第3話

 



 ——バァンッ!




 派手な音を立てて、スラム街のゴミ箱が勢いよくぶちまけられた。


 散らばるゴミ、飛び散る破片。




 その中心には、見るも無惨に汚水の中に押し倒された一人の男――みすぼらしいチンピラが、必死に体を起こそうとするが、もがく度に汚水が跳ねる。




「し、知らねえって!本当に知らねえんだよ!」




 男は半ば泣き声で叫ぶ。全身は汚水まみれ、恐怖で顔は蒼白になっていた。必死に言い訳を並べながら、なんとかこの場を切り抜けようと必死だった。




「だいたい、そんなヤバイ『ヤマ』に首突っ込むわけねえだろ!俺はただの……ただのゴミみてぇな小物なんだ!お願いだ、勘弁してくれ!」




 その前に立っているのは、優雅な雰囲気を漂わせながらも、目には不快感を露わにしているエリシア。


 腕を組んだまま彼を見下し、ため息をついた。彼女のブーツは汚水に触れることもなく、軽やかに地面を踏みしめている。




「ふん、あなた、それでも悪党ですの?」




 エリシアは鋭い目でチンピラを睨みつける。その言葉には冷たさが滲んでいた。彼の口から出てくる言い訳など、聞くに値しないという態度だった。




「け、しけてんな……!」




 小さく舌打ちしながら、エリシアは軽く肩をすくめる。




 その冷たい笑いと共に、彼女はチンピラに一歩近づいた。先ほどの勢いを失った男は震え上がり、さらに汚水の中に身を沈めていく。




「今すぐ情報を吐きなさい。このままじゃあなた、本当にゴミと一緒に捨てられますわよ。」




 エリシアは優雅に言い放つが、その目は全く冗談ではないことを物語っていた。




 エリシアがさらにチンピラに詰め寄ろうとしたその瞬間――。




 ——ガラガラガラッ!




 スラム街の奥から、粗野な笑い声と共に数人の男たちが現れた。




 派手な刺青が入った腕、汚れた服装、そして鋭い目つき。彼らはエリシアを見つけるや否や、にやりと笑みを浮かべて彼女を取り囲んだ。




「おい、お前か、ここを荒らしてんのは?」




 リーダー格と思われる男がエリシアに声をかける。彼の目は冷たく、彼女の存在をまるで面白がっているかのように見下していた。




「さっさと失せな、嬢ちゃん。ここは俺たちの縄張りだ。」




 エリシアはその言葉に動じることなく、周囲を見渡した。彼らの態度からは、ただの脅しではないことが分かる。だが、彼女の表情には一片の恐れも見当たらなかった。




「何が目的かは知らねえが、ここを嗅ぎ回っても何も出ねえぜ?」




 別の男が笑いながら言い放つ。彼の目は鋭く光り、エリシアの動きを見逃さないように警戒していた。




 エリシアはその言葉にふんと鼻で笑うと、挑発するかのように彼らを見つめ返す。




 周囲を取り囲む男たちの手が、徐々に腰に差した武器へと伸びていくのが分かる。だが、彼女はまるで気にかける様子もなく、淡々と言葉を返した。




「へえ……あなたたちがこの街の“守り手”ですの?本当に笑わせてくださるわね。」




 その言葉が皮肉とともに響いた瞬間、男たちの顔が険しく変わった。




「てめぇ……!」




 リーダー格の男が怒号を上げ、勢いよくエリシアに詰め寄ろうとした瞬間、エリシアの動きが一変した。彼女はまるで風のように軽やかにステップを踏み、凄まじい速さで男たちに肉薄した。




 ——バッ!




 リーダーの右腕が大きく振り上げられ、強烈なフックがエリシアの顎を狙う――が、その瞬間、彼女の体はするりと後方へと滑るように動き、攻撃は空を切った。




「遅いですわ!」




 その声と同時に、エリシアは一瞬で男の懐に入り込むと、手刀で男の顎を掠めるように一撃を叩き込んだ。男は一瞬、バランスを崩し、体がよろめく。




 ——ガシャッ!




 エリシアはその隙を見逃さず、まるで踊るように男の背後にぬるりと回り込んだ。彼女の動きは、まるで体が自然に反応しているかのように無駄がなかった。




「ちょっと失礼いたしますわ!」




 そして――そのまま勢いよく、男の体を抱え上げた。




 ——ドォン!




