2 宝石喰いの竜(中)


 午後。俺とグレシアは探索用の道具を購入し、食堂で食事を終えてから、手配していた馬車に乗って『戒めの洞窟』へ向かうことになった。


「水や食料で二百ダリル。薬や毒消しが一万ダリル。往復分の馬車二人分で千ダリル。君に支払う分で四万ダリル」

「帳簿くらい後でつければいいじゃないですか」

「つけ忘れたくないからね」


 激しく揺れる馬車の中で、グレシアは文字が乱れないよう慎重な手つきで羽ペンを動かし、小型の巻物に収支を書き込んでいた。

少しして記帳を終えたらしく、ペン先を荷台のささくれにねじ込まれたインク壺に突っ込むと、小首をかしげた。


「私の儲けは差し引き四万九千八百ダリル。うーん……どうも渋いね。次はもっとボロボロな馬車を借りてみようかな」

「勘弁してくださいよ。この馬車も十分揺れがひどいってのに」


 彼女は良家のお嬢さんと言っても通りそうなほど美しい顔立ちをしてはいるが、金銭感覚はわりと庶民的らしい。一緒に昼食をとったときも、デザートの砂糖菓子を加えるかどうかで延々と悩んでいた。


「だいたいどかっと金が入ってくる仕事してるんですから、そんなに金勘定ばかりしなくてもいいと思いますがね。実際、今の時点で何十万、いや何百万ダリルも持ってるんじゃないんですか」


 俺がそう言うと、彼女は首を振った。


「いいや? むしろ全然足りないくらいだよ。今月も家計が苦しくて苦しくて」

「稼いだ金、何に使ってるんですか」

「……内緒」


 そう言ってグレシアはいたずらっ子のように笑った。


「そうだ。じゃあ私が君が来た目的を当てたみたいに、私のお金の使い道を当てられたら教えてあげるよ」

「賭け事で借金?」

「私が賭博狂いに見えるかい」

「じゃあ、気持ちよくなる葉っぱを買うとか」

「……なんでそっち方面ばっかりで攻めてくるのかな」


 俺の質問で少し気分を害したようで、彼女は頬を膨らませた。


「冗談ですよ。……そういう繋がりもありそうじゃないですか。死体回収人は身元不明の死体を医者に売ってるなんて噂もありますし」

「あ、それは本当だよ」

「え?」

「事務所の死体置き場にも収容の限界があるからね。引き取りの目途がつかなくなったのは売ってるよ。何に使うのかは知らないけど、医学の発展には役立ってるんじゃないかな」

「ええ……」


 死体売買とはなかなかの罰当たりだ。俺は教会の神父でないが、あまり褒められたことではないと分かる。


「埋葬してやらないんですか」

「私だってちゃんと埋めてあげたいよ。だけどいちいちそんなことしてたら、埋葬費用がかさんで私が飢え死にするハメになる。まあ、死体さんを街に戻してあげる代わりに私はお金を貰ってるってことで、お互いのためにはなってるだろ」

