銀貨と死体
王城誠也
1 宝石喰いの竜(前)
金が、要る。
「鞘に彫ってある薔薇の紋様が見えますか?」
「見えますが」
「これが騎士の証だってことは知ってますか?」
「存じていますが」
「じゃあ、もっといい仕事を教えてくれませんか?」
俺がそう懇願すると、かっちりとした白地の制服に身を包んだ受付嬢は、にべもなく首を振った。マホガニー製の帳場台のすみにある埃を羽ペンで払うと、紙が切れそうなほど鋭い目にわずかな苛立ちを浮かべ、俺を見る。
「そう言われましても、アウグスト様は何の実績もありません。まずは軽い依頼をこなして実績を積んでいただかなければ」
「実績、実績って。確かに俺はまだ一回も依頼をこなしていませんけど……剣術大会では毎回優勝していましたよ」
「それは騎士修練の実績でしょう。私たちは実際にあなたが優勝するところを見たわけではありませんし」
「話が通じないですね!」
ギルド受付嬢のあまりの頭の固さに、思わず頭を抱えた。
俺はアウグスト・アーベライン。貧乏貴族の次男坊だ。
アーベライン家は貴族とはいっても、大した土地や財産をもっているわけではない。そのため次男以下の子ども──つまり俺は、家を出て自分で食い扶持を稼ぐ必要があった。
それでどう食っていこうかと考えていたとき、騎士師範学校の看板が目に入った。騎士は雇い主である王家が確実に給料を出してくれるし、何より格好いい。
同じ理由で他の貴族の子弟たちが入学していたのもあって、俺は十三歳のときに借金をして師範学校へ入学した。そして四年の修練を経て、騎士の称号を得て卒業できた……のだが。
「師範学校への借金を返さないといけないんです。こんな初心者向けの依頼をちまちまやったところで返済が追い付きません」
「騎士位をお持ちになって、しかもアーベライン家のご子息なのですから、王に剣を捧げて給金をいただけばよろしいではありませんか」
「……数年前だったら俺もそうしましたよ。でも、今は全くもって平和! 平和平和! 新しい騎士はいらないそうです」
俺が騎士になったその年に戦争が終わって、各王家は多く雇いすぎた騎士を持て余していたのだ。戦争がないときの騎士はただの金喰い虫。王家は何かと理由をつけて騎士を解雇しにかかった。
不要になった騎士たちを切り捨てているような状況で、新しい者を雇う余裕があろうはずがない。剣術大会で優秀な成績を残した俺も「欠員が出た場合は任命する」と言われるに留まり、雇用は見送られたのである。
あてが外れ、俺は途方に暮れた。
主をもたない騎士は騎士位持ちと呼ばれるが、平たく言ってしまえば無職。称号をもっているだけでは食い扶持を稼げないのだ。
そんなわけで、俺は日銭稼ぎと借金返済のあてを探しに冒険者ギルドへとやってきた。冒険者というのは遺跡調査や傭兵といった身体を張る仕事で一攫千金を狙う者たちのことで、彼らを管理するのが「冒険者ギルド」と呼ばれる組織だ。
とはいえ元々地に足をつけて生きるのが不得手な者たちが寄り集まってできている組織だけあって、商館長が厳しい価格統制を行う商人ギルドや工房の親方が細かな役割分担を行う職人のギルドと比べると規律は緩い。
だから初回登録料と月々の名簿代を支払えばおいしい仕事にありつけると思っていたのだが、現実はそう甘くなかった。旨い仕事は実力の不明瞭な新人には回ってこないように出来ているらしい。
(もっと強く見えるような装いで来ればちょっとは違ったかな)
登録手数料を捻出するために持っていた騎士鎧を質に入れ、代わりに安っぽい皮鎧を購入して身に着けていたのだが、それが裏目に出たのかもしれない。
俺がため息をついていると、受付嬢は気のない返答をした。
「騎士として生計が立てられないのであれば、生家に頼ってみては」
「無理です。学費の八十万ダリル、とても実家には払えません。元々俺の給金から支払う予定だったので……」
「それは災難でしたね」
言葉とは裏腹に受付嬢の反応は冷たい。まあこちらの事情など知ったことではないのだから当然と言えば当然だろう。