 派手な音を立てて、エリシアのバックドロップが決まり、地面に叩きつけられた男は声を上げる間もなく気を失った。



 あまりのスピードに、他の男たちは呆然としている。



「あ、あいつが……!」




 彼らが恐怖に凍りつく間もなく、リーダー格があっという間に取り残され、彼の周囲には仲間が倒れていく。エリシアは、まるで何事もなかったかのように立ち上がり、軽く埃を払った。




 エリシアは倒れ込んだリーダー格の男をじっと見下ろしていた。




 無力な男がうめき声を上げながら起き上がろうとした瞬間、エリシアは動き出した。




 素早く男に近づくと、何の躊躇もなくその体を絡め取り、コブラツイストの体勢に持ち込んだ。




「ぐっ……!」




 リーダーは、エリシアの異常な力に体をねじ曲げられ、痛みに顔を歪める。無理な体勢にされ、腕と首が圧迫され、彼の呼吸は乱れ始めた。




「さあ、教えていただけるかしら?」




 エリシアは冷たく笑みを浮かべながら、さらに締め上げる。




 彼女の声は穏やかだが、その目は容赦なく男を見つめていた。全身が痛みで悲鳴を上げる中、男は必死に逃げ出そうとするが、エリシアの腕は鉄のように固く、ビクともしない。




「俺、俺は……知らねえ……!」


「まあ、そうでしょうね。でも、嘘は通じませんわよ。」




 エリシアはさらに力を込め、男の体が不自然に曲がっていく。骨が軋む音が響き、男はますます苦しげに呻き声を漏らした。




「やめ、やめてくれ……!頼む……!」


「ほら、もっと素直になってくださいまし。」




 彼女は顔を男の耳元に近づけ、さらに低い声でささやいた。




「彼らに手を貸しているのは、すでに知ってますのよ。そうでなければ、私がこんな汚いところに来るはずがないでしょう?」




 男の顔色が一瞬で変わった。彼女がすでにある程度の情報を持っていることが分かり、嘘を突き通すことが不可能だと悟ったのだ。




「……くそっ……わ、分かった!話す!話すから、やめてくれ……!」




 エリシアは満足げに微笑んだが、まだ腕を緩める気はなかった。彼女は、さらに冷徹な声で続けた。




「素晴らしいですわ。でも、正直にすべてを話していただかないと……これ以上、優しくできませんのよ?」




 エリシアの声には、どこか楽しげな響きが混じっていた。




 ——カチャリ……カチャリ……




 複数の金属音が空気を切り裂くように響いた。


 エリシアはその異変に気付き、すっと顔を上げた。視線を巡らせると、周囲には不穏な気配が漂っていた。




 薄汚れた窓の隙間から、曲がり角の陰から、マンホールの隙間から、さらにはゴミ箱の中から――無数の拳銃がエリシアを狙っていた。




「……ふぅん、思ったよりずいぶん用意が良いですわね。」




 エリシアは相手に聞こえるか聞こえないかの声で、冷ややかに呟いた。その場の空気は瞬く間に張り詰め、戦場のような緊迫感が走った。




「やりすぎだ!もう生かしちゃおけねえ!」




 突如、怒鳴り声が響き渡った。




 現れたのは、一見してただ者ではない雰囲気を漂わせた男たち。




 ――ヤクザだ。




 彼らはエリシアを取り囲むように姿を現し、全員が拳銃を構えている。鋭い目つき、顔には冷酷さが滲み出ていた。




「こいつは見逃せねえよ……ここで終わりにしてやる!」




 ヤクザたちは、確実に仕留めるために包囲を固めながら、じりじりと距離を詰めてきた。エリシアの背後には、まだ締め上げられたままのリーダーが呻き声を上げていたが、彼女は全く動じる様子を見せない。




「なるほど……。お仲間も一緒に来たというわけですのね。」




 エリシアは軽く肩をすくめ、あくまで落ち着いた態度を崩さない。彼女の目には、ヤクザたちがどれだけの武器を持っていようとも、まるで遊び相手に過ぎないような余裕があった。




「……まあ、遊んで差し上げてもいいですわよ?」




 彼女の言葉に、ヤクザたちの顔がさらに険しくなった。




 エリシアの指先がゆっくりと青白く光り始めた。




 微かなエネルギーが彼女の体から放たれ、周囲の空気がピリピリと震え出す。




 これはこの世界のものではない――異界を渡り歩くエリシアが持つ、独特の魔力。彼女の存在そのものが、常識を超えた力を秘めていた。




「あなたたちのような雑魚を相手にするのは、退屈ですわ……。」




 エリシアの言葉に冷たく輝く光が呼応するように、指先から青白い閃光が広がり、ヤクザたちを貫こうとしたその時――。




 ——パンッ!




 突然、銃声が一つ響き渡った。


 瞬間、ヤクザたちは一斉にその場に崩れ落ちた。




「……一発で?」




 そう思ったのも束の間。




 違う――一発ではない。




 何発もの銃弾が、ものすごいスピードで放たれていたのだ。光の速度にも似た早撃ちが、全員を一瞬で仕留めていた。まるで彼らの動きを予測していたかのような、完璧な精度と速度。




 青白い光を帯びたエリシアが目を細め、汚水の飛沫と硝煙の向こうを見据える。その先に、悠然と立つ影があった。




「……ほう」




 青白い光がゆっくりと収まり、彼女の声に微かな驚きが混じる。




 汚水の中から静かに姿を現したのは、全身がメタリックシルバーの異常な男、ヴァイだった。




 彼は相変わらず冷たい笑みを浮かべ、ゆっくりと拳銃をしまいながら、エリシアを見つめている。




「……ずいぶん楽しそうにやってるじゃないか。」




 その声は、どこか軽薄ながらも、狂気じみた響きを帯びていた。

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