「詭弁ですね」

「詭弁だよ。でもそう思った方が気が楽なんだ」


 グレシアは肩をすくめた。彼女自身、死体を売り渡すことには罪悪感を覚えているらしい。


 さっきの言葉が自分を納得させるための理屈なのだとしたら、今の指摘は少し意地が悪かったかもしれない。考えなしに混ぜっ返したことを少し反省していると、グレ

シアは馬車から顔を出し「おお」と歓声をあげた。


「もうすぐ着くよ。あれが『戒めの洞窟』だ」


 俺が頭を出すと、馬車の走っている一本道の向こうに巨大な山がそびえているのが見えた。そして、そのふもとに広がる木々の暗がりの中に、小さな洞があった。


「意外と入口は小さいんですね」

「最近まで見つからなかったのはそのせいかもね」


 馬車から降り、俺たちは洞窟の入り口の前に立った。洞の中からは湿った生温かい空気が漏れ出ていた。


「さっそく入りましょう」

「少し待ってくれ。暗視術をかけてあげるから」


 グレシアの右手に暖かい光が灯った。暗視術は、洞窟や夜間の戦闘でも昼間と同じように見えるよう、視覚的な支援を行う魔法である。


「目をつむって」


 俺が両目を閉じると、まぶたにひんやりとした手の感触を感じた。こうして直接触って暗視効果を付与するらしい。少しすると術をかけ終わったらしく、彼女は手を離した。


「終わったよ」

「ありがとうござ……うわああ!」


 俺が目を開けた瞬間、真っすぐ太陽を見てしまったときのような眩しさに目がくらんだ。慌てて目を閉じると、グレシアは呆れたようにつぶやいた。


「術者の私と違って、君は自力で暗視の調節ができないんだ。術をかけてもらった後は目をつむってそのまま洞窟の中に行かなきゃ駄目だよ」

「なら術をかける前に言ってくださいよ!」


 まだ少しチカチカする目を押さえながら、俺は洞窟に駆けこんだ。そしてあたりが眩しくなくなったのを感じると、そっと目を開いた。


「……ここが、戒めの洞窟か」


 洞窟の内部は入り口よりもかなり広く、三人が横に並んで歩けるくらいの幅があった。ごつごつとした岩壁の表面はかすかに湿っており、どこからか水滴の落ちる音が反響してくる。


「ん、なんだこれ?」


 そのとき、俺は壁のところどころに小さい紫色の石が埋まっているのを見つけた。物珍しさにまじまじと石を見ていると、自分に暗視魔法をかけたグレシアがやって来た。


「それは魔晶石っていうんだ。マリエールたちが取りに来た宝石だよ」

「こんなに小さいものだったんですね」

「いや、お金になるのはもっと大きいやつだよ。これはまだ成長の途中だ」

「成長? 宝石がですか」

「ああ。この洞窟の壁から微弱な魔力が漏れ出てて、それが少しずつ集まって宝石の形になっていくんだ。下に行けば行くほど地下に流れてる魔力に近いから、大きくて引き出せる魔力の多い魔晶石が増えていく」

「……なかなか、いやらしい構造ですね」


 一攫千金を狙って潜るなら、下へ下へと降りて行かなくてはならないわけだ。この洞窟に生息するドワーフリザードは宝石を所持していない状態であれば襲ってこないので、降りるのはとても簡単だ。


 だが、深部で魔晶石を取って持ち帰る段になって、この洞窟は牙を剥きはじめる。今まで楽に降りてきた道が上り坂となっているため体力を削られ、さらに襲って来るドワーフリザードを切り払い振り払いしながら戻らなくてはならないのだ。


「宝石を捨てたら安全に戻れるんだけど、苦労して取った宝石をそうそう手放せないというのが人情だろうね」

「その人情のせいでザインさんは死んだと」

「そう。この洞窟は欲をかいた人だけが死ぬつくりになってるんだ」

「……戒めの洞窟とはよく言ったもんですね。ちなみに、グレシアさんは死体回収のついでに宝石を取っていかないんですか」


 洞窟に入る前に言っていたことが本当なら、彼女はとにかくお金が欲しいはず。もし取って行くと答えてくれたら俺もおこぼれにあずかろうかと思っていたのだが、グレシアは困ったように眉を寄せた。


「それはもういっぱい取りたいんだけど……難しいかな」

「金等級なんですから、ドワーフリザードの一匹や二匹倒せるんでしょう」

「いいや、さっき暗視をかけたから分かるかもしれないけど、私は付与術師でね。直接相手を倒す魔法は使えないんだ」

「じゃあ宝石を拾うってなったら、俺が戦わなくちゃいけないってことですか」


 魔術は攻撃術、癒術、付与術の三分野に分かれており、魔術師は基本的にそのどれか一つの分野の魔法しか扱えない。付与術師は浮遊や防御結界など人や場に作用する魔法を得意とするタイプの魔術師なので、自分が戦うことは想定していないのだろう。


