第1話 悪役令嬢の娘
『イヤアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
「ふあっ!」
絹を裂くような絶叫を耳にして、その少女……アイシス・ハーミットはバネ仕掛けのような勢いで飛び起きた。
慌てて周囲を見回すとガタガタと断続的に揺れる馬車の中。
自分がいつの間にか眠っていたことに気がついて、アイシスはほっと胸を撫で下ろす。
「もう……変な夢を見ちゃったよう。ああ、ヨダレがこんなに……」
「お嬢ちゃん、大丈夫? 気分でも悪くなったのかい?」
同じく馬車に乗っていた初老の女性が心配そうに声をかけてきた。
「あ、大丈夫、大丈夫! ごめんなさい、心配かけちゃって!」
アイシスは服の袖でゴシゴシと口元をぬぐってヨダレを拭いて、声をかけてきた初老女性に笑いかけた。
「ちょっと変な夢を見ちゃっただけ。何でもないよ」
「そう? だったら、良かったんだけど……」
「うん、心配してくれてありがとね!」
太陽のような明るい笑顔を浮かべるアイシスに、初老女性もつられて穏やかな笑みになった。
彼女の名前はアイシス・ハーミット。
年齢は十五歳。白銀色の長い髪と翡翠色の瞳を併せ持った美貌の少女であり、細身で小柄な体格ながらも胸や尻などは年相応以上に発育している。
一見すると貴族令嬢のようにも見える気品ある顔立ちをしているのだが、その話しぶりや態度は天真爛漫。
微笑むだけで周りの人間も笑顔になるような、野山に咲いた大輪の花のような少女である。
アイシスはセイレスト王国の東方辺境の出身であったが、現在進行形で馬車に乗って王都に向かっていた。
王都行きの馬車にはアイシスを含めて十人ほどが乗っており、思い思いに移動時間を潰している。
「お嬢ちゃんは一人かね? どうして王都に行くんだい?」
「私? 私は王都に行って冒険者になるんだ」
「冒険者に……お嬢ちゃんが?」
「うん!」
ニコニコと笑いながら答えるアイシスに、初老女性が目を白黒とさせる。
言われてみれば、アイシスは丈夫で動きやすそうなレザーの服を身に付けており、ただの町娘の服装ではなかった。
「王都には強い冒険者がたくさんいるんだって。モンスター討伐の依頼もたくさん集まってくるってパパが言っていたの。だから、私は王都に行くんだ」
「そ、そうなの……怪我しないように気をつけてね」
「うん! おばあちゃんはどうして王都に行くの?」
「私かい? 私はね、娘夫婦に会うために行くんだよ」
初老女性が柔和に目を細めて懐かしそうな顔をする。
「これまで田舎の村で旦那と住んでいたんだけど、昨年の暮れにポックリと逝っちまったんだよ。それで一人きりになっちゃったんだけど、王都に住んでいる娘が一緒に暮らさないかって言ってくれてねえ。旦那と暮らしていた家を出るのは忍びなかったけど、足腰も悪くなってきたから世話になろうと思ってね」
「フーン……それじゃあ、家族と一緒に暮らせるんだ。素敵だね!」
「ええ、そうねえ。ところで……お嬢ちゃんの家族は何をしているんだい?」
「うーんとね……パパは騎士をしていて、ママは主婦で悪役令嬢をやってたの」
「は?」
女性が目を瞬かせた。騎士と主婦……それと何と言っただろうか?
「悪役令嬢って言っても、昔の話だけどね。今は違うよ?」
「そ、そうなのね?」
「うん。悪役令嬢に仕立て上げられてありもしない罪を被せられて、男の人達に代わる代わる乱暴されてから捨てられたんだって。私はママに乱暴した男の誰かの子供だって、毎晩のように枕元で話してくるの」
「…………」
話を聞いていた初老女性が思いきり顔を顰める。
会話を聞いていた他の乗客も唖然とした顔でアイシスの方を見ており、若い母親など自分の子供の耳を塞いでいる。
「毎晩、毎晩……子供の頃から同じ話ばっかり聞かされたせいで、最近は変な夢まで見るようになっちゃったんだ。それでウンザリしてきたから、家を出て王都に行くの」
「そ、そうなのね……なるほど、ふーん……」
女性は心が全く込められていない相槌を打つ。
天真爛漫を絵に描いたような少女と、母親の凄惨な過去が少しも繋がらなかったのである。
「よ、よくわからないけれど、大変な思いをしたんだねえ……」
「うん! でもね……ママはもうじき、私の弟か妹を産むの。『今度は愛されて産まれてくる子供を作るから大丈夫よ』って笑ってた。だから、家を出てくるときも喜んで送り出してくれたんだ!」
「…………」
「あれ? おばあちゃん、どうして泣いてるの? どこか痛いの?」
「ううん、大丈夫よ……」
女性はいよいよ耐えきれなくなって、涙腺を決壊させてしまった。
不思議そうに目をパチクリとするアイシスに、「私が泣いちゃダメよ!」と気丈に涙をぬぐう。
「そ、そんなことよりも、焼き菓子があるんだけど食べるかい?」
「いいの!? 私、焼き菓子って大好き!」
「好きなだけお食べ。全部食べてもいいからね……」
「わーい! やったあ!」
弾けるような笑顔で焼き菓子を頬張っているアイシスに、またしても女性は涙が流れそうになってしまう。