だが、俺にとっては死活問題なのだ。返済が滞れば騎士師範学校の手の者に誘拐され、よくわからない鉱山に閉じ込められたあげくに強制労働させられるという噂もある。
「同情してくださるなら、いい仕事を紹介してくださるとありがたいのですが」
精一杯の作り笑いを浮かべてそう頼んでみたが、受付嬢は丸眼鏡の位置を神経質そうに直してから首を振った。
「同情はしますが難しいですね」
「そこの掲示板に、新海路開拓とか学術調査隊の護衛とか、いっぱい載ってるじゃないですか。あれでいいですから」
俺が掲示してある張り紙を指さしてそう言うと受付嬢は少し顔をしかめた。
「あれでいい、とは何ですか。あそこに貼ってあるのは信頼と実績のある金等級の組合員向けです。実力も分からないあなたには任せられません」
「……ちなみに今の俺の等級はどれくらいです」
「青等級です。実績順に青、赤、紫、銀、金と分けられていますので、最下級ということになりますね」
「はあ……青等級の依頼ではどれくらい報酬がもらえるんでしょうか」
「一件につき千から二千ダリル程度です」
それを聞いてため息をつきたくなった。それでは、とてもではないが借金返済に追い付かない。もういっそのこと現役の騎士を闇討ちして、自分の手で欠員を作ってしまおうかと血迷いかけたそのとき、受付嬢はぽんと手を打った。
「思い出しました。等級を問わず、実力があれば雇いたいという話ならありますよ」
「なんですか」
俺は腹をすかせた馬がニンジンにかぶりつくようにその話に食いついた。受付嬢は戸棚から羊皮紙を取り出して、俺に見せてきた。
『死体回収人の護衛。等級は問わないが、危険な地域や迷宮に立ち入ることも多いため実力者を求める。基本報酬は一件につき四万ダリル。探索する場所の危険性や、副産物によっては特別報酬が発生する可能性あり』
「死体回収人か……」
死んだ人間は、魂の宿る頭部が著しく破損している場合や自殺した場合などを除き、教会に高いお布施を払うことで蘇生することができる。俺は魔法については詳しくないので理屈は不明だが、とにかく生き返るのだ。
ただ、冒険者の場合だと迷宮や荒野といった滅多に人の立ち入らない場所で死ぬことが多く、当然放置されれば教会で蘇生することもできない。だからそういった者たちの死体を回収し、蘇生させることで金をもらう仕事をしているのが死体回収人なのである。
基本報酬は一件につき四万ダリル。その文字に俺の目は釘付けになった。青等級の冒険者が受けられる依頼に比べると破格の報酬だ。
もし一件でも処理すれば、二万ダリルを一か月の生活費や装備点検費に充て、残りを全て返済に充てることができる。八十万ダリルなどあっという間だ。
「やります」
俺はさっと金勘定をすませ、即席に返事をした。すると受付嬢は「一つ確認が」と言って俺の目を見た。
「本当にいいのですか? 後から文句を言われたくないので言っておきますが、死体回収業というのはもめ事に巻き込まれやすい仕事ですし、そもそもこの依頼人は……」
「大丈夫です。俺は仕事をえり好みできる立場ではないですからね。それに、自分の選んだ仕事に後から文句をつけるようなことはしませんよ」
何があろうと、俺はこの仕事を受けるしかないのだ。俺の勢いに負けたらしく、受付嬢はため息をついた。
「……分かりました」
受付嬢は傍に置いてあった羽根ペンをとって羊皮紙の切れ端にさらさらと何かを書きつけた。そして革紐で丸め、俺に手渡した。
「こちらが紹介状になります。それを持って行って、事務所の代表に見せてください」
「どうも」
俺は紹介状を受け取ると、建物を出てからその中身を見た。依頼者の名前はグレシア・ノードレット死体回収人。金等級の冒険者だった。
ギルド本部から少し離れた場所にその事務所はあった。あまり掃除をしていないのか、赤煉瓦積みの壁のあちこちにツタが絡まっている。
「ここか」
看板だけは小綺麗にしてあり、木の板に『ノードレット死体回収事務所』と書いてあるのがはっきり見えた。俺は深呼吸してからドアノブに手をかけ、足を踏み入れる。
事務所に入った瞬間、肉桂と香油の香りが鼻をついた。中は薄暗く、はっきりとは見えないがそこかしこに樽や木箱が置いてある。どうもそれらが匂いの元となっているらしい。