「そういうことだね。宝石を取るための装備も揃えてないし、ドワーフリザードから逃げきれたとしても……」


 グレシアが言いかけたそのとき、洞窟の向こうに数人の人影が見えた。

迷宮という無法地帯では相手が人でも油断してはならない。念のために俺が剣を抜くと、向こうもそれに気づいたようで、素早く剣を構えた。


「誰だ!」


 先頭の一人が鋭く誰何してきた。こういうときはどう名乗ればいいのだろう。こちらは怪しい者じゃない、と言えばいいのだろうか。いや自分から主張するのは逆に怪しいか。


 俺が考えていると、グレシアが前に進み出た。


「私たちは死体回収人だ。この洞窟の奥に放置された死体を回収しに来ている。通してくれ」


 すると、相手のパーティは「回収人か」「驚かせやがって」と、各々安堵の息を吐きながら武器を下ろした。


 俺も敵意がないことを示すために武器を下ろし、近づいた。パーティの正体はフードで顔を隠した三人組の戦士だった。男たちの持っている剣は三日月のような形に湾曲しており、かなり目を引いた。


「悪いな。俺たちが採った宝石を狙ってやがるのかと思ってビビったんだ」


 そのとき、リーダーらしき鎖帷子を着た男が俺の前に進み出てきた。フードで顔は見えないが、口元にはうさんくさい笑みが浮かんでいる。


「まあ用心ですから、お互い様ですよ」

「へへへ……んじゃ、水に流すってことで。俺たちも回収人と揉めたくねえ」

 男はちらりとグレシアを見て言った。回収人の機嫌を損ねてしまうと、迷宮で死亡した場合に救出の依頼を拒否される可能性がある。そういった意味で冒険者の命を握っているので、彼らとしても穏便に済ませたいのだろう。


 そう考えていると、グレシアはリーダーの男に質問した。


「水に流す代わりに訊いておきたいのですが、死体を見ましたか」

「死体?」

「ザインという戦士です。黒髪で丸顔、髭の生えた一重の男なんですけど」

「見てねえな、お前、覚えてるか」


 男が後ろにいる仲間に訊くと、その一人が答えた。


「ひょっとして、三人で下に潜っていったあいつらか」

「途中で遭ったのですか」

「ああ。入ってくるときと、地下から戻ってくるときの二回な。戻って来たときは二人だったが……やっぱあのクソトカゲにやられてたのか」

「ちなみに、行きのときにマリエー……いえ、その方々はあなたたちを見てどんな反応をしていましたか。警戒してはいませんでしたか」


 グレシアの質問を聞くと、男はなぜか笑いを引っ込めた。


「質問の意図が分からないな」

「……あなたたちの正体をむやみに暴いたり、敵対したいわけではないとだけ言っておきましょう。仕事上必要だから聞いているだけで、荒事を避けたいのは私も同じですから」


 この話し合いの意味は俺にはよくわからなかったが、彼女の言わんとするところはリーダーの男に伝わったようだった。男は舌打ちをすると、ため息をつきながら答えた。


「俺たちを警戒してたよ。女の癒術師なんかは持ってる袋を押さえてたし」

「そうですか。情報提供ありがとうございます」


 グレシアは礼を言うと、そのまますたすたと歩きだした。

俺は慌てて彼女について行き、男たちの姿が見えなくなったころに話しかけた。


「今のやり取り、何だったんですか」

「いや、マリエールたちは彼らの正体を見抜いてたのかなって思って質問したんだ」

「正体って?」

「さっき会った彼ら、強盗だよ」

「はい?」


 あまりにもあっけらかんと答えるので、俺は思わず訊き返してしまった。


「装備を見たらわかる。全員が鎌みたいに曲がった剣を持ってただろ。あれは敵の構えてる盾を避けて切っ先を相手に当てられるようにしてるんだ」


 俺はあの曲剣での攻撃を受ける状況を想像してみた。確かに普通の間合いで打ち合いをするとなると、相手の曲剣を受け止めても、その切っ先はこちらのガードをすり抜け身体に刺さる。自分の身体から離したところで受けるとしても、不慣れな戦闘を強いられることになるだろう。


