第35話 アイシスの(?)復讐


 カーベルが部屋に入ると、そこには誰もいなかった。

 しかし……よくよく部屋の中を見回してみると、衣装タンスの中から服の端がはみ出している。

 おまけに、衣装タンスはカタカタと小刻みに震えていた。中に誰か入っているようだ。


「皇帝陛下……」


 エドモンドが嘆かわしそうに表情を曇らせる。

 自国の皇帝のあまりにも情けない姿を目にして、底無しの失望に陥っているようだ。


「誰か、引っ張り出してくれ」


「承知いたしました」


 カーベルが護衛の兵士に命じる。

 兵士が衣装タンスを開けて、中に隠れていた皇帝ルーデリヒ・エイルーンを引きずり出す。


「うわああああああああああああああああっ!?」


「暴れるな! 大人しくしろ!」


「よ、予に触れるな! 予を誰だと思っているのだ無礼者め! 貴様の一族郎党を残らず処刑してやるぞ!?」


「……それくらいにしてください。皇帝陛下」


「エドモンド……!」


 ルーデリヒがエドモンドの顔を見て、表情を歪ませる。


「どうして侵略者と一緒にいる!? まさか、貴様も裏切ったのか!?」


「……私は裏切っておりません。国を治める人間として、最後の務めを果たしていただきたい。この地の新たな支配者となる方々に引継ぎを」


「引継ぎだと……ふざけるな! 我が国を……五百年の歴史あるエイルーン帝国を敵国に売りとばせというのか!?」


 兵士に両腕を押さえつけられながら、ルーデリヒが唾を撒き散らしてわめいた。


「そうか……全て、貴様の仕業だったんだな! 貴様が敵国と内通していたから、我が国がどんどん乱れていったのだ! そうだ、そうに違いない! 予は悪くない、全て貴様が悪かったのだ!」