おかしな空気になりながらも、馬車は真っすぐ西へ向かっていく。
何度か休憩を取りながら街道を進んでいき、あと一時間ほどで王都に到着するという所までやってきた。
セイレスト王国は治安が良い国であったが、それでも盗賊や山賊がいないわけではない。
旅人や行商人、移動中の馬車が襲われる事件も時に起こるのだが……ここまで王都近くまで来れば、さすがに賊も襲ってはこないだろう。
馬車の中には安堵の空気が漂っており、乗客はじきに到着するであろう王都に心を弾ませた。
「キャッ!」
「うわあっ!?」
しかし、突如として馬車が大きく揺れる。
馬車を操作していた御者が勢いよく馬に鞭を振り、限界までスピードを上げた。
「急げ! モンスターだ!」
必死でムチを振りながら御者が叫ぶ。
その声に乗客が馬車の外に視線をやると、後方から大きなトカゲが近づいてきていた。
「アレは……フレイムリザードだ!」
乗客の一人が叫ぶ。
馬車の後方にいるのは虎ほどの大きさのトカゲである。
真っ赤に赤熱した鱗を全身に纏っており、口からゴウゴウと火を吹きながら一心不乱に馬車を追いかけてきていた。
「キャアアアアアアアッ! モンスターよ!」
「どうして、あんな怪物が街道に出るんだ!」
「有り得ねえだろ! 冒険者は何をやってんだ!?」
馬車が悲鳴と怒号に包まれる。
そのモンスターはある冒険者が退治を依頼されて、巣穴から外に釣り出したものだった。
巣穴から出してそのまま討伐するつもりだったのだが……うっかり逃がしてしまい、街道まで出てきてしまったのである。
「シャアアアアアアアアアアアアアッ!」
フレイムリザードと馬車との距離が徐々に縮まっていく。
長旅のせいで馬が疲労していたこともあって、十分な速度を出せなかったのだ。
「こ、このままだと追いつかれちまう!」
「何か……何か、アイツの注意を引くものはないのか!?」
馬車の中にも絶望的な空気が広がっていく。
このままでは、馬車ごとモンスターの餌食になってしまうだろう。
フレイムリザードの意識を逸らす物……たとえば、飢えた怪物を引き付ける生贄が必要である。
「そ、そうだ……誰かが犠牲になれば……!」
「一人がアイツのエサになれば、他の全員が助かるんじゃ……!」
混乱している馬車の乗客達……その視線が一人に集まった。乗客の中でも一番の年配である人物に。
「ば、婆さん! 頼むよ!」
「アンタが犠牲になればみんなが助かるんだ!」
「お願い、子供がいるのよ! お願いだから……!」
「え、ええっ……私に飛び降りろって言うのかい!」
生贄になるように詰め寄られて、アイシスと話をしていた初老女性が慌てて声を上げる。
その女性が乗客の中ではもっとも年嵩であり、必然的に犠牲者として選ばれてしまったのだ。
しばし迷っていた初老女性であったが、泣いている子供、焦った様子で詰め寄ってくる乗客の姿にやがて意を決した様子で頷く。
「わ、わかったよ……私は旦那も死んでいて先も長くないだろうし、ここは……」
「えい」
「あの化物に……って、ええええええええええっ!?」
初老女性が生贄になるのを決意するのと同時に、アイシスがひょいと馬車から飛び降りた。
猛スピードで走っている馬車から地面に下りながら、軽くステップを踏んだだけで転倒することなく踏みとどまる。
「お、お嬢ちゃん!?」
「大丈夫、大丈夫。私は冒険者になるって言ったでしょ?」
アイシスが顔だけで振り返り、ヒラヒラと軽く手を振った。
「モンスター退治は冒険者の仕事だよ。ここは任せて!」
「シャアアアアアアアアアアアアアッ!」
目の前に獲物が下りてきたのを見て、フレイムリザードが興奮した様子で口から唾液を垂らす。
大きな口を限界まで開いてアイシスに喰らいつこうとした。
「えいっ」
しかし、アイシスが軽い掛け声と共に拳を振るう。
その拳が白い光に包まれ、彗星のような尾を引きながらフレイムリザードの頭部に炸裂する。
大口を開いていたフレイムリザードの上顎から頭部にかけてが粉々に砕け散った。脳と頭蓋骨、血と肉の破片をぶちまけて、あっけないほど簡単に地面に倒れる。
「グギャア……」
頭部を失ったフレイムリザードは太い尾で何度か地面を叩くが、やがて力無く鳴いて絶命した。
「フウ、冒険者としての初仕事……にはならないかな? まだ登録してないし」
アイシスが振り返り、馬車に向かって大きく手を振った。
「おーい、みんなー! 終わったよー!」
満面の笑顔でもう大丈夫だと告げるアイシスであったが……馬車は止まらない。
「…………へ?」
馬車は少しもスピードを落とすことなく走り去っていく。
街道にはアイシスとフレイムリザードの死骸だけが残されて、乾いた風が虚しく吹き抜けていく。
「え? へ? アレ……私、置いてけぼり? ここから歩いていくの? コレを持って?」
馬車が走り去った方角と転がっているモンスターの骸を交互に見やり、アイシスは途方に暮れたように立ちすくんだのであった。
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