「要するに、あの曲剣は対人を想定した武器なんだ。ドワーフリザ―ド相手だったら、盾を避けて相手を斬るための武器なんか要らないからね」


 そして、とグレシアは付け加えた。


「彼らと会った場所も気になる。さっき会ったところは洞窟のかなり浅い階層。まともに宝石を取りに来ている人間は長居しない場所だ。なんでそんなところにいると思う?」


「まさか洞窟に遊びに来てるってことはないでしょうし……ああ、待ち伏せしてるわけですか」


「正解。マリエールたちと行き帰りのちょうど二回会ったっていうのも偶然じゃなくて、浅い階層に留まって宝石を取りに来た冒険者を把握しようとしてたんだろうね」

俺は、さきほど彼女が口にした「ドワーフリザードから逃げきれたとしても」という言葉を思い出した。あの続きには「盗賊に襲われる」という言葉が入るのだろう。


「手段を選ばず儲けるって言うのなら一番堅実な方法ではあるよね。ドワーフリザードに追われて疲れ切ったパーティと、対人戦の準備をして浅い階層で虎視眈々と機会を狙っているパーティ。どっちが有利なのかは自明だ」


 冒険者たちが一生懸命集めて来た宝石を根こそぎ奪い取る盗賊の姿を思い浮かべ、俺は憤りを覚えた。


「じゃあさっきの奴ら、どうして見逃したんですか。犯罪者でしょう」

「私も好きで見逃したわけじゃないよ。あの時点で争いになったら仕事に差し障るし、そもそも強盗をしたという確実な証拠はないんだ。一応私……というか金等級冒険者を襲って殺そうとしたのなら死刑くらいの罪にはなるけど、それはあちらも分かってるから手を出してはこなかった。つまり何のやりようもなかったんだ」

「それはそうですが……」

「一応、帰ったらギルド本部に連絡しとくよ。フードで顔が見えなかったから捕まるかどうかはわからないけれど」


 俺としてはさっきの三人を追いかけていってぶちのめし、衛兵に突き出したいと思わないでもなかったが、契約している以上は彼女の護衛を優先しなくてはならない。逸る気持ちをぐっと抑えた。


 それからしばらく歩き、俺たちは洞窟を下へ下へと降りて行った。


 入口周辺はほぼ一本道だったが、降りれば降りるほど洞窟はアリの巣のように曲がりくねり、迷路の様相を呈してくる。ときおり見つかる紫色の魔晶石も、地上の入り口で見つけた物の三倍もの大きさになっていた。思っていたよりも下層に来ているらしい。


 そういえば地図もなしにずんずん進んでいるが、ちゃんと帰れるのだろうか。不安になった俺は、隣を歩くグレシアに訊いた。


「帰り道は分かるんですか」

「今まで二十六回分岐してるのは覚えているから大丈夫。ま、何かの拍子で私の記憶が吹っ飛んだとしても、右手をずっと壁につけて歩けばいい。そのうち地上に出られるよ」

「そんな適当な。頼むから忘れないでくださいよ」

「もう、アウグスト君は本当に心配性だな。私はこれでも、数え切れないほど迷宮に潜ってるプロなんだ。迷宮探索に関しては信頼してくれていいよ」


 確かにギルドから実力を認められて金等級認定を受けているのだから、彼女の能力を疑っても仕方がないだろう。俺はうなずき、それ以上の追及はやめた。


(数え切れないほど迷宮に潜ってる、か)


 しかしそこだけが少し引っかかった。現時点での年齢は俺と変わらないはずなのに、どうしてそれだけの経験を積むことができたのだろう。

 法やギルドのルールで決められているわけではないが、基本的に迷宮に挑むことができるようになるのは十四歳からである。理由は単純で、それ以下だと身体や魔力が未成熟で、探索・調査で使い物にならないからだ。


 今の彼女の実年齢は十五、六ほどだろうが、さすがにたった数年で金等級となれるとは思えない。もっと幼い頃からこういった稼業を続けていたのではないか。


「グレシアさんは、いつからこういうことをしてるんですか」


 俺の問いに、彼女は片眉をあげた。


「……その質問は、今回の仕事に関係あるものかい」

「個人的な興味からなんで、あんまりないですね。でも答えてくれたら、グレシアさんをもっと信頼できるかもしれません」


 そう言うとグレシアは目を丸くし、吹き出した。


「君、ちょっと面白いね」


 ころころと鈴を転がすように笑うグレシアは死体回収人としての合理的で冷徹な顔ではなく、歳相応の柔らかな笑顔を浮かべていた。

別に面白いことを言ったつもりはなかったので俺が困惑していると、彼女は笑いを引っ込めぽつりと言葉を漏らした。


「生まれたときからだよ」


 思わずまじまじとグレシアの顔を見る。だがその表情からは今の言葉が冗談なのか、それとも真実なのかということは読み取れなかった。何か深いわけがあるのだろうか。


「それは……どういう」


 俺がさらに質問を重ねようとするとグレシアは人差し指を俺の唇に当てて黙らせた。そしてすっと前方を指す。


「質問は後。前を見て」


 彼女の指示に促されて顔を上げると、ごつごつとした岩の道の向こうで、一対の緑色に輝く光が浮かんでいるのが見えた。目を凝らしてみると、それは壁に埋まっている宝石ではなく、爛々と輝く爬虫類の目だということが分かった。

