘘つき」

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