他にも大量の羊皮紙や分厚い本が散らかしてあり、まるで嵐がこの部屋の中で吹き荒れたかのような光景が広がっていた。
「なんだこの部屋……散らかりすぎだろ」
「なんだとは失礼だな」
思わずつぶやいたそのとき、部屋の奥から冷たく澄んだ声がした。
そちらを見て初めて、俺は白いローブに身を包んだ十五、六歳ほどの女の子が燭台の置いてある机につき、じっとこちらを見返しているのに気がついた。
ぱっと目についたのは、肩のあたりで切りそろえた純白の髪と白銀の目。端正な顔立ちで、薄い唇にはわずかに朱が差している。彼女は妖精のような、不思議な空気を身にまとっていた。
若すぎるので回収人ではなく店番の子だろう。少し警戒されているような気がしたので、俺はとりあえず自分が何者かということを説明することにした。
「失礼しました。俺はアウグストです。職名は……」
「主君のいない騎士だろう。死体回収の依頼をしに来たわけじゃなくて、護衛として雇ってほしくてここに来た。違うかい?」
「……なぜそれを」
俺はギルドで仕事の紹介を受けてから直接この事務所へ来た。つまりギルド本部から彼女に連絡する時間はなかったのだ。
にもかかわらず、説明する前に俺の正体と目的を知っているとはどういうことだろう。
「読心の魔法でも使えるんですか?」
「見ればわかることだよ」
そう言うと、彼女は俺が腰に差している剣を指さした。
「まずその剣の鞘。薔薇の紋様が彫ってあるから、君が騎士だってことはわかる。それと正式に王に仕えている騎士なら、公務だってことを示すためにちゃんとした鎧を身に着けてやってくるはず。だから主がいなくて鎧も用意できない補欠騎士だと思った」
「……ちゃんとした鎧を着てなくて悪かったですね」
俺は身に着けている皮鎧を見下ろして、ため息をついた。
「それで、客じゃないと思ったのは君が綺麗だから。だいたい客の冒険者って迷宮から命からがら逃げだしたその足で来るから、どこか汚れてたり臭いがきつかったりするものなんだ。でも君はそうじゃなかった。つまり誰かを助けてほしくて来たわけではなく、護衛の話をするために来ているんじゃないかってあたりをつけた」
言われてみれば何でもないことだが、一目でそこまで見抜かれたのは驚きだった。
「なるほど。面白い特技をもってるんですね」
「特技というか……この仕事をやってると嫌でも身につくってだけだよ」
彼女はそう言ってから、何かを渡せとでも言うように手を差し出した。
「なんですか?」
「紹介状。持ってきてるんだろ」
「ああ大丈夫ですよ。回収人さんには直接渡しますから」
「なおさら私に渡してくれ」
「ですからわざわざあなたの手を煩わせる必要は……」
そう言ったとき、彼女はじれったそうに眉間にしわを寄せた。
「私が死体回収人のグレシア。この事務所の代表だよ」
俺はぽかんと口を開けた。金等級の冒険者だと聞いていたからそれなりに年季の入った人物だと思っていたのだが、俺と同年代だったとは。
驚いていると、グレシアはまた手を差し出した。
「ほら早く」
「ああ……紹介状ですね。すみません、今出します」
俺が紹介状を渡すと、彼女はそれにさっと目を通した。
「師範学校で優秀な成績を残してるらしいね。怪物と戦ったことは?」
「基本は戦争のための対人訓練なんですが……軍事用ゴーレムとかなら」
「ゴーレムってどの種類? 泥とか木で出来てるやつ?」
「アイアンゴーレムの四型ですね」
「おお、この前の戦争でも使われてた新型じゃないか。へえ、あれに勝てるんだ……君、頭の回転はちょっと鈍いけれど、戦闘技術はすばらしいね」
けなされながら褒められ、俺がどう反応しようか迷っていると、グレシアは満足げにうなずいた。
「実力は十分。雇うよ」
「……ありがとうございます。しかし、実際に俺の実力を見ないでいいんですか」
そう訊くと、グレシアは小首をかしげた。
「なんでそんなことをする必要があるんだ?」
「別にあなたが見たくなければいいんですが……命を預ける相手ですよ。普通は自分の目で仲間の実力を確かめるものでしょう」