 その体躯は屈強な男二人分ほどの大きさで、魔晶石と同じ紫色の滑らかな鱗が全身をびっしりと埋めている。ずらりと並んだ剣山のような歯の隙間からはちろちろと青黒い舌が見え隠れしており、怪物の不気味な印象を強めていた。


「ドワーフリザード……」


 俺のつぶやきに反応したのか、宝石喰いの竜は一歩前に進み出てきた。前足に生えているツルハシのような太い爪で洞窟の床を削りながら、ゆっくりとこちらに向かってくる。


「戦いますか」

「いいや、剣をしまって通路の端で縮こまっていよう。下手に刺激する方が危ない」


 こんな怪物の前で武器を納めるということに抵抗はあったが、事前に教えられたドワーフリザードの習性的にも、そちらの方が安全なのだろう。彼女の指示に従った。

 通路の端に寄って道を空けた俺たちを一瞥すると、竜はのそのそと歩みを進め、吐息がかかるほどの位置にまで近づいてきた。


「頼むから、いきなり噛みついてくるなよ」

「大丈夫、ドワーフリザードの食性は完全に鉱物に寄ってる。人肉は食べない」

「その情報、確かですか」

「来る前に読んだ本に書いてあった。私たちはこの子のおやつには向いてないはずだ」

「なるほど、もしおやつに向いてて俺が食い殺された場合、グレシアさんとその著者のとこに化けて出ればいいわけですね」

「……よしてくれ。私は金欠と幽霊が大の苦手なんだ」


 軽口をたたいて恐怖を紛らわせているうちに、ドワーフリザードは通路の端に寄っている俺たちの真横を通り過ぎた。そして壁に埋まっている魔晶石を見つけると、壁に前脚をついてがりがりと削り始めた。


「本当に人間には無関心なんですね」


 宝石を掘り出すのに夢中になっているドワーフリザードを眺めながらつぶやくと、グレシアはさも当然というように言った。


「言っただろ、ここは宝石を持ってなかったら一番安全な迷宮だって」


 竜は壁から宝石を掘り出すと、それをくわえて丸のみにした。さらに岩を削り取って飲み込むとそれで満足したようで、またのそのそと俺たちが来た方へと向かっていった。


「せっかく牙があるのに噛み砕かないんですね」

「一緒に石を飲んでただろ。腹の中であれを使って砕くんだ」

「とすると、あの歯は……俺ら用ってことですか」

「宝石を取りに来たわけじゃないんだから、そんなに怖がらなくていいと思うけどね」


 深部の方に大量の餌があるためだろう、それから俺たちは何度もドワーフリザードと遭遇した。とはいえグレシアの言う通り、襲ってくる気配のあるものは一匹もいなかったので、竜に遭遇するたびに道を譲って進むのにもすぐ慣れた。


 そんな調子で穏やかに洞窟の探索を続けていると、広い通路に出た。そしてその通路の真ん中に、うつぶせで倒れている男を発見した。鎧を着ており、剣や盾を所持していることからも戦士らしいということは分かった。