「……醜いな。これが帝国の最後の皇帝の姿か」


「何だと!? 誰だ、貴様は!」


「セイレスト王国第三王子、カーベル・セイレスト。王国軍の指揮官だ」


 カーベルがおざなりに名乗ると、ルーデリヒがみるみる顔面を怒りに染めていく。


「貴様が侵略者の首魁か! この、殺してやる! よくも我が国を踏みにじってくれたな!」


「…………」


「この国は渡さんぞ! 予のものだ、この国は予のものだ! 予が皇帝だ、みんなみんな、従っていればいいのだ! 跪け、逆らうことなど許さんぞ!」


「見るに堪えないわね……」


「醜悪」


 後ろで様子を見ていたローナとレーナが汚物を見るような顔をしている。

 エベリアも声こそ発さなかったものの……表情は似たようなものだった。

 アイシスはルーデリヒのことを見てすらいない。テーブルの上に置かれている奇妙な形の置物を物珍しそうに眺めている。


「どうして、予がこんなことに……! 予は間違っていない、間違ったことなど何もしていないというのに……!」


 人間は追い詰められた時にこそ本性が出る。

 この自己弁護を繰り返す姿こそが、皇帝ルーデリヒ・エイルーンという男の本質である。

 愛する女と結ばれるために婚約者を裏切り、自分の両親すらも手をかけて。

 女が裏切っていたと知った途端、女も姦通していた側近達も殺して。

 国を乱す原因を作っておきながら、最後の最後まで責任を取ろうともしない。

 自らの悪い部分から目を逸らして己の殻に籠って自分を慰め続けている。

 おそらく……ルーデリヒは誰も愛していないのだろう。自分だけを愛している。

 真実の愛のために婚約者と両親を捨てていながら、恋人のことも愛してはいなかったのだろう。

 皇帝という地位に固執しながら、国のことも民のことも愛してはいない。

 ただ自分だけを愛して、誰からも愛されることはない。きっと……最後の瞬間まで。


「ねえねえ、まだ時間かかりそう? お腹が空いてきちゃったんだけど」


 喚いているルーデリヒを少しも気にかける様子もなく、アイシスが右手を上げた。


「もうお昼過ぎだよ。話が終わりだったら、早くご飯を食べようよ」


「アイシス……空気を読みなさい」


 エベリアが呆れ返って、無邪気な仲間を窘める。

 本気で空気が読めない。読めないというよりも、最初から読む気がないのかもしれないが。


「わかった、わかった……私達の仕事はないだろうし、先に失礼して昼食を……」


 エベリアがアイシスを連れ出そうとするが……ルーデリヒがアイシスに気がついて、幽霊でも見たように引きつった声を上げる。


「お前は……アリーシャだと!?」


「ん?」


「生きていたのか……予を、予を助けろ! お前の婚約者だぞ!?」


「えっと……このオジサン、何を言ってるのかな?」


 ルーデリヒがアイシスに詰め寄ろうとするが、兵士に腕を掴まれて近寄れない。


「お前はずっと、予を支えてくれていたではないか! 助けてくれ、予を救い出してくれ……アリーシャ! アリーシャ!」


「えっと……私はアリーシャじゃないけど? 私はアイシス。アリーシャはママの名前だよ?」


「ママ、だと……まさか、アリーシャの娘……!?」


 ルーデリヒが愕然とした顔をしたが……何かに気づいたのだろうか、クシャリと歓喜の表情になる。


「フハッ、ハハハハハッ! アハハハハハハハハッ! そうか、そうだったんだな! お前が『神撃の御手』を継承したんだな! あの時、アリーシャは我が子を孕んでいたのだな!」


「んー、何の話?」


「その力があれば、侵略者など容易に撃退できる! 他の神器も持っているのか? ああ、予の娘の代で我らは『創国の神器』を取り戻した! 二百年前の続き……大陸制覇を再開させるときがやってきた!」


「えっと……何を言っているのかわからないんだけど……オジサン、頭は大丈夫?」


 アイシスが困惑してパチクリと瞬きを繰り返す。

 そんなアイシスの様子に構うことなく、ルーデリヒは独りでヒートアップしている。


「アイシス……と言ったな。ああ、愛しき我が娘よ! 早く予を助けるのだ。愚かな侵略者どもを討ち滅ぼせ! 予がお前の父親だ。父を助けるのだ!」


「父って……お父さんってこと?」


 ここで初めて、アイシスは真顔になってルーデリヒのことをマジマジと見た。

 アイシスは母親と瓜二つの容姿をしている。ルーデリヒとは少しも似ておらず、髪や瞳の色も違う。


「そうだ、予がお前の父親だ! さあ、こっちに来るのだ!」


「フーン……」


 アイシスが招かれるがまま、テクテクとルーデリヒの方に歩いていく。


「アイシス……!」


「ちょ、行ったら……!」


『戦乙女の歌』の仲間達が制止の声をかけようとするが……わずかに、間に合わない。


「えいっ」


「ぶぎゃっ……」


 アイシスが右腕を振り抜いた。

 ルーデリヒの顔面に小さな拳がめり込んで、神経質そうな相貌を容赦なく破壊する。

 兵士の腕から勢いよく離れて、ルーデリヒが高そうなテーブルをバキボキと壊しながら床に転がり落ちた。


「ふぎゃ……あひゅ……」


 倒れたルーデリヒはどうにか息があった。

 鼻を潰されているせいでヒューヒューと奇妙な呼吸音を鳴らしているが、すぐに手当てをすれば助かるだろう。


「ごめんねー。ママに言われているんだ」


 アイシスは悪びれた様子もなく、ルーデリヒの血で汚れた拳をズボンで拭く。


「『もしも父親と名乗る男と出会うことがあったら、容赦なく殴り飛ばせ』……だから、思いきりぶったんだけどダメだったかな?」


「いや……問題ないよ。『それ』を地下牢にでも入れておいてくれ」


 カーベルが苦笑しながら、兵士に指示を出した。

 ルーデリヒは兵士にズリズリと引きずられて部屋の外に運ばれていった。


「あ、もう終わりだよね。それじゃあ、ご飯にいこっか」


「そうだな……材料くらい残っているだろうし、この城のダイニングで食事をすると良い」


「やったあ! 久しぶりに屋根のある場所でご飯が食べられるね!」


 カーベルの提案に、アイシスがピョンピョンとウサギのように飛び跳ねる。


「がっつかないの……まったく、緊張感がない……」


「それがアイシス。私達の仲間」


「まあ、こうなるんじゃないかと思ってたけどね」


 実の父親と再会したかもしれないのに、少しも動じる様子の無いアイシス。

 アイシスの様子に安堵したような顔をして、『戦乙女の歌』のメンバーがアイシスの傍に寄り添った。


「……アリーシャ、すまない」


 そんな彼女達の姿を見つめて、エドモンドが幸福だった日々を思い出して眩しそうに目を細めたのである。

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