「あいにく、剣技の良し悪しは分からなくてね。騎士師範学校を卒業してるなら十分だ。君も生き死にもかかっている以上実力を偽ることはないだろうし。他に質問は?」
「ありません」
「じゃあ、この契約書にサインしてくれ」
「はい」
俺がつきだされた羊皮紙に署名して彼女に手渡したそのとき、ばん、と事務所の扉が勢いよく開けられた。
「回収をお願い! 急ぎなんだけど!」
慌てた様子で入って来たのは、男女の二人組だった。男はその辺の武具店で売っていそうなチェインメイル、女は安物の胸当てを身に着けている。装備が良くないのでおそらく二人とも俺と同じ青等級、もしくは少し上の赤等級だろう。
「ちょうどいい。本日最初の金ヅル……じゃなかったお客様だ。見ててくれ」
二人に聞こえないようひそひそ声でそう言うと、彼女は客にテーブルをすすめた。
「とりあえずこちらに座ってください」
二人は席に着くと、幾分か落ち着きを取り戻したようだった。そのタイミングを見計らって、グレシアは話を始める。
「回収人のグレシアです。まずはお名前を伺ってもよろしいですか」
「私はマリエール。癒術師よ」
最初に名乗ったのは女の方だった。栗色の髪を後ろで編み込んでぱっちりとした目をしており、小動物のような雰囲気を醸し出している。
「俺はヘルク。戦士だ」
ヘルクと名乗ったのは金髪を刈り込んだ、鋭い目つきをしている男。マリエールとは対照的に大柄で、熊のような巨躯を縮こませて椅子に座っていた。
「ん?」
そのとき、俺は彼の左腕に三筋の浅い切り傷が刻まれているのを見つけた。
「ヘルクさん。左腕のところの怪我、大丈夫なんですか」
指摘されて初めて気づいたようで、ヘルクは左腕の傷跡を見て舌打ちした。
「クソトカゲめ。こんな傷を……」
「ヘルク、それ回復魔法で治してあげるから腕出して」
マリエールが彼の傷に手を当てると暖かい光が漏れ、ヘルクの傷は跡形もなく消え去った。しかし生傷を残したまま死体回収事務所へ来るとは、よほど慌てていたのだろう。さきほどグレシアが「帰って来たその足で来る」と言っていた意味が分かったような気がした。
ヘルクの傷が癒えたのを見て、グレシアは再び口を開いた。
「マリエールさんとヘルクさんですね。先ほど回収を依頼したいとおっしゃっていましたが、詳しく話を聞かせていただけますか」
マリエールはうなずき、話し始めた。
「私たちは二日前、宝石集めのために『戒めの洞窟』へ潜ったわ」
戒めの洞窟に入った冒険者は三人。マリエール、ヘルク、そして現在死体となって迷宮に取り残されているザイン。マリエールとヘルクはもともと二人で仕事をしていたのだが、今回は難易度が高い場所ということで、三人目の仲間としてザインを加えたのだという。
「『戒めの洞窟』。世界一安全で危険な迷宮ですね」
「安全で危険って、なんか矛盾してません?」
思わず突っ込むと、グレシアは机を指先で小刻みに叩き、煩わしそうに俺を見上げた。
「見ていてくれと言っただろう。あまり口を挟まないでくれ」
「すみません。でもそんな言い回しされたら気になるじゃないですか」
「宝石を迷宮から持ち出そうとした者は、死ぬんだ」
俺が抗議すると、口数の少なかったヘルク──客の方が口を開いた。
「死ぬって、呪いのようなものですか」
「いや、ドワーフリザードっていう小型のドラゴンがいるんだ。普段はおとなしいんだが、宝石が動く気配を感じると群がって来る」
ドワーフリザードは肉ではなく宝石を餌としており、それを盗もうとする者は、食料を奪う敵だと認識され襲われるのだという。
盗人には竜による制裁が待っている。それがちょうど強欲を罰しているように見えるから、『戒めの洞窟』と言われているのだろう。
俺が一人納得していると、マリエールは俺を見て、おずおずとグレシアに訊いた。
「彼は誰なの?」
「今日から私の護衛を務めるアウグスト・アーベライン。騎士だよ」
「き、騎士サマですって」
二人とも仰天したようで、驚愕の声をあげたマリエールだけでなくヘルクの方もこ
ちらを凝視していた。