「生きてますか」


 俺は一応声をかけてから近づき、足でひっくり返した。すると受け身をとることもなく男は転がり、仰向けになって手足を地面に投げ出した。


「死んでますね」


 男の眼は宙を見つめており、瞬きすらしない。首には致命傷とわかる三筋の裂傷が深々と刻まれており、グレシアの所見がなくとも彼が死亡しているのは明らかだった。


 グレシアは男の顔や装備をつぶさに見てうなずいた。


「うん、間違いない。彼がザインだ。マリエールの話していた特徴と一致する」


 それを聞いて、俺はほっと安堵の息をついた。つまり後はこの死体をもって地上に戻るだけで依頼が完了する。上りになるので体力は使うが、終わったも同然だ。

 報酬の四万ダリルをもらう瞬間を思い描き、少しいい気分になっている俺の傍で、グレシアは死体の検分を続けていた。


「何してるんですか? 早く帰りましょうよ」

「……ちょっと気になることがあってね」

「気になることって?」

「死体が焼けてない」


 グレシアは死体に浮遊魔法をかけて浮かせると、くるくると回して全身を観察した。確かに肌は綺麗で、受傷した首以外はまったく傷ついていない。

腹の部分の布地が切れて血に染まっているのが目についたが、腹に傷はなかったので、おそらくドワーフリザードの攻撃がかすって布地が裂けた後、首に致命傷を負って流れた血が溜まったのだろう。


「竜と戦ったのなら、少しくらい焦げてたりしてもいいはずなんだけど」


 そういえば、ヘルクもドワーフリザードが炎を吐くというようなことを言っていた。しかし、竜の方も戦うときに必ずブレスを吐かなくてはならないというわけではないだろう。


「最初に首を一発やられて死んだから必要なかったんじゃないですか。傷跡もヘルクが負ってたものによく似てますし」

「傷跡は確かに似てるんだけど、深さが違うんだ。……真ん中だけ深くて他は浅いのがどうもね」


 彼女はまだ何か引っかかるものがあるようだったが、早く帰りたかったので俺は急かした。


「考えるのは地上に戻ってからでもできますよ。早く帰りましょう」

「それもそうか。じゃあロープを括りつけてっと」


 グレシアは慣れた手際で空中浮遊している戦士ザインの死体の足にロープを括り付けると、振り向いた。


「このまま引っ張っていくから、前を歩いて私を守ってくれ」

「はい」


 まあ宝石を運んでいるわけではないのでドワーフリザードや盗賊と戦闘になる心配はないだろう。そう思ったちょうどそのとき、俺たちの来た方から例の竜が現れた。 

 しかしこれまで何度も遭遇し、そのたびに何事もなかったので俺はだいぶ気が緩んでいた。


「あーあ、またですか。端に寄ってやり過ごしましょう」

「……待って。何か様子がおかしい」


 あらためてドワーフリザードに目を向け、俺も異常に気がついた。ヤツは緩慢に歩みを進めるのではなく、盗みを見咎めた衛兵のように、足を止めて俺たちの方を凝視していたのだ。


「まさか、襲ってくる気じゃ──」


 言葉が終わる前に、怪物の緑色の目がぎらりと光った。直後に甲高い雄叫びが洞窟内に響き渡り、俺とグレシアは耳を押さえた。

 どうみても敵意がある。今までは無関心だったのに、なぜ今になって俺たちを襲おうと思ったのだろう。戸惑っていると、後ろからぽんと肩を叩かれた。


「アウグスト君、頼んだ」


 グレシアは、いつになく真剣なまなざしでドワーフリザードを見つめている。俺はすぐさま抜剣した。


「でしたら、俺が倒すしかないですね」

「そうだよ。援護するから頑張って」

「了解です……うおっ!」


 俺がそう言ったときにはすでに、ドラゴンは猛烈な勢いで突進してきていた。回避すれば後ろのグレシアが危ない。俺が慌てて剣で防御しようとしたそのとき、目の前に半透明のガラスのような壁が現れ、怪物はそれに激突した。

 ごかっ、と鈍い音が響き、ドワーフリザードは後ずさりする。しかしそれでもなお戦意は衰えないようで、壁の向こうからこちらをねめつけていた。


「作戦会議の時間もくれないんだね」

「この壁は何ですか?」

「私の結界。一定の物理的・属性的な攻撃を遮断できるから安心して」


 どうやら彼女が魔法を使って防御してくれたらしい。


「助かりました。さすがにあれを食らってたら吹っ飛んでました」

「お礼はいい。さっきも言ったけど、私は防御はできても攻撃用の魔法は使えない。君が竜を殺すんだ」


 俺は目の前に立ちはだかるドワーフリザードを見て、ごくりとつばを飲み込む。そうだ。俺がこの竜を倒さなければ、活路は開けないのだ。


 結界が解けた瞬間、俺は裂帛の気合をあげ、緑眼の怪物に斬りかかった。柔らかそうな額めがけて、力いっぱい剣を叩きつける。


 仕留めた──そう思ったが、命中の刹那に竜が首をかしげたせいで狙いがそれた。

がががっ、と刃が鱗の上を滑り、嫌な音を立てる。


 俺が舌打ちをして次撃を叩きこもうとした瞬間、ドワーフリザードは怒り狂って、前脚を振り回してきた。


 予想外の攻撃を慌ててバックステップで回避すると、先ほどまで俺の腹があった空間を重量感のある竜の前脚が薙いだ。


(……前脚にも要注意だな)


 ずらりと並んでいる牙は恐ろしいが、鋭い爪が生えているあの前脚の攻撃もまともに食らえば動けなくなるのは間違いない。救いはドワーフリザードの体高が低いため、胸や首に受傷する心配がないことくらいか。


 そんなことを考えながら再び剣を構える。すると竜は動きを止め、喉をものすごい勢いで膨らませた。


「なんだ?」


 ぱんぱんに膨張した竜の喉を見て、猛烈に嫌な予感がした。後ずさったその瞬間、ドワーフリザードの牙の隙間から、眩い炎の舌が見え隠れするのが見えた。


(火焔だ!)


 それに気づき、俺は飛び退る──のではなく目を閉じた。


「炎を防いだら、合図をください」


 そう言えば、グレシアには分かるはずだ。俺はまぶたを透かして光と熱が自分の目の前で広がっていくのを感じながら、彼女からの合図を待った。


「もういいよ」


 グレシアに言われて目を開けると、そこには彼女の張った結界が残っていた。火焔の吐息はその表面を伝って左右に分かれたらしく、洞窟の壁で未練たらしく燃えている。


 目の前には、火焔を吐き切って大口を開けたままのドワーフリザードの姿があった。


「……ここだっ!」


 俺は剣を引き絞り、ドワーフリザードの口の中へ向けて突きを放った。鱗で鎧われていない口内は柔らかく、刃はやすやすと肉を切り裂いて首筋から抜ける。


 くたり、と宝石喰いの竜は脱力し動かなくなった。


「さすが騎士だね。竜をこんなに早く片付けられる冒険者はそうそういないよ」


 剣を振り、血を飛ばしてから鞘に戻していると、グレシアはそう言って褒めてきた。


「いえ。今の戦いはグレシアさんの結界ありきで動いていましたから。俺一人だともっとかかりますよ」

「謙虚なんだね」

「本当のことを言っているだけです」


 結界で防御してくれると分かっていたからこそ、その場を動かずに火焔を吐いた直後のドワーフリザードに反撃を仕掛けられたのだ。彼女がいなければいったん後退せざるをえず、攻撃を避けながら有効打の届く距離まで近づくのに時間を食っていたかもしれない。


「それでも君の強さはよく分かったよ。迷宮に潜ったのはこれが初めてだったっけ」

「ええ」

「よく竜の吐息の危険性に気づけたね」

「一回、実体験しましたから」


 俺は地上で暗視術をかけられた状態で目を開けてしまったときのことを思いだした。目が光に敏感になっている状態だと、ただ日の当たる場所にいるだけでも目がつぶれてしまう。


 だから俺はドワーフリザードの吐いた炎を直視しないよう目をつぶり、暗視の強度を自力で変えられる彼女が目を開けても大丈夫だと判断するまで待っていたのだ。。


「君は何というか……この依頼のどう考えても妙なところには気づいてなさそうなのに、戦闘のときだけは頭が回るらしいね」

「そう見えますか。別にそんなつもりはないんですが」


 頭を回さなければ死ぬからそうせざるを得ないだけだ。


「……ところで、この依頼の妙なところっていうのは何です」


 俺が訊くと、グレシアは苦笑した。


「やっぱりそっちには気づいてなかったんだ。たぶん戦闘に使ってる分の頭を多少回せば分かると思うけれど……まあいいや、その辺の細かいところを考えるのは私の仕事だからね」


 彼女の言う「妙なところ」についてもう少し詳しく聞きたいと思ったが、帰り道ではそんな余裕はなかった。


「後ろから二匹来てる。早く行ってくれ!」

「前からも来てるんですよ! 後ろの奴らは結界で足止めしといてください!」

なぜか出会うドワーフリザード全てが俺たちに襲いかかってきて、追撃を振り払いながら地上を目指さなくてはならなかったためだ。

幸いグレシアが完璧に道順を覚えておいてくれたおかげで帰り道に迷うことはなく、疲れ果てながらも何とか地上にたどり着くことができた。

「やっと、帰ってこれた」


 俺がよろよろと洞穴から出ると、空にはすでに夜のとばりが下りていた。きらめく無数の星を見上げながら安堵の息をついたとき、疲労感のせいかグレシアはぱたりと地面に倒れこんだ。


「……疲れましたね」

「同感だよ」


 見下ろすと彼女の白い頬は真っ赤になっており、ぜえぜえと荒い息をついていた。


「大丈夫ですか」

「魔法を使いすぎただけだ。……君こそ、あれだけ戦ってよく立ってられるね」

「騎士っていうのは体力商売ですからね。これくらいでへばってちゃ話になりません」

「私にもその体力を分けてほしいよ」


 グレシアは杖を支えにして立ち上がった。生まれたての小鹿のように足を震わせており、その願いの切実さが伝わってくる。


「きついなら、俺が抱えて運びましょうか。御者もこの辺にいるでしょうし」

「必要ない。自分で歩ける」

「本当に大丈夫ですか」

「ああ。それより死体をこっちに持ってきてくれ」


 グレシアの指さした先には、洞窟の入り口の前で浮かんでいるザインの死体があった。言われた通りに服の裾を掴んで彼女の目の前に持ってくると、彼女はうなずいた。


「うん、やっぱりそうか」

「やっぱりって、何が分かったんですか」

「ドワーフリザードが襲ってきた原因」


 そう言うと、彼女はザインの腰についている皮袋を取って俺に手渡した。おそらくヘルクの持っていた皮袋と同じ種類だろう。受け取った瞬間にずしりと重い感触がして、俺ははっとした。


「……ひょっとして」


 開けてみると予想通り、中には紫色に輝く小さい魔晶石が一つだけ中に入っていた。


「俺たちが死体を持って帰るのに苦労した理由ってこれですか……」


 一気に脱力しそうになった。俺たちは魔晶石を所持した死体を移動させていた──

つまり、ドワーフリザードにとっては盗人と何ら変わらないのだ。襲われて当たり前だ。


 そもそも魔晶石を取りに来た人物なのだから、当然採取した魔晶石を所持していると考えるべきだった。死体をよく調べて袋を捨てていれば苦労する必要はなかったのだ。


「あーもう、楽な仕事だったはずなのになあ……」


 俺がぼやいていると、グレシアは少し笑った。


「まあ、この魔晶石は君にあげるよ。今回、アウグスト君にはだいぶ頑張ってもらったからね。その分の追加報酬」

「追加報酬って……ありがたいですけど、泥棒じゃないですか」

「大丈夫。私の考えが正しければ、依頼人の二人は文句なんか言ってこないよ」


 そうだとしても、あれだけ金勘定にうるさい彼女が、小さいとはいえそれなりの金になる魔晶石をぽんと渡す理由が分からない。そう思っていると、グレシアはふっと笑った。


「私もその魔晶石が欲しくないわけではないけど、それより君との関係性を大切にしたいからね」


 関係性を大切にしたい──雪の妖精のように可愛らしい彼女にそう言われると勘違いしそうになるが、単純に仕事仲間として、ということだろう。


 俺が一人合点していると、グレシアは何やら不可解なことを付け加えた。


「それに、私にとっては、魔晶石が一つだけ袋に入ってたってこと自体が重要なんだ」

「? 何か深い意味をもって言ってるんですか」

「うーん。そこまで深い話ではないけれど、重要なことだよ。私の儲けを増やすためにも」


 ますます意味が分からない。混乱する俺を見て、グレシアは苦笑した。


「今回の依頼のからくり……今教えてあげてもいいけれど、何回も話すのは面倒くさいな。明日の昼過ぎくらいに、武装して来てくれるかい」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る