「すみません、騎士殿とはつゆ知らずあんな気さくに……」
「構わないですよ。俺はまだ主が決まっていない、ただの騎士位持ちにすぎませんから」
王国やどこかの貴族のお抱えになれたらその権威を借りることができるが、ただ騎士位をもっているだけで何の後ろ盾もない騎士というのはそれほど威張れない。グレシアがそうしたように、実力があると判断する材料にされる程度である。
「ですから俺のことはそう気にしないでいただけると助かります。話の腰を折って申し訳ありません」
それでもなぜか二人は気後れしているようだった。グレシアは咳払いして、「彼の言う通りです、どうぞ続けてください」と話の続きを促す。
「え、ええ……それで私たちが宝石を集めてたら、ドワーフリザードが集まってきて……ザインが前足の爪で首を裂かれたの」
悔しそうにマリエールはつぶやいた。あまり付き合いが深くなくとも、目の前で仲間が死んだのはショックだったのだろう。
「お願い。彼を生き返らせるお金はないけど、せめて地上には戻してあげたいの」
そのとき、一瞬だけグレシアは眉をひそめた。だがすぐに表情を戻し、マリエールに微笑みかける。
「お優しいのですね。会ったばかりの人のためにそこまでするなんて」
「当然よ。一度でも一緒に仕事をしたなら、筋は通さないと」
「マリエールの言う通りだ。俺たちは、死んでたとしても仲間は見捨てねえ」
二人ともなかなか情に篤い人物らしい。俺が感心していると、グレシアはうなずきながら口を開いた。
「お気持ちはわかりました。ではザインさんの顔や装備などを覚えている限り教えてください。回収のときに遺体を識別するので」
黒髪。丸顔。一重。やや高身長。あごに少々の髭。鉄製の剣を所持。その他マリエールの挙げていった特徴を聞き終えると、グレシアはうなずいた。
「本人確認に必要な情報はこれで十分です。ありがとうございました」
「じゃあ、回収に行ってくれるのね」
「ええ、すぐにでも……と言いたいところですが、その前に着手金をいただきましょうか。依頼料十万ダリルのうち、三万ほど先に支払っていただきます」
「わかった。ちょっと待っててくれ」
ヘルクはそう言うと、腰につけていた皮袋から銀貨を取り出し、テーブルの上に積んだ。グレシアは枚数を確認して受け取ってから、ちらりとヘルクの持ち出した皮袋に目をやった。
「なかなかいい袋をお持ちですね。防火・防酸性能つきですか」
「わかるか」
「はい。失礼ながら、あなたの他の装備と比べるとかなり高い買い物になると思うのですが、こだわりでもあるのですか」
「こだわりっつうか、ドワーフリザードが火を吐くからその対策だな。うっかり大事な宝石を焼かれちゃたまらねえし」
「なるほど……宝石入れとしても使っていたんですね」
「ま、今回はロクに宝石が採れなかったから、あんま役には立たなかったけどな」
ヘルクはため息をついた。儲けは出ないわ、仲間は死ぬわで踏んだり蹴ったりというわけだ。俺は少し同情した。
受け取った銀貨を金庫にしまうと、グレシアは席に戻った。
「今日はお疲れさまでした。明日の午後にはザインさんの遺体を必ず持ち帰りますので、事務所にお越しください」
「分かった。待ってるからね」
依頼の手続きを終え、マリエールとヘルクは事務所を出て行った。グレシアは二人の見送りを終えると、すぐ俺に指示を出した。
「さあ、さっそく仕事だ。戒めの迷宮に潜る準備をしよう」
「今からですか」
「死体が腐る前に運び出したいからね。時間との勝負なんだよ」
彼女はそう言いながらてきぱきと荷造りを始める。俺の方はもう装備を整えた状態で来ているので、ぼんやりと彼女を見ながら準備が終わるのを待っていた。
すると彼女は途中で手を止め、俺に冷たい視線を向けてきた。
「どうかしましたか」
「私の着替えを見たいのかい。そのつもりなら二十万ダリルほど払ってもらうことになるけど」
彼女が迷宮用の装備らしい黒いローブとスパッツを抱えているのに気づき、俺は慌てて事務所を